断頭台が見る夢
@hinorisa
第1話
——青年は神に祈る。
自らの罪を贖うためでも、自らの心の平穏のためでもない。
青年は、これから自分が殺すであろう命が天国の門をくぐれるようにと、この国で罪人とみなされた人間達の救いを求めている。
どう足掻いた所で、現世で彼らが救われる事が無いという事が、胸が締め付けられるほどに青年には分かっていた。だから、せめて死後は安らぎを与えて欲しいと、目の前の神の代行である十字架に祈っている。
青年が敬虔な信徒である事を知っている神父は、長い付き合いになった青年の祈りを静かに見守っている。
必要悪を背負わされた青年の心の安寧を、神父は自らの神に祈った。
——彼女は教会を見つめている。
道を挟んで向かい側にある教会を、窓越しに見つめている。
そこで青年が祈りを捧げている間、微動だにせず、ただ静かに青年の祈りを見つめている。
彼女が青年に初めて出会ったのは、まだ、青年が年端もいかない少年だった頃。
父親に手を繋がれて、彼女に会いに来た。
彼女は基本的には必要な時以外は外に出る事は無く、静かに部屋の中で自らが呼び出される時を待っている。そんな彼女に会いに来る人間は限られれている。その数少ない人間である青年の父親が、この日初めて自分の息子を——跡継ぎを彼女の元へと連れてきた。
父親は恭しく彼女に頭を垂れて、少年にも追従するように促す。状況を理解しきれていない少年は、尊敬する父親のいう通りに彼女に頭を下げた。
顔を上げた少年が、目の前にいる彼女を無遠慮にじっと見つめている。けれど、子供のする事に、いちいち彼女が目くじらを立てる事は無い。
「……我が家の家督を継ぐという事は、彼女と一生を……人生の大半を共にする事」
厳粛な雰囲気の中で、真剣な間差しを彼女に向けている父親を隣で見上げ、少年は不思議そうに首を傾げる。
「……彼女?女性なのですか?」
まだ、性別の曖昧な容姿をした可愛らしい少年は、彼女に視線を戻して、子供特有の無垢な瞳に彼女を映す。
晴天の透き通る空の様な澄んだ青色の目を見て、彼女はその美しさに一瞬意識を飛ばして見惚れてしまった。
彼女は今までも沢山の人間達と出会い、彼女なりの誠意を込めてて対応してきたが、大概の人間達はその場限りの付き合いで終わってしまう。
それを寂しく思いながらも、それが彼女の役割なのだからと精一杯の真摯な対応を心がけてきた。けれど、心のどこかで、彼女は自分に寄り添ってくれる相手を求めていたのだと、彼女はこの時にようやく気が付いた。
らしくないと思いながらも、彼女は目の前で自分を見つめる少年の幸せと、出来る限り長く付き合っていけるようにと、目の前の少年に祈った。
少年は大人しい風貌とは裏腹に、少々やんちゃな所があり、父親の付き添いが無い日は暇を見ては独りで彼女の元を訪れた。
父親は少年がここを勝手に訪れている事に気が付いているようだったが、特に何も言わずに見逃していた。
彼女と向き合った少年は話しかける事も無く、ただ手元の作業に没頭していた。絵を描くのが好きらしく、スケッチブックに鉛筆で何かを書いているようだった。
彼の真剣なまなざしを見つめ返しながら、少年が何を書いているか知りたいと彼女は思ったが、彼の邪魔をしては悪いと思い、ただ静かに彼を見守っていた。
その日もいつもと同じように、青年は彼女の元を尋ねた。
父親が体を悪くして、家督を継いでから毎日のように彼女の元を訪れるようになった。彼女は父親の容体を気に掛けながらも、心の奥がふわりと温かくなるのを感じて、首を傾げた。
……体温が冷たい彼女は、ぬくもりという物を他人からしか感じた事は無かった。だというのに、青年が彼女の元を訪れる度に、そのぬくもりを覚えるようになっていった。
「今日もお務めを全うしよう。よろしく頼むよ。——レディ」
青年も彼の父親も彼女の事を、彼女かレディと呼ぶ。父親や他の者達に自らを呼ばれるたびに、彼女は嬉しく思っていたが、青年に呼ばれるのは一際心が躍る。
青年や他の従者たちに連れられて建物の外に出ると、青年の瞳のように澄んだ青空が広がり、温かな春の微風が彼女を撫でる。
「……良い天気だ。これなら、泥で君が無駄に汚れる事はない」
少年の頃の様に無邪気な表情を見せる事は減ったが、青年が穏やかな顔をしていると、彼女も自然と喜びを覚えた。
お役目を終えて部屋に戻った彼女の身だしなみを整えて、体の手入れを手ずから済ませた青年は、朝とは違い沈痛な面持ちをしていた。
仕事の後は大概は青年はこんな顔をしていて、それを見る度に彼女は悲しくなった。どうすれば彼は元気を取り戻してくれるのだろうと、彼女はいつも頭を悩ませていた。
彼女は殆どを部屋の中で過ごしていたせいで、是時には疎い。そもそもこれほどに心を砕いてきた人間はいなかったため、そういった経験も無い。それを今更ながらに嘆こうが、彼女にはどうする事も出来ない。得意分野でならともかく、人間を慰める事に関してはお手上げだった。
「……どうか、彼からに安らぎを……」
いつも教会で祈るように、青年は彼女の前に跪いて懺悔をする。
彼女はただその告解を聞く事しかできない。彼女は神でも、その声を聞き届ける神父でもない。彼女はただ、そこに居て青年を見守る事しかできない。
それを歯がゆいと思うようになったのは何時の事だろうか……。
青年に祈られる神を、彼に寄り添う事が出来る神父を羨ましく思うようになったのは、何時頃の事だろうか……。
彼女は今日も青年の懺悔を見届けるしかない。
彼女が外に連れ出されるときは、沢山の人間達を見かける。彼女と話すことも、彼女に触れる事も無いが、彼らは彼女を畏怖し、忌避し、そして彼女に救いを求める。
不特定多数の視線にさらされることに慣れた彼女は、特段何の感想もなく、そのざわめきを風の音や雨音の様に聞き流す。
時折、民衆の中から、強く、重く、あるいは熱い視線を彼女に向ける者達がいる。それは嬉しそうであったり、怒っていたり、悲しんでいたり、楽しげだったりする。
青年が彼女の前へと立ち、従者たちが白い質素な服を着た人間を連れてくる。年も性別もバラバラで、拒絶したり、叫んだり、誇らしげであったり、されるがままだったりと、反応も様々。
けれど一応に彼女の前に立つと、全員がその目に空虚な感情が広がっていく。
そうして、目が覚めたように暴れる者、神に祈る者、自らの埃に堂々と胸を張る者、皆、彼女の体が触れると静かになる。
その瞬間、彼女は歓喜を覚える。自らの存在意義を果たし、そして温かな他者の感触に胸が躍るのだ。
——そんな彼女と人間を、青年は静かに見守っている。
その時の青年は無表情で、声にも抑揚が無く淡々と決められた台詞を話して、連れて来られた人間が従者によって運び出されると、青年のその日の務めは終了する。
大衆の色とりどりの感情と視線の渦の中心には、青年と彼女だけが残される。
仕事をしている青年は誇り忘れず、けれどずっと厳しい表情で真っすぐに彼女を見つめている。
少し曇ってしまった青年の瞳を彼女は残念に思った。
時はゆったりと流れていき、何時かと同じように、青年は年端もいかない少年を連れてきた。少年は青年によく似ていたが、瞳の色は深い紺色をしていた。
青年は少年に、彼女の事を話し、恭しく頭を垂れた。少年はそれに習って礼儀を尽くした。
少年から向けられる無邪気な興味深々の視線を受けても、彼女の心は平時と変わらない。初めて青年に合った時と同じような感情は抱かなかったが、青年が少年を慈しむ姿は何時までも眺めていられた。
「私たちは彼女の事をレディと呼んで、代々引き継いできた。彼女はこの国を守るための刃であり、罪人にとっての贖罪であり、あるいは我々にとっての誇りであり、罪そのもの」
青年は少年の頭を優しく撫でながら、愛おしそうに物悲しそうに彼女を見た。
「もしかしたら、お前が彼女と外に出る事は無いかもしれない。できる事であれば、私の代で終わるのであれば、おそらくはそれが一番いい事なのだろう。私もそうなるように努力をするから、お前も私や、いつかできるお前の家族のために頑張るんだよ」
青年の声を聞くのが彼女の安らぎだったはずだというのに、その台詞がじわじわと彼女を不安にしていく。
青年の父親がそうであったように、青年もいつしか彼女の元を訪れる事が無くなってしまうのではないか、その可能性をが脳裏をよぎり、今まで感じた事が無いような耐え難い苦しみが胸を貫いた。
——本来は彼女は痛みなど感じはしない。
そもそも、感じる組織が彼女には無いのだから。
それどころか、本来であればこんな風に思考し、記憶を持ち、青年や景色を見る事もかなわない筈だ。
——彼女は罪人に苦痛を与えぬように処刑する断頭台なのだから。
青年はこの国の有力貴族の一人で、代々処刑執行人を務めてきた家柄。彼の父親も、その父親も、彼女を使って人を裁いてきた。
人は過ちを犯す。人は間違える。人は法で、あるいは罪悪感で、あるいは恐怖によって縛らなければ集団としてやってはいけない。
——必要悪。
善を示すために、正しさを示すために、彼らは悪を裁かなければならない。
彼女が人間と接する機会は、青年の一族を除けば、処刑が行われる瞬間しかない。最初は屋内で粛々と執り行われていたが、いつしか見せしめの意味も含めて環視の中、広場で行われるようになった。自らが人に触れる瞬間、その切り裂く肌の感触と、体温と、血液の暖かさしか知らない。
自らの役割を果たすことの充足感と興奮は、彼女にしか分からない。
けれど、青年に血をぬぐわれて、錆びないように、動作不良を起こさぬようにと念入りに手入れされる瞬間のぬくもりは、理由の分からない喜びと呼べる感情は、彼女には分からない物だった。
……私は、何?
そこで唐突に、彼女は『自分』という存在に思考を向けた。
気づいた時には既に彼女の思考が始まっており、目の前にいる人間の姿を捉えていた。それが誰だったのかは正確には覚えてはいない。けれど、彼の何代か前の当主だったはずだ。
夢から覚めた瞬間のように、朧げな意識と視界と、浅い水面に漂うような眠りを繰り返していた。
眠っていても耳から入る音が、彼女の微睡みに像を形成していく。ぼんやりとした記憶と結ばれた夢の景色が、彼女の思い出を紡いでいった。
そんな彼女の意識がはっきりと目覚めた時、——まだ少年だった彼と初めて出会った瞬間、……それが彼女にとっての本当の意味での目覚めだったのだと、今更ながらに彼女は気が付いた。
雪のように降り積もっていった歴代の処刑人たちの思いが、今代の当主によって形作られ、彩られ、確かな『彼女』となった。
「……だから、私は彼が愛おしいのか」
生まれて初めて彼女の声が生まれた瞬間だった。
誰に聞かれる事なく、宙に溶けて消えていった声。
けれど、彼女はそれを惜しいとは思わない。
彼女は確かにここにいて、青年がいる限り、彼女は何度でも声を生み出す事が出来るのだから。
——ある時期から、処刑される人間の数が随分と増えた。
外が騒がしくなり、教会への訪問者が増えた。皆、一応に疲れた顔をしていたが、異様に目がぎらぎらとしており、だというのにどんよりと濁っていた。
毎日、青年が彼女の元を訪れて、毎日教会で祈る。
青年も心なしか覇気が無く、草臥れて疲れ切っているようだったが、努めていつも通りに振舞っているのが、彼女にも分かった。
そんな日々を数えるのが面倒になるぐらいの時間が過ぎた時、ぱったりと処刑する人間がいなくなった。
教会を訪れる人数も平時の数に戻り、静かで緩やかな雰囲気が戻ってきた。
