1-3 村雲

 一方真竹は、戦の翌朝、また月風琴を携えて山桜の森に入って行っていた。多くの命が跡形もなく奪われた1日を超え、心なしか昨日より森がひっそりとしている。

 昨夜は近隣から噂を聞きつけてきた村人たちが続々と様子を知らせに来ていた。彼らによると、山向こうの町は大名に従う武士たちだけでなく、町民や百姓まで1人残らず惨殺されていたという。真竹のいた村の者たちは、「雷神隊に違いない」と騒ぎ、夜も明けないうちから家財道具をまとめて村を出て行ってしまった。なんでも、その雷神隊という男たちは、世にも恐ろしい鬼のような残虐な集団で、その目的のために、町中の人間を虫けらのように軽々と殺戮してまわっているという。

 「許せない奴らだな」

 桜の木に登り、月風琴を構えて真竹が漏らした。鎮魂のために歌い始めたが、いつの間にか月風琴を掻き鳴らす手に力が籠っている。集まってきた動物たちも、その歌を聴いて、昨日とは違いどこか不安そうな表情である。しかし真竹の勢いは止まらず、やり切れない思いをぶつけるように歌い続ける。周りの動物たちのことも忘れ、思いのままに奏でていたせいか、のどがひりひりしてきた。額にはうっすらと汗をかきながら、我も忘れて掻き鳴らしていた。


 その時、ぶわっと花を吹き上げるような不自然な風が吹き、一斉に鳥たちが飛び立った。真竹もはっと我にかえり、ぴたりと手を止めた。激しく繰り返す呼吸だけが聞こえる静寂の中、再度真竹の息が止まった。

 いつの間にか、真竹のある桜の枝の下に、1人の僧兵が立っていたのである。錫杖を手にし、その大きな男は笠越しにじっと真竹を見上げている。

 あまりの驚きに、まだ真竹も声が出ない。慌てて乱れていた着物の裾を合わせるのがやっとで、目を逸らすことも、開きかけた口を閉じることもできない。

 「あっ」

 慌てたせいで、大切な月風琴を木の上から落としてしまった。その瞬間、月風琴を僧兵がふわっと受け止める。そして、傘を取って真竹に向かって礼をした。

 「啓雲と申します。素晴らしい歌声でした」

 月風琴が無事で、ほっとした真竹も礼を返す。

 「あ、あの、ありがとうございました」

 いつもよりばたばたしながら、桜の木から飛び降りる。足が大地に着くかと思いきや、腰のあたりを大きな手でふわりと抱き抱えられた。

 「わあ!」

 恥ずかしさのあまり、赤面する。目の前にある男の胸からは、なぜか煙の匂いがする。

 「危ないですよ、飛び降りたりなんかしては」

 じっと真竹の目を見つめ続ける男の表情は揺るがず、穏やかすぎて何の感情も読み取れない。

 「すみません。ありがとうございました。あの、下ろしていただけませんか」

 啓雲と名乗ったその男は答えず、月風琴を背負い直し、片手で錫杖をついて歩き始めた。

 「あなたの美しい歌声が聞こえてきましたので。ぜひ、私たちの屋敷にいらしていただきたく、風を頼りにお迎えに上がりました」

 丁寧な物言いとは裏腹に、啓雲の大きな腕はがっちりと真竹を包み込み、暴れたくても身動きを取ることができない。自分の身は常に自分で守ってきた真竹だが、腰の刀にも手を伸ばすことができないどころか、宝物の月風琴が奪われたままである。不意打ちに動揺している真竹にはお構いなく、低い声で語りかけながら啓雲はずんずんと山道を進んでいく。

 「昨日、この辺りで大きな戦がありましてね。町のものは1人残らず一晩で皆殺し。私は朝から、仏様の供養をしていたのです。そうしましたらあなたの美しい歌声が、桜の山から風になって聞こえてきまして。私のあるじがぜひともあなたにお見かけしたいとご所望なさったのです」

 「はあ…」

 啓雲から立ち上る煙の匂いの正体は、戦死者の火葬であったかと納得する。啓雲の優しげな物言いに、対抗する気も起きず、ただ「そっちには雷神隊とかいう鬼たちがいるのでは…」と不安な気持ちを抱えていたが、聞く勇気が起きない。

 結局、されるがままの状態の真竹は、昨夜まで戦のあった町に向かって連れて行かれるのであった。

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