第35話 ゴブリンのお肉
「ヤーク様!」
尻餅をついてしまった俺に、慌てたようにアンジーが駆け寄ってくる。そこまで心配しなくても大丈夫だと笑いかけるが、なおもアンジーの表情はすぐれない。
……そうか、さっき無数に岩の弾丸を浴びたから。腕や足に、擦り傷がたくさん刻まれてしまっている。
「今、治療を……"
「!」
アンジーは目線を俺に合わせてしゃがみ、俺の胸元へと手をかざし、回復魔法の呪文を唱える。その手のひらからはほんのりとあたたかな、緑色の光が表れる。その光が、全身を包み込んでいく。
数秒と経たず、体に刻まれた無数の傷は、塞がっていく。
「ありがとう、アンジー」
「いえ。それよりも、お見事でしたよ」
傷を治してくれたことについてお礼を言うが、お礼は必要ないと首を横に振る。直後、先ほどの戦闘を称えるように、アンジーが優しく微笑んでくる。
……なんだろう、妙にむず痒いな。
「いや、まだまだだよ」
「そんなことありません。ヤーク様のご年齢で、子供とはいえゴブリンを退治するなど、そうそうできるものではありませんよ」
それを聞いて、ゴブリンを見る。ゴブリンは先ほどのダメージが残っているようで、その場に伸びていた。このまま、とどめを刺そうと思えばそれも可能だろう。
ゴブリンを……モンスターを、俺が倒した。……そっか、転生前の俺はモンスターに遭遇したことはあってもすぐに仲間が倒して、ましてやひとりで倒すなんて、そんな経験はなかったんだ。
だからアンジーに……誰かに、褒められたことが。評価されたことが、嬉しいんだ。
「! や、ヤーク様!? どうなさいました!?」
「へ……?」
突然、アンジーが何事か焦ったような声を上げる。その視線が向いているのは俺の顔だ。
ふと、頬をなにかが流れていく感覚があった。それを指ですくうと……涙だ。俺は、涙を流していた。自分でも意識していないのに。
「まだどこか、痛むのですか? ひ、"
「だ、大丈夫だから!」
痛みは、ない。回復魔術のおかげで傷は塞がり、痛みまでなくなっているのだから。だから涙の理由は、痛みではない。
まさか、褒められたことが涙を流すほどに嬉しかったのか? それとも、実はモンスターとの戦闘にビビっていて、緊張の糸が切れたせいか? ……どっちにしろ、情けねえ。
その後、涙が止まるまでにそんなに時間はかからなかった。
「ほ、本当に大丈夫ですか?」
「問題ないって!」
アンジーにはまたも情けないところを見せてしまった。そりゃ、転生直後の小さい頃はいやに泣いたり、粗相をしたり……恥ずかしいなんて感情は今更だが、それが8歳になってまでともなれば話は別だ。その年でモンスター戦闘で涙を流すなんて……
もっとも、その疑念を正直に話したところで、俺の今の年齢なら当然だ、とか言われそうだが。
「こほん。ところで……このゴブリン、どうしよっか」
話をそらすためにも、未だ伸びているゴブリンへと話題転換。気絶したままとはいえ、いつまでもここにいてはいずれ目を覚ますだろう。
聞くまでもなく、ゴブリンを放置して進めばいいのかもしれないが……ここは一応、一人旅の経験があるアンジーの意見を聞いておきたい。
「そうですね……もしもウルフやハーピィなら、食用として活用するところですが……ゴブリンのお肉は、美味しくないんですよね」
なんだか怖いことを言い始めた。
「生肉だと腐ったような味がして、とても食べられたものではありません。まあ生肉が危険なのは他のモンスターでも同じなのですが、ゴブリンのお肉はレベルが違いますね。焼けば幾分マシになりますが、それでもゴブリンのお肉を口にするのはなにも食料がなくなり、もう食べないと限界、というところまで手をつけたくないですね。まだ非常用の食料もありますし、いくら節約のためとはいえゴブリンのお肉は……」
「ちょちょ、ちょっと待った!」
なんだか怖いことを語り始めた! まずいならまずい、食べないなら食べないでそれでいいんだよ?
……それにしても、今の口振り……
「もしかしてアンジー、ゴブリンのお肉を……?」
「……」
小さく、頷いた。
マジか、アンジーゴブリンのお肉経験者だったのか。
「それは、ひとり旅のときに?」
「えぇ。食べるものが底を尽き、襲ってきたモンスターを倒したのです。それがゴブリンでした。ゴブリンのお肉は食用には向いていない、しかしきちんと調理すれば食べられると本で読んだことがあったので……」
「うんうん」
「焼いて食べました」
そっか、焼いて食べたのか……調理方法のせいなのでは?
「まず、本の知識だけではわからないこともあるので生でお肉を食べたのですが……せっかく胃の中にあった者が全部無駄になってしまいました。次に、焼いたら少しはマシになるとおもったのですが、本当に少しマシになった程度でした。あんなもの二度と食べたくない」
「そうなんだ、それは……災難だったね」
「エルフ族と人族は、味覚は同じらしいので……間違っても、エルフ族にとってまずいだけだろうって気持ちで食べてはいけませんよ」
「わ、わかった」
めちゃくちゃ念押ししてくるな……そんなにまずいのか。味覚も同じだから、やめておけと。
そういや、エーネも俺たちと同じものを食べて、同じような反応をしていたな。もちろん、人間同士でも個人差があるようにエルフも食べられない者はあるだろうが、それだけのことか。
ゴブリンのお肉は食べられない、と……なら、このゴブリンは放置か……
「なので、このゴブリンは、こうしてやります……おりゃあ!」
「アンジー!?」
ゴブリンを放置して先へ進もう……そう考えていたところへ、アンジーが突然、ゴブリンを蹴り飛ばした。頭をボールのように蹴り、その体は吹き飛んでいく。
「なんで今蹴ったの!? もしかしてまずかったから!? そんなにまずかったの思い出したから!?」
「それもありますが……ヤーク様を、傷つけた報いをと思いまして……」
それもあるんだ……
ゴブリンの姿が見えなくなったのを確認してから、俺たちは先へと進む。なんだか、アンジーの知られざる一面を知ってばかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます