Case01.飾の魔女#7

 ――遡ること一時間ほど前。日奈は錦邸のリビングで、奈落を見下ろしていた。

 飾の魔女が行方をくらました後、リビングの床に扉があることを発見し、調査しようということになったのだ。


「これ、中はどうなってるんだろ?」


 スマホのライトで照らしながら、日奈は首を傾げる。一見床下収納に見えるそこには、一寸先から闇しか広がっていなかった。

 ここに何かを入れても暗黒へと消えていくだけ。そう思った日奈は、試しに床に転がっていたテーブルの破片を落としてみる。


 暫しの静寂の後、ポチャリと水音が立ったのを日奈は聞き逃さなかった。


「……ははーん、ここからだな?」


 地下へと通じるこの場所が、飾の魔女の脱出経路に違いないと日奈は結論づけた。


「怜ー、この地下水路がどこに繋がってるか分かる?」


「市内のほぼ全域。マンホールから出ることを考えたら、候補はいくらでもある」


「そっかー……」


 日奈は言葉尻をぼかすと、上に向かって伸ばした人差し指をくるくると回す。何を感じ取ったのか、日奈はその指でおもむろに左を指した。


「こっち側……北西にいると思う」


「根拠は?」


「んー……なんとなくなんだけど、ネイルチップが呼んでる、みたいな?」


 ”ひとりあそびリストカット”は思いを放つ力。掠った程度の残滓でも、使用者であれば辿れるのかもしれない。

 といっても、本人にも曖昧な感覚のため信憑性は薄かった。


 日頃快活な日奈も、珍しく自信なさげな様子だ。しかし、それを聞いた怜は通信の向こうで笑みを零す。


「分かった、日奈の直感を信じる。それに――これくらいの方が張り合いがあるってものだよ」


 ハーゲンダッツに相応しいと言わんばかりに、怜はやる気を見せる。


「市内のカメラをハッキングして、ここから北西方向のマンホールを全部見張る」


「それってすごい数なんじゃない?!」


「”孤独の論理ロンリーロンリー”なら、これくらい余裕。怪しい人を見つけたら連絡入れるから、日奈はいつでも動けるようにしておいて」


「おっけー。……あ、そうだ! 制服に着替えたいし、一回家帰ろうかな」


 たしかに、宅配業者に扮したままでは飾の魔女に警戒される。だが、どうして制服なのだろうか。怜の無言の疑問は、続けた日奈の言葉で解消される。


「名付けて、美人局作戦! JKの勝負服といったら制服っしょ!」


 結果、日奈の目論見は成功し、飾の魔女は彼女の足元で倒れている。太ももを撃ち抜かれ、飾の魔女は路上に這いつくばっていた。

 飾の魔女は日奈を憎悪を剥き出しにした眼で見上げ、声を荒げる。


「どうして、どうして私が私だと分かった!」


「だからマンホール見張ってたからだって……聞いてなかった?」


「それくらいは私も警戒していた! 私が聞きたいのは、地上に出てからの話よ!」


 実際、飾の魔女は逃げることに長けていた。マンホールから出てきた怪しい少年は、物陰に隠れた後、二度と姿を現さなかった。代わりに現れたのは、小太りの男性。怜のドローンでも変身の瞬間は捉えられず、確定していた背中は五分五分となってしまった。

 であれば、どうして日奈はこの男性が飾の魔女だと断ずることができたのか。飾の魔女の問いは、それを追究するものだった。


「それはね、ここだよ」


 日奈は、ネイルチップの取れた指先で自分の右目を示す。


「癖ってさ、自分じゃ分からないから怖いよね。右目のまぶたが痙攣するなんて、すっごい分かりやすいのに」


「なっ……!」


 思いがけず癖を指摘され、飾の魔女は言葉に詰まる。

 癖だけは、どれだけ外見を変え、別人の皮を被ろうとも偽れなかったのだ。いや、自覚さえしていれば矯正できたかもしれない。口調や所作のように。


「そしたら今度はアタシから質問。桜の魔女について、何か知ってることはある?」


「ふん、魔女同士なら知ってるとでも思ったの? ……私は何も知らないわ」


 吐き捨てるようにそう言って、飾の魔女は顔を背ける。

 万屋設立以来、桜の魔女はその姿を隠し続けている。異能者を蝕む桜の呪いだけが、桜の魔女が生きていることを証明する手がかりだった。


 日奈は耳に装着していた通信機を外すと、飾の魔女を見下ろして問う。


「じゃあ質問を変えるね。ロケットを持ってる魔女に心当たりは?」


「……っ! どうしてそれを――」


 そこまで言いかけて、飾の魔女は自分が口を滑らせたことに気付く。


「あなた、どこまで知ってるの……」


 飾の魔女の瞳が恐怖に染まる。これ以上は、聞いても拒絶されると日奈は判断した。


「さぁね? 有識者からの情報だったからアタシも疑ってたんだけど……あなたに聞いて正解だったみたい。おかげで確信が持てた」


 腰を上げた日奈は、銃を象った右手を飾の魔女に向け、止めを刺そうとする。

 その時、飾の魔女の外見が徐々に変化し始めた。だが、それは異能の力ではない。覆っていたものが剥がれていき、ついに飾の魔女自身の容姿が露わになったのだ。


 ボサボサの髪に目元に散ったそばかす、酷いクマと痩せこけた頬。化けの皮が剥がれた今、飾の魔女の正体は余計に惨めに映った。


「それがあなたの正体……」


「そう、これが本当の私。醜いでしょ? ねぇ、醜いって言いなさいよ……」


「そんなこと、知らないよ」


「……は?」


 涙を流す飾の魔女に、日奈は毅然とした態度で応じる。


「醜いかどうかなんて、他人に決められるものじゃないでしょ? アタシだって、誰かを可愛いとか綺麗だって思うことくらいあるよ。でも、それはアタシもこうなりたいって、憧れを持ってるだけ。アタシは、自分が可愛いって思える自分でありたい。そこに、他人からの評価は一ミリも関係ない」


 強く、真っ直ぐな声で日奈は言う。

 日奈の矜持は、飾の魔女のそれと正反対のものだった。他人に評価されるかではなく、自分が評価できるか。それこそが美しさの本質であると、日奈は言いたかったのだ。


「自分で自分を醜いって思っちゃったら、他の誰があなたを認めてあげるの?」


「それはっ……! でも! 私はあなたみたいに恵まれた人間じゃない! あなただって私と同じ目に遭えば――」


「それでも! アタシは人を殺したりはしない」


「……くっ、ふふふふっ……魔女狩りのあなたがそれを言うのね……」


「アタシが殺すのは魔女だけ。だから、あなたを撃つことは躊躇わないよ」


 銃を象った右手に力が込められる。


「言い残すことはある?」


「哀れね……」


 その一言は自分自身に対してか、それとも日奈に対してのものだったのか。

 銃口を向けられているというのに、飾の魔女は穏やかな表情をしていた。


 その表情に、日奈は自分の思いが通じたと信じて、引き金を引く。

 飾の魔女の命は、路地で儚く散った。

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