元気、やる気、反抗期あるいは生意気
そんな波乱に満ちた週も過ぎ去っていき、日奈は月に一度の健康診断のため、富士の営む診療所を訪れていた。
診療所とはいっても、建造物の外観は古本屋だ。医療関係の本のみを取り扱う変わった店と思われており、客はほとんど寄りつかない。
そんなところに制服姿の日奈が通っているのだから、同級生にでも見られたら変な噂が流れるに違いないだろう。
かび臭い本棚の奥、店内唯一の扉を抜けると、途端に消毒液の臭いが鼻を刺す。室内には多数のベッドと診察用のパイプ椅子がある以外、特別目を引くものがない。ミニマルというよりも簡素な一室というのが、日奈の印象だった。
「でさ、聞いてよ富士先生! もう復興祭まで時間ないのに、メイド喫茶で何出すかも決まってないんだよ!」
「深山さん、心拍を図ってるのであまり興奮されると……」
「これが興奮しないでいられるかっての! アタシ、代表になってきっかけは最悪だけど、結構真面目にやってたんだよ? 最近は魔女の被害もほとんどなくて、代表の仕事に専念できたからさ。けど、その結果がこれとか、アタシ不甲斐なさすぎるよー……」
もう日奈を黙らせることを諦めた富士は、聴診器から手を離し、ズレた眼鏡をかけ直す。この丸眼鏡がなければ、至近距離でも患者の顔は見えないと富士は言っていた。暗がりで本を読むから、というのは客観的に見れば明らかなのだが、当の本人は一切自覚がなかった。
「不甲斐ないなんて難しい言葉、よく知ってますね」
「む、なんだー? もしかして富士先生、アタシのこと舐めてるな?」
「いえ、そんなことは……」
富士の反応は、図星であることを隠そうとはしていなかった。実際、日奈の成績はこの程度で感心されるほどではあった。だから怒ろうという気はない。それどころか、気弱な富士を弄ろうとしていただけだった。
「そ、そろそろ診察の続きを……いいですか?」
誤魔化すように咳払いをして、富士はおずおずと申し出る。
「うん、いつでもおっけーだよ」
「肺の動きを確認します。深呼吸してみてください」
「すーっ……はーっ……」
「はい、問題なさそうです。呪いの方も、特に発現は見られませんね」
富士から見て、日奈の外見に呪いの発現は認められていない。
桜の呪いは、体に桜の模様が浮かび上がるところから始まる。いずれその模様が全身を覆い、最期は異能者自身を桜の花に変えてしまうのだ。
体に桜の模様がないこと、それが呪いに犯されていないという証明に他ならなかった。
「もち! 見ての通り、アタシは絶好調だし!」
日奈はサムズアップしたまま、くしゃりと笑う。
その笑顔に、富士も力の抜けた笑みを見せた。
呪いの進行を抑えようと、富士も日夜研究に励んでいるが中々成果は出ていないらしい。自分が桜の魔女を倒すのが先か、富士の技術の進歩が先か、研究の進捗は日奈も気になるところではあった。
もう一つ、日奈の中で気になっていることがあった。首元のチョーカーを弄りながら、日奈は富士に問いかける。
「そういえば、朱美さんは大丈夫そう?」
「雲竜さんですか……最近はここにも来ませんし、社長も行方が掴めてないとか……」
富士の話を聞いて、日奈は頭を抱える。
「あちゃー……。もし見つけたら、アタシの方から言っとくね。たまには顔を見せなさいって!」
「あの呪いの進行状況だと、いつ倒れてしまうかも分かりませんし。できればしっかりと休んでいただきたいんですが……」
富士の心配はもっともだ。呪いが全身に広がるほど体の自由は効かなくなり、普通に生活を送るのも難しくなる。そうして呪いに蝕まれる異能者たちを、富士は何人も見てきた。そして、見送ってきた。
最後の診察メモによると、朱美の体の右半分はすでに桜の模様に埋め尽くされていた。残り半分と悠長に考えてもいられない。大抵の異能者は、全身に呪いが広がる前に死を迎えてしまうのだから。
「うーん……アタシが言うのもなんだけどさ、朱美さんは元気にやってるって! ほら、連絡取れないのは反抗期みたいなさ!」
「……そうですね。大学生だって、反抗期にくらいなりますよね」
「そうそう! アタシも、はげちゃびんとは毎日バチバチやってるからね!」
そう言って日奈は、自分の平手に何度も拳を打ちつける。
日奈からの又聞きでしか大内の情報を知らない富士は、本当に日奈と”はげちゃびん”とやらが拳を交えているのだと信じ込んでいた。
圧倒された富士の口から、「それは反抗期ではなく生意気なのでは」という無粋なツッコミが出ることはなかった。
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