第31話 ルオールの森林に向けての旅



 目的地、エルフの森……正式名称は『ルオールの森林』と言うらしい。エルフの森というのは俺たち人族が勝手にそう呼んでいるだけだ。エルフ族が自分たちの故郷をエルフの森、なんて呼ぶのはおかしいだろう。


 ルオールというのは、遥か昔……長寿であるアンジーの親の親の、とにかくそれほどの昔に実在した、ひとりのエルフらしい。ルオールという名のエルフは、当時居場所のないエルフたちを集め、誰にも迷惑をかけないかけられない場所を作った。それがエルフの森。


 当時のエルフがどういう存在だったのかは知らないが、人族や魔族よりも圧倒的に数が少なく、同族で暮らすにもなにかと不便があったようだ。だから、同族だけの居場所を作ろうと、ルオールというエルフが働きかけた。


 エルフが集まり、暮らしていくうちそこは彼らの居場所となっていった。その後どういう経緯で『ルオールの森林』という名前がついたのか定かではないが、エルフ族を纏めあげたそのルオールというエルフを讃えて、誰かが名付けたのだろう。


 それが、こうしてアンジーの代まで伝わっている。



「いくらエルフでも、寿命はあります。もうずいぶん前にお亡くなりになって、今では銅像が立てられているんですよ」


「それはすごい」



 エルフの長、といったところだろうか。各地にいたエルフを集め、それから遥かに長い時間を暮らしていける地盤を作ったのだから。エルフの英雄、という呼び方でもいいかもしれない。


 ……エルフの森についてアンジーから聞くうち、元々の名前はなんなのかという話になった。その結果、今のやり取りへと繋がったわけだ。今まで読んだ書物にも、エルフの森とはあっても正式名称は載っていなかった。


 その、エルフの住む森『ルオールの森林』……そこには、俺のかつての仲間が、エーネが、いる可能性が高い。アンジーとの会話で、その可能性が生まれてきた。



「……」



 エーネ……エルフと人間の間に生まれた少女ハーフエルフ。その生い立ちが生い立ちなだけに、多分苦労して育ってきたんだろう。


 が、アンジーの様子を見るに、少なくともアンジーとの仲は良好なようだ。それに、少なくとも1年前まではエルフの森にいたのなら……自分にとって住みにくい場所、というわけでもないのだろう。


 彼女はかつての俺の仲間で、共に戦った同志……しかし、最後の最後で、彼女は俺を見捨てた。もちろん彼女だけではない。彼女を含め、ガラドに刺された俺を助けようとさえもしてくれる人は、いなかった。


 もしもこれから行くエルフの森『ルオールの森林』にエーネがいるのなら……その時の真意を、聞くことができるかもしれない。なぜお前たちは俺を見捨てたのか。なぜあの男は俺を刺し殺したのか。なぜ……



「ヤーク様?」


「! あぁ、いやなんでも……」



 いかんいかん、考え事に夢中で黙りこんでしまった。悪い癖だなこれは。


 ともあれ、エーネの真意を探るにしても、俺の立場を正直に話して素直に信じてもらえるか、疑問はある。まさか殺されて転生して、しかも殺した男の息子になっているなんて、悪い冗談としか思えない。あるいは、転生云々の情報は話さないで、うまく聞き出す方法でもあればいいが……


 目的は『竜王』の、いやあの本に書いてあることはなにが真実なのかを聞くために、アンジーの祖父に会うためにエルフの森へと向かっていた。が、さらに知りたいことができてしまった……俺にとって、とても大切なことだ。



「……実は、アンジーの知り合いだという人のことを考えてて。アンジーを紹介してくれたおかげで、こうしてアンジーと仲良くなることができた。そのお礼をしたいなって……」


「ヤーク様……!」


「! そ、それに父上と母上と旅をするほどの仲なら、一度ご挨拶もしておきたいですし」



 な、なんかアンジーが泣きそうだ……慌ててしまったが、アンジーと仲良くのくだりがそんなに感動したのか?


 とにかく、そういう理由でもあれば、エーネに会うことも難しくはないだろう。アンジーを利用するようで少し気が引けるが、ここは目をつぶるとして。


 優先目標は、もちろん『竜王』諸々の情報収集。だが、エーネに会えれば俺が知りたいことの答えも得られるかもしれない……これだけは、無視できない事柄だ。いなければ諦めるが、いたら……そのために、どうやって話を聞き出すか考えておかないと。



「! ヤーク様」


「ん?」



 ふと、アンジーが俺の前に手を伸ばし、ストップをかける。何事かと止まり、アンジーを見上げると、なにやら険しい表情。


 その視線の先をたどると……



「モンスター……!」



 そこには、モンスターがいた。四足歩行の、鋭い牙を持つ獣……白い毛並み。あれはホワイトウルフというやつだろう。転生前、何度か見たことがある。


 基本的に群れで行動しているタイプだが、周囲を見渡したところ他の個体は見当たらない。遮蔽物もないし、どこかに隠れているということもなさそうだ。


 問題は、あのモンスターが人を襲うタイプかってことだ。モンスターは皆が皆人を襲うわけではないし、このままなにもなければスルーしても問題ないのだが……



「あ、ダメだ」



 グルルルと唸り、涎を垂らしている。そして迷うことなく俺たちへと狙いを定め、駆け走ってくる。あの目、確実に餌を前にしたときのものだ。


 ホワイトウルフは、毛並みが白いだけで普通のウルフとたいした違いはない。皮膚が少し硬いってことくらいか。その足の速度は人が逃げても追いつかれるほどに速く、そこは注意しなければならない。



