1-2 雷音
山の麓にある、大名屋敷の庭に朝が来た。人里から離れた場所なので、太陽が昇っても鳥の声だけが鳴り響いている。
そして、僧兵の啓雲(けいうん)が低く唱える経の声。屋敷の庭には、うず高く詰まれた声を発しない遺体が、まだ新しい土に埋められたところである。
この付近で昨日、激しい戦が起こった。この大名屋敷の主であった武家の軍は、大将はもちろん、百姓から駆り出された足軽までもが一人残らず命を奪われる形で全滅した。
対していたのは、山向こうの羽振りの良い大名に雇われた傭兵たちの軍である。その中に、近頃人々から恐れられ、泣く子も黙る傭兵軍団・通称「雷神隊」がいたため、数千人の軍隊は日が暮れる前に跡形もなく消えてしまったのである。
「しかし、こんだけ貢献してるのに、報酬がこれっぽっちだなんて、あの大名もふざけてますよね」
庭の真ん中にある満開の桜の木の下に並んだ生首を見て、顔をしかめながら言ったのは蛇目(じゃのめ)である。
先程、雇い主の大名から報酬として渡された金貨を、得意のジャグリングで弄んでいる。
一方、金銭に興味を示さず縁側で酒を呑んでいるのは、この傭兵を率いる恐れられし総隊長、丑寅(うしとら)である。
「んなことはどうでもいいんだ。俺が欲しいのは…」
丑寅がそばに置いていた大薙刀に手を伸ばす。巨大な武器を片手で持ち上げ、桜の木の下の生首をひとつ、ぷすりと刺して高く掲げた。
「もっと沢山の首だ」
その仕草に、周りにいた傭兵達の動きが止まる。どこの大名にも属さず、戦のたびに雇われては金のためならいくらでも殺すことのできる輩たちが唯一恐れるのは、この丑寅だ。うっかり敵に回した瞬間、今目の前に山のように転がっている無惨な姿の敵軍達の仲間入りである。今は味方とはいえ、30名ほどいる雷神隊の足軽どもはその言動に冷や汗をかいては背筋を凍らせている。今回の戦での戦いぶりに恐れをなした味方軍が数名逃げたが、漏れなく今、全員生首になって皆の前に晒されている。
数々の戦に現れては数え切れないほどの殺戮を繰り返す丑寅には、最近では大名たちでさえ危機感を抱いている。今回の少ない報酬についても、恐れをなした雇い主が、雷神隊の力を削ぐつもりでの対応であろう。
「大将は分かってねえな。世の中金があれば何にもできるんですぜ。こんな暴れてくたびれるだけじゃ勿体ねえや」
賞金を弄ぶ手を止めて、蛇目が大きなため息をついた。
派手な着物を着て妖しく着飾ったこの男は、もとは旅芸人である。芸で銭を稼ぎつつ、裏ではその器用な手先を生かして暗殺を請け負い、金を目当てに各地を回っていたところを丑寅に拾われたのだった。今回の戦でも、まるで手品でも見せるかのように、鮮やかに多くの敵を殲滅させたのであった。
「静かにしろ」
その時、突然丑寅が声を上げて立ち上がった。一斉に雷神隊全員が息まで止める。
すると、山の方からかすかに風に乗って、女の歌と楽器の音が聞こえてくる。じっと耳を澄ましているうち、驚くべきことに気づいた。
先程まで、傷を負って呻き声をあげていた者どもが、落ち着いた呼吸をするようになっていた。もしやと思い、血に染まった包帯を恐る恐るめくってみると、出血の止まらなかった傷口が、嘘のように閉じている。
「き、傷が治った…?」
その場にどよめきが広がり、瀕死状態から回復した者どもは、歌の聞こえてくる方向に額を擦り付けて礼をしている。
混乱する足軽どもを横目に、丑寅がにやりと笑った。
「啓雲」
経を唱え続けていた啓雲を呼び止める。
「は」
「お前、この声の主をここに連れて来い」
丑寅が手酌しながら命じた。
丑寅の方に向き直り、啓雲が数珠を掛けた手を合わせる。
「かしこまりましてござる」
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