Case01.飾の魔女#6

 オフィス街の人ごみを縫って、一人の男が歩いていた。

 その男は小太りで、自信がなさそうに背筋を丸めている。けれども口元に讃えているのは不敵な笑みであり、不気味と形容する他ない。左頬には線を引いたような擦り傷。肌と傷口の色が近く、なぞっていなければそれが傷であるとは思わないだろう。――もしくは、傷をつけた張本人でなければ。


(よし、逃げってやったぞ……!)


 男は、全身を襲う達成感に路上でガッツポーズを決めてしまいそうになる。だが、そんなことで目立ってはこれまでの苦労が台無しだ。喜ぶのは胸中だけで済ませたつもりが、つい口角が上がってしまう。


(ここで態勢を立て直し、機を窺ってあの魔女狩りを!)


 いかんいかん、男は首を振る。性別まで変えるとなると、どうにも口調が引っ張られる。万能の変身能力を持つ”あいつらこいつらディスガイズ”にも、この程度の弱点はある。錦邸での攻防では、まだ第二次性徴を迎える前の少年だったから自我の維持が容易だっただけの話だ。


(さて、あの外道をどう調理してやろうかしら)


 傷が残る間は、誰に変わろうとも頬にそれが現れる。まるで烙印のごとく、尊厳にひびを入れられた気分だった。キープしていたお気に入りの数々も、これでは中古品も同然だと男は落胆する。


(とっとと逃げおおせて、早く若いやつの肉体で再生をしないと……)


 もし、自分の顔に消えることのない傷がついたら。そう考えるだけで男は震えを抑えられなかった。せっかく手に入れた異能、美しい器の数々が水泡に帰してしまったら――


(あの頃に戻るのだけは、なんとしても防がなければ……!)


 男の中で決意がより固まったところで、肩に軽い衝撃を受ける。

 見ると、派手な髪色をした少女とすれ違いざまにぶつかったらしい。体格のいい今の体には、少女の体当たりはひどく弱々しく伝わる。


「きゃっ、ごめんなさい……」


「いえ、お気になさらず」


 咄嗟に出た言葉が、自分のものか元の男のものなのか判断がつかなくなっていた。薄汚い姿でいるだけでも我慢ならないのに、いよいよそれに人格までも浸食されようというのか。男は次第に焦り始めていた。


「わぁ、おじさんすごい格好いいじゃん! ねぇねぇ、アタシと遊ばない?」


「いや、私は……」


 痙攣した右まぶたは、男の動揺を表しているようだった。


(なんなんだこの女は……!)


 男に危険信号が鳴る。しかし、よく見れば美しい少女だった。背丈は程々で、スタイルも良く顔もいい。黒いチョーカーはトレードマークといったところか。セーラー服を着ているところからして、おそらく学生だろうと男は瞬時に値踏みを済ませる。

 男は焦っていた。できるだけ早く、若い女の体に移りたいと渇望していた。そんな男にとって、目の前の少女は渡りに船。


(アクセサリーとかは若気の至りって感じだけど、その辺は体を奪ってから考えればいいわ)


「こんなおじさんと遊んでいただけるなんて、嬉しいですな。しかし、こうも人目が多いところだと……」


「それならさ、あっちの方とかどう? アタシ、サービスしちゃうよー」


 少女は、昼過ぎでも仄暗い路地に男を押しやる。


(ふん、その手のサービスで金銭を巻き上げるつもりか。まぁいい、せいぜい自分が狩人だと思って油断しておくんだな……)


 男は自分こそが相手を獲物としか見ていないと自覚していなかった。飢えた獣の思考は、鼻先に吊るされた上質な肉に占有されていた。


「ほらほら、ここなら誰にも見られないでしょ?」


「ああ……」


(早く! 早く隙を見せろ! 早く私のものになれ!)


「おじさん鼻息荒いよー? そんなに楽しみなら、早速しよっか」


 少女は男の首に手を回し、耳に口を近づける。吐かれた息の温かさ、こそばゆさに対する身震いが、男には絶頂へのカウントダウンにも思えた。


「はい――魔女さん、捕まえた」


「――っ……!」


 ゾクリと、男の背筋が冷える。そしてこの身震いは、恐怖そのものとしか言い表せなかった。

 その怯えが反応を鈍らせる。火照った体にいきなり冷や水を浴びせられ、男の頭は事態を正常に処理しきれなかった。


 不意に足元に激痛が走る。光沢が出るまで磨かれた革靴、そのつま先に小さな穴が空いていた。そこから溢れてくるのは、大量の血液。


「がっ……! い、痛い……!」


 ようやく自分が撃たれたのだと気付くと、途端に脳が痛みを訴え続けてくる。認識してしまった今、もう目を逸らすことはできない。

 思わず膝をついた男の両の太ももに、続けざまに二発の弾丸がお見舞いされる。


「さーて、これならお得意の変装でも逃げられないよね」


「お、お前は……!」


 男は聞かずとも分かっていた。今、下半身を襲う燃えるような痛みの正体。それが、ついさっき自分の頬を掠めたものであると。


「んじゃ、改めて。――桃猫ハナコ、魔女狩りのお届けに参りました」

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