第9話 悪夢、再び?

 病室にもどった【すて】は麻酔が効いている為、右目が見えなくて頭もフラフラしていたが、妻Mに手術が無事終了したことを連絡した。そしてベッドに横になっていたのだが、時間が経つにつれて麻酔が切れてきて、手術した右目がだんだん痛くなってきた。しかも、前回の手術では手術中にブラックアウトから回復したのに対し、今回は手術が終わっても未だ視界は真っ暗なままだ。

 そしてそのうち右目の痛みはチクチクした痛みから締め付けられる様な重い痛みに変わってきた。この『締め付けられる様な重い痛み』は嫌な思い出がある。そう、前回の手術をする前に苦しめられた『急性緑内障発作を起こした時と似た』感じの痛みなのだ。【すて】は慌ててナースコールのボタンを押した。


 手術直後のナースコールだけあって心配だったのだろう、看護師さんは【すて】の病室に飛んで来てくれた。そして頭痛を訴える【すて】に痛み止めのロキソニンを飲ませ、S先生を呼んでくれたのだが、S先生は【すて】の手術が終わってすぐ次の手術をしているそうで、すぐには来れないということだった。


 どれぐらい時間が経っただろう? 頭痛に苦しむ【すて】がベッドで倒れているとノックの音がして、S先生が現れた。


【すて】が頭の痛みを訴えると「手術した直後だから、あまり良くないんだけど……」と言いながら【すて】の右目に貼られた保護ガーゼを外すとまず眼圧を測った。もし眼圧が異常に上がっていたらこの年末年始の約二週間が全くの無駄になってしまう。【すて】の頭を不安が過ぎったが、測定の結果はギリギリとは言え正常値の範囲内に収まっていた。S先生も安心した様で、ほっとした顔で【すて】に言った。


「今回の手術は傷口に塩を塗ったみたいなところがありますからね」


 実はS先生は【すて】の治療を『最初の手術後一週間程入院し、退院してから一ヶ月程自宅で療養、そして二月末に再度入院して眼内レンズを入れる』というスケジュールで考えていたらしい。しかし【すて】が「のっぴきならない事情があって少しでも早く眼内レンズを入れて欲しい」と要望を出した為、『二週間様子を見てみて、可能であれば眼内レンズを入れる手術を決行し、二~三日入院して退院』という強行スケジュールを組んでくれたのだ。つまり、本来なら眼球の回復を一ヶ月半ほど待つところを半分程度の二週間しか回復期間を取っていないので、癒えていない傷が刺激されて痛みが出たということだ。もちろんこれは【すて】が望んで手術を早めてもらったことが原因で、S先生に落ち度は無い。


 ともかく、痛みの原因がそういうことなら一安心だ。実のところ、また眼圧が上がって緑内障発作が起こるんじゃないかと【すて】は怯えていたのだから。精神的に楽になったのと、ロキソニンの効果とで痛みは少しマシになった【すて】は、その夜ぐっすりとはいかないが、なんとか眠ることが出来たのだった。


 翌朝、【すて】が目覚めると頭の痛みは幾分マシになっていたが、少し目眩がする様な感じになっていた。

 それとやはり『右目がどんな風に見えるのか』が気になっていた。保護ガーゼの下で目を開けると、赤みを帯びた黄色がべったりと塗られている様な感じに見えた。さて、ガーゼを外したらどんな具合に見えるのか? 期待と不安を抱きながら検温や朝食を済ませた【すて】がベッドでゴロゴロしていると、ドアをノックする音がしてS先生が現れた。そう、朝の診察の時間だ。


 S先生が【すて】の右目に貼られた保護ガーゼを外した。待望の瞬間だ。恐る恐る開いた【すて】の右目に映った世界は……保護ガーゼの下と同じ、赤みがかった黄色一色だった。わかりやすく例えると『メガネのレンズにウコンの粉末を水で練って塗りつけたらこんな感じになるんじゃないか?』ってトコだ……って、何言ってるかわからないか。とにかく目の前は黄色いばかりで、ほとんど何も見えなかったのだ。


「先生、何も見えないです……」


「でしょうね、手術したばかりですから」


 落胆した声で言った【すて】にS先生はあっさり答えた。手術したばかりの【すて】の右目は内出血がまだ治まっていないので見えないのは必然らしい。視界が赤じゃなく黄色いのは血漿や白血球の残骸が目の中に滞留しているからだろう。


「大丈夫ですよ、だんだん見える様になってきますから」


 S先生は【すて】を安心させる様に言うと眼圧を測り、目の中を視診した。そして問題無いと判断したのだろう、大きく頷いて「うん、良いですね。じゃあまた明日」と言って部屋から出て行った。

 そして数分後、ノックの音がして今度は看護師さんが現れた。朝の検温と血圧の測定の時間だ。


「あれから大丈夫でしたか?」


 看護師さんが【すて】に優しく尋ねた。看護師さんの言う『あれ』とは昨晩【すて】が頭が痛いと泣きついたことだ。


「はい、おかげさまで」


 本当はまだ頭が少し痛かったのだが、昨晩の激痛を思うとなんてことはない。それにS先生に痛む理由を説明してもらったので精神的にも凄く楽になっている。笑顔で答えた【すて】だったが、その笑顔はすぐに消え去った。看護師さんが恐ろしいことを言い出したのだ。


「それは良かったですね。じゃあ、お薬が増えたので説明しますね」


 増えた薬は二つ。一つは午前六時と午後三時に瞳を開かせておく為の目薬。まあ、これは朝に三種類・昼に二種類・そして夜に三種類の目薬を毎日差している【すて】にとって、今更二回増えたところでどうと言うことは無い。問題はもう一つの薬だ。


 問題の薬とは、手術をした右目の炎症を抑える為の軟膏。水晶体脱臼を起こした原因の話の時にも書いたが【すて】はアトピー持ちだ。だから軟膏は塗り慣れて……はいない。子供の頃から現在に至るまで軟膏のベタベタ感は大嫌いだ。だがまあ、この期に及んでそんな事を言うつもりは無い。問題は軟膏の使い方だ。

 軟膏の使い方なんて『塗る』以外には思いつかないだろう。実際、看護師さんにも『塗る』ように言われたのだが、問題は塗り方で、下瞼を下げて瞼の内側に塗れと言うのだ。それも朝・昼・晩と寝る前の一日四回も。何度か自分で塗ろうとチャレンジしてみたが、そんなの無理! 結局退院の日まで毎回毎回看護師さんに塗ってもらう事になってしまうのだった。


 それと更にもう一つ、看護師さんが【すて】に渡したものがあった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る