「アンジー下がってて、ここは俺が……」



 腰に刺した木刀を、抜く。旅出す直前、持ってきたものだ。いつも剣の稽古のために使用しているものでもある。


 真剣ではないが、木刀でも意外と威力があるとは先生の言葉だ。現に、先生は木刀で岩を砕いていたりもしたし。


 もちろん、実戦……というか、生き物相手に使うのは初めてだ。だが、いい機会だ、このへんで俺の実力がどの程度あるか確かめて……



「せぇい!」


「!?」



 迫り来るホワイトウルフを迎えうつため構えていたが、隣にいたはずのアンジーが飛び出す。まるでホワイトウルフに突進するような動き、両者の体が衝突する……その直前に、アンジーは腰に手を回し、なにかを振るう。



「っキャン……!」



 アンジーの手に握られているのは、木刀……その先端がホワイトウルフの横っ面にめり込んでいた。さっき手を腰に回していたのは、木刀を手にするためか……木刀を隠し持っていたのか? メイド服の、長いスカートの下に?


 ホワイトウルフは、情けない音を上げて地面に打ち突かれる。



「アンジー……あ、まだ……!」



 今の動き、とてもただのメイドのものとは思えない。その事実に驚き、なんと声をかけようか迷っていると、弱々しく震えながらだがホワイトウルフが、立ち上がる。


 その目には、完全に敵意が宿っている。食事を邪魔されたことへの怒りが、低く唸り、吠える。



「……来なさい」



 しかしアンジーは怯むことなく、ホワイトウルフを見据えている。言葉が伝わったのかはわからない、しかしアンジーの言葉に答えるように、ホワイトウルフが再び迫る。今度はアンジーは、突っ立ったままだ。



「アンジー!?」



 棒立ちのアンジー、その場所へと鋭い爪が振るわれる。飛び上がったホワイトウルフの爪にその細い体は無残にも切り刻まれ、ホワイトウルフの爪が赤い血に染まる……


 ……ことはなかった。



「っ?」


「見えていますよ」



 アンジーは、そこにいた。ホワイトウルフの爪から逃れていた。一歩間違えれば切り刻まれていたというのに、顔色ひとつ変えず。


 まさかホワイトウルフが、外した……のか? ……いや違う。アンジーは避けたんだ。その場に立ったまま、ただ体を少しだけ横にずらすだけで。



「はぁ!」



 爪が空振りし、ホワイトウルフは飛び上がった状態で無防備だ。その無防備な腹部へと、裏拳の要領で一回転し勢いを乗せたアンジーの木刀が、打ち込まれる。



「ごおっ、えぇ……!」



 まるで虫でもつぶしたようなか細い叫び声が響き、打ち上げられたホワイトウルフの体は空中に……飛ぶ前に、今度は背中へと木刀が振り落とされる。


 メキメキ……と、嫌な音を耳に残して。



「がぅ……!」


「去りなさい。また襲ってくるようなら、容赦はしませんよ」


「きゅぅ……」



 その場に倒れていたホワイトウルフが、アンジーの言葉に、視線に肩を振るわせ、よろよろと立ち上がる。今にも倒れてしまいそうだ。頬と腹部に一発ずつ、そして背中へのそれはとどめとなった一撃。痛いどころじゃないだろう。


 情けない声を漏らしながら、ふらついた足取りで歩いていく。その先はアンジーでも俺の所でもなく、背を向け去っていく。その背中には、先ほど俺たちを襲ってきた勇ましさはどこにもなかった。


 ……アンジーがホワイトウルフを追い払った。それだけなら字面的にもまだいいが、実際には恐怖に屈したのだ、モンスターが。モンスターを恐怖で追い払うって……



「あ、ぁ……」


「ふぅ……あ、ヤーク様、終わりましたよ」


「あ、うん……はい、そうですね……」



 正直、アンジーを甘く見ていた。旅の経験があるから、両親も信頼しているのだと思っていた。


 考えてみれば、わかったことだ。アンジーのような女性がひとり旅……いくら若干平和になった世の中といえど、簡単な話ではないと。いくら旅の知識があっても、なんの備えもなく長い道のりを越えられるはずがないと。


 アンジーは……戦えるメイドってやつだ!



「とりあえず……行きましょうか」


「なんで敬語なんですかヤーク様!?」



 いやだって……あんな、畜生を見るような目を見てしまったらさ。まあ実際相手は畜生だったわけだけど。


 あのような一方的な戦い……いや、戦いとすら呼べない。相手が獣とはいえ、戦い慣れしていない人ではあそこまで機敏に動けない。モンスターに襲われた時点で、腰を抜かしてしまうだろう。


 実際俺がそうだったし……



「ははは、アンジーは頼りになりますねぇ」


「敬語やめてください!」



 とにかく、俺は決めた……アンジーには、逆らわないようにしようと。

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