Case01.飾の魔女#3

「ただいまー」


 日奈の帰宅に同居人からの応答はない。

 手洗いとうがいを済ませ、仏壇の母親に手を合わせる。


 そこまで終えても、声どころか物音すら聞こえてこない。むっとした日奈は、ズカズカと廊下を進んでいき部屋の扉を勢いよく開く。


「た・だ・い・ま!」


「……あ、おはへり」


 真っ黒なスウェットに身を包んだ怜は、スプーンを口に咥えたまま答える。

 椅子にだらりともたれ、複数枚のディスプレイだけが光源の部屋に住まう姿は、学校での洗練された佇まいとは大違いだ。


 サイドテーブル――いつからか物置き台となってしまったそこには、空になったカップ型アイスが五つ。下校してから今まででこれだけ食べ、今まさに六つ目を手にかけているところだった。


「ちょっと怜、アイスは五つまでって話だったでしょ?」


「ひょうがないれひょ、わらひのいのうはあはまふかうんらはら」


「……何言ってるかさっぱりなんだけど」


「しょうがないでしょ、私の異能は頭使うんだから」


 スプーンさえなければ、こうして流暢な発音で紡がれる。家での様子を知っている日奈的には、怜がどうして学校で擬態できているのかは疑問だった。クラスのみんなも先生だって、怜はお淑やかで美しいと信じ込んでいる。本当の彼女は、こんなにも愉快だというのに。


(まぁ、美しいってのは間違いじゃないけど)


 それはそれとして、だ。

 日奈は床に散乱した脱ぎっぱなしの制服に目をやる。


 濃紺色のスカートは輪状に丸まっており、これの原形がセーラー服だと聞けば目を疑うだろう。


「……うわ、しわくちゃだ。これ、明日も着てくんだよ?」


「家出る前にアイロンかければ問題ない。っていうか、明日は任務なんだから学校行かないでしょ」


「あ、そっか。スクバの盗聴器聞いてたんだ」


「ん」


 怜はまたアイスを一口頬張りながら頷く。

 日奈の持ち歩くスクールバッグ(通称スクバ)は、怜によって改造を施された特別仕様だ。中に搭載された盗聴器でキャッチした音信号を、怜は自由に聞くことができる。下校前の大内との問答も然り、万屋でのやり取りも怜はもう知っている。


「盗み聞きなんかしないで、怜も万屋に入ればいいのに」


「私は別に日奈以外の人をサポートするつもりはないから」


 素っ気ない物言いではあったが、内容は日奈に対する拗らせそのものでしかなかった。

 だから日奈は、目元に弧を描き、にししと笑った。


「そんなこと言われると、さすがの日奈さんも照れますぞー?」


「……はぁ。そんなことより、日奈の性格で隠密行動は向いてない気がするけど、社長はよくこれでいけると思ったね」


「怜のサポートがあるから大丈夫だよ。アタシ、信頼してるんだからね」


「任せて。日奈を危ない目には遭わせない」


 その声音は、さっきまでのだらしなさを微塵も感じさせない凛とした音色だった。


「さーて、それじゃあ明日に向けて準備をしますか。……怜、早く食べ終わっちゃってね」


「言われなくても、もう完食した」


 それから制服(とアイスの亡骸)を片付け、二人はリビングに場所を移した。

 床に腰を下ろし、日奈は右手を前に差し出す。昨夜の消耗で人差し指のネイルチップは欠け、取れかけている。怜はそんな日奈の手を取り、欠けた部分を爪切りで短く整えていく。


 パチン、パチンと小気味いい音が鳴ると、日奈は鼻唄を口ずさみたくなる。日奈はこの時間が大好きだった。自分の大好きな人が、自分のために手間をかけてくれていることが嬉しかった。たとえそれが戦いのために使われるものだとしても、この時間への強い思いが力の源だと断言できた。


「ふんふんふふーん……」


「その歌、懐かしいね」


「でしょ。でも、こういう時くらしか思い出さないな……」


 幼き日に思いを馳せる機会は少ない。それよりも目の前の敵、未来のことが今は気がかりだった。


 リムーバーを染み込ませ、付けていたチップがゆっくりと外されていく。あとは元の爪を保湿すれば完了だ。


「新しいチップ取ってくるから、ちょっと待ってて」


 と、腰を浮かせた怜のズボンのポケットから、ペンダントのような物が落ちる。

 指先ほどの大きさのそれは、怜の持ち物の中でも日奈が初めて見る部類のものだ。


「怜、何か落ちた――」


「……っ! 触らないで!」


「……怜?」


 普段聞かない大きな声を上げられ、日奈は驚きを隠せなかった。

 怜が怒りを露わにするのは初めてのことで、いつもの淡々とした調子からは想像もつかなかった。


 日奈の動揺に気付いた怜は、俯き気味に呟く。


「……ごめん。それ、お母さんの形見だから……」


「あ……ごめん」


 今度は日奈が謝る番だった。

 気軽に超えてはならない一線というものが存在する。今回日奈は、その境界に踏み込んでしまった。自分だって、大事な人との思い出は安易に触れられたくはない。