第2話 視力の低下、再び

 十月にメガネを新調し、翌十一月にはお気に入りのメガネ三つのレンズを交換し、右目の視力が落ちた事に万全な対策を取ったつもりの【すて】だったが、わずか一ヶ月ほど経った十二月の中旬にはまた右目の視力が落ちている、それもかなり落ちていると感じた。さすがにこれはおかしいんじゃないかと思った【すて】は眼科に行こうとしたのだが、生憎その日はいつも行っている眼科の休診日だった。


 そこで【すて】はちょっと前に出来た別の眼科に行ってみたのだが、この眼科でも視力を測った後、瞳を開く(散瞳と言うそうだ)目薬を差し、眼球を診察する…… やる事はいつもの眼科と同じだった。そして、診察結果は水晶体に少し濁りがある、つまり白内障が出ているが、手術するほどでは無いという事だった。

 だが、白内障ってだけでこんなのも短期間のうちに視力が落ちるものなのか? そう思った【すて】は素直に疑問をぶつけたが、眼科医は「今のデータしか無いからわからない。以前の検査結果と比べないと何とも言えない」としか答えてくれなかった。

 実はこの時【すて】は「ほんの数ヶ月で視力が急激に落ちる症例って何か考えられないか?」という意味も含んでいたのだが……

 何の解決にもならないまま眼科を出た【すて】はその足でまたメガネ屋へと向かった。メガネを買ってから六ヶ月以内だとレンズの交換を無料でしてもらえる保証制度を使おうと思ったのだ。


 とりあえず一つのメガネだけレンズを交換してもらい、残りの三つのメガネは暫く様子を見てから(また視力が落ちるかもしれないので)レンズの交換をしてもらうことにした【すて】は不安数日後にえらい目に遭うのだが、この時はそこまで酷いことになるとは夢にも思っていなかった。


          *


 年の瀬も押し迫った十二月二十七日(ここからは具体的な日付も記しておく)の朝、目を覚ました【すて】は愕然とした。右目が恐ろしい程に見えなくなってしまったのだ。目の前に掌を近付けてチェックしてみると、かろうじてピントが合うのは目から5センチから20センチまでだけで、そこから向こうは水の中で目を開けた時の様なぼやけた世界でしかなかった。

 これではほんの一週間前に作り替えたばかりのメガネも全く役に立たない。やむなく【すて】はまたメガネ屋へと向かった……今回ばかりは自転車にすら乗るのが危ないと判断し、歩いて。


 ここでメガネ屋ではなく眼科へ行くという選択肢を選んでいたら違う未来があったのかもしれない。しかし前から通っていた眼科では飛蚊症、新しくできた眼科では白内障と申し合わせた様に目の老化を理由としていたので、それならもう少ししたら落ち着くだろうと【すて】は甘い考えを起こした……と言うか、眼科に行っても無駄だろうと思ったのだった。それに翌日の二十八日は仕事で車を運転しなければならなかったのだ。とりあえず一番安いヤツで良いから即日渡しの出来るメガネを……と【すて】は考えていた。しかし検眼の結果、視力が低過ぎるので在庫のレンズでは対応出来無い、度が強烈に強いレンズを取り寄せなければならないので最短でも二日後の二十九日の昼以降になってしまうと言われてしまったのだった。

 困ったことになったが、出来無いものは仕方がない。その条件でメガネを注文した【すて】は電話で翌日の仕事をキャンセルし、家に帰る道をトボトボと歩いた。翌日、とんでもないことになってしまうなんて思いもしないで。


          *


 十二月二十八日と言えば、世間的には仕事納めだ。本当は仕事が入っていたのだが、右目がおかしい為にキャンセルしたので今日はフリーだ……なんて言うと恰好良く聞こえるが、実際は右目がほとんど見えないから何も出来無いだけだ。

【すて】は小さいながらも不動産関係の会社を経営している。今時、会社なんか資本金ゼロでも作れるから会社経営者なんで珍しくも何とも無いし、経営者だからと言ってお金持ちというわけでも無い。何しろここ数年の不景気で仕事らしい仕事なんて全然入らず、ほんの僅かな不動産収入と今までの蓄えを食い潰しながら細々と生きているのが現状だからな。

 そして令和四年は遂に借りていた事務所を引き払わなければならなくなってしまい、自宅の一室を事務所にしていたのだが、これが『不幸中の幸い』と言うか『人生万事塞翁が馬』と言うヤツだった。


【すて】の右目は奇妙な感じが続いていた。前日の十二月二十七日からほとんど見えないと思えば何かの拍子でちょっと見える様になり、数時間後にはまたほとんど見えなくなって、そして二十八日の朝に目覚めた時は結構見える様になっていてほっとしたのも束の間、すぐにまた見えなくなってしまうという全く右目の見え方が安定しない状態に【すて】は思った。


「白内障は瞳の中の水晶体が濁る事によって起きる病気だ。こんなに短時間で見え方がコロコロ変わるのは白内障とは関係無いんじゃないか?」


 だが、そんな事を考える余裕などすぐになくなった。突如強烈な頭痛が【すて】を襲ったのだ。

 あまりの激痛に【すて】は頭を抱えて蹲った。時間はお昼前。ここで前述の『人生万事塞翁が馬』なる故事が具現化した。妻Mがお昼ごはんをどうするか【すて】に聞きに来たのだ。

 妻Mは【すて】が事務所として使っている部屋のドアをノックした。しかし【すて】はあまりの激痛に蹲ったまま声も出せず、ノックに応じることが出来なかった。それを心配したのか、あるいは不審に思ったのかドアを開けた妻Mが見たのは頭を抱えて蹲る【すて】の姿だった。



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