それでも青年は数日おきに彼女の元を訪れてくれて、手入れをしていてくれた。
——その日は唐突に訪れた。
「……レディ。この国では処刑方法が変わった。君が使われる事は……もうない」
青年は出会った頃よりずいぶんと年を取っていたが、それでも彼の優しく美しい青色の瞳は健在だった。
そのことが、彼女には何よりも嬉しい事だった。
「お疲れさま。今まで私たちの仕事を手伝ってくれてありがとう」
青年は頭を垂れて礼を尽くす。
その姿を彼女は静かに微笑んで見守っていた。
——彼女は最終的にとある博物館へと送られた。
そこはこの国の文化を残して伝えるためにと作られた施設で、青年は博物館の館長となっていた。
青年は変わらず彼女の元を訪れて、たわいのない話を聞かせてくれる。
「——レディ。昨日、孫が生まれた。……息子は私などよりも、ずっと聡明で思慮深い。幸いな事に、この国の官僚の一人をしている」
そういって青年は穏やかに微笑んだ。彼女も彼に微笑み返した。
例え、青年に見えていなくても、彼女は微笑んで彼の言葉を聞き続ける。
来館者は日によってまちまちで、散歩がてら青年に会いに訪れる町人、学校の歴史の授業で訪れる子供達と先生、観光に訪れた旅行客。人数も少なかったり多かったり、全く来ない日もあったが、博物館の中はいつも静謐で、まるで教会の中にいるようだった。
彼女は、自分が『何』であるか認識してからは、青年の真似をして、教会が建っているであろう方向を向いて、彼女には理解できないものに祈っている。
青年の幸せを、平穏な日常を、彼が愛する人々の幸せを祈る。
彼女には理解できない行為ではあったが、その時間は苦ではなく、青年が博物館にいないときは、微睡んでいるか祈っているかのどちらかだった。
青年以外にも職員はいて、彼らも彼女や他の展示物を大切に扱ってくれた。青年の体調が悪い時などは率先して働いてくれる、とても良い人たちだった。
その職員たちが、青年が運営していた孤児院の出身だと聞いたのは偶然だった。職員たちの中には、青年が処刑した人間の子供もいたが、それを知っていても誰も彼を恨んではいなかった。
もちろん子供の頃は、大切な家族を失った悲しみと怒りに囚われていたが、孤児院の質素だが足りた生活と、青年が熱心に孤児院を訪れて勉強を教えて、生きていくための自術を教えて学ばせ、奨学金の援助もしてくれた。
もちろん青年に無理なくできる範囲。自らの家族を養い、平穏な生活を守った上での話だ。彼は自分が善人だとも、優れているとも思ってはいない。自分はただの一介の人間、特別な事など何もない。
「私の出来る範囲で出来る事をする。それが大切な事だと思っている」
青年の口癖のような言葉は、個人院の子供達にも届いていて、職員たちも良く、その言葉を使った。
青年が博物館を訪れる事が週に一回か二回ほどになった頃、彼が館長を辞退する事になった。
職員の一人が後を引き継ぎ、他の職員たちもそれを補助して一丸となって新しい館長を支えた。
それと同時に彼女の傍に一枚の絵が飾られた。
微睡んでいる彼女の意識が浮かび上がり、人の気配がする方を見ると、そこには一枚の絵が飾られていた。
——それは、若き日の青年の肖像画。
彼女には見慣れた正装をして、生真面目そうに、真っ直ぐに背を伸ばして佇んでいる。
絵画を飾り終えた職員たちは、少し離れた所からじっと絵を見ながら楽しそうに話している。
「すごいな……。これ、館長が自分で描いたんだろう?」
「院にも絵は飾ってあったし、それなりに価値があるそうだから」
「……本当に、惜しい人だ。少しでも、長く生きて欲しい……」
絵の中に立つ青年に、彼女は泣きそうな顔をして微笑みかけた。
——どれだけの時が経ったのかは、彼女には分からない。
けれど、彼女はある予感を感じて、目を覚ました。
人気が無い、重い静寂が支配する博物館の中、天窓から差し込む月明かりの中へと、彼女はゆっくりと歩きだした。
展示物には決して当たらないように設計された天窓から、注ぐ柔らかな月明かりを浴びながら、暗い空にぽっかりと空いた美しい穴へと、彼女は手を伸ばした。
——気が付くと、彼女は見知らぬ部屋にいた。薄暗く、カーテンの隙間から差し込む月光が唯一の光源だった。行ったことも無い、見た事も無い場所ではあったが、よく知っている気配に満たされている。
不意に彼女は自身の背後の壁に、一枚の絵が飾られている事に気が付いた。
……私がいる。
博物館に飾られていた青年の絵と同じ額縁に飾られた、彼女の姿。
それを食い入るように見ていた彼女の後ろから、彼の声がした。
愛おしく、懐かしい、大切な、彼女の思い人。
「……レディ、なの、か……?」
弱々しくかすれた声だったが、彼女が聞き間違える事は無い。
ふわりとドレスの裾を揺らして、優雅な仕草で、彼の元に歩み寄った。
「——これは……夢……?いや……今わの際の夢……」
独り言をつぶやいて、彼は勝手に折り合いをつけて納得をしていた。そんな彼が横たわるベットの傍に立ち、彼女は優しく微笑んだ。
「……レディ。ああ……子供の頃に、……見た通り。初めて君に会いに行った日……、……数秒だったが、君を見た。後で、……父に聞いた。父も……、子供の頃に、……朧気だったが、女性の姿を見た、そうだ。……はっきりと君を見たのは、私が最初だと教えて……もらった」
彼は彼女の方を見て、ぼんやりとした表情のまま、透き通った青い瞳を輝かせていた。
「……レディ。私は、君、のことが、ずっと、すき、だった……。家族の事は何より大切で愛している。……それとは違う感覚。——未だに分からないが、分からないままだが、……君の事を忘れた事はない」
弱々しく微笑む彼を労わるように、彼女は微笑んでその話に耳を傾けていた。
彼の声が静かな部屋の中に溶けて消えていく。彼の命の炎が小さくなっていくのが彼女には分かった。
——だから、彼女はここに来たのだ。
彼女は徐に口を動かして、はじめて彼に向けて声を紡ぐ。最初で最後の彼女から、彼への言葉。
「好きです。私は、貴方を愛しています」
躊躇いも、誤魔化しも、手計も無い。ただ、彼女の中にある、彼への言葉。
それを聞いた彼は大きく目を見開いて、青い瞳に涙を浮かべる。そうして少しの間、彼女の言葉を彼の中で消化していく。
「……レディ。私の頼みを聞いてくれるかい?」
「ええ。そのために、私は貴方に会いに来た」
彼女は優雅な佇まいで、柔和な微笑みを浮かべて、彼に手を伸ばした。
「温かい。柔らかい。優しい手だ。ありがとう。レディ」
頬に触れた彼女の手に、彼の弱々しく細い手が重なる。その感触を二人は暫しの間、時の許す限り味わい続けた。不意に彼の手から力抜けて、ゆっくりとベットの上へと落ちていった。
——かしゃん、と近くて遠いどこかで、冷たくて優しい刃が地に落ちる音がした。
「……お休みなさい」
愛おし気に彼の頬を撫で、僅かに残っている感触とぬくもりを堪能した後、唐突に、彼女はいなくなった。
まるで空気に溶けるように、最初からそうだったように。彼女はあるべき所へと帰っていった。
——とある国の、とある町の、とある博物館には、国中から集められた貴重な品々が飾られている。
その国の文化と歴史を伝える博物館は人々に愛され、展示物たちはとても大切にされている。
その中には、少し風変わりな品として、微笑み合う、二枚の男女の絵が飾られている。
この国で最も長く使われ続けた断頭台すぐ傍に、おそろいの意匠の額縁と、丁寧に繊細に描かれた絵画は、それからもずっと並んで微笑み合っている。
断頭台が見る夢 @hinorisa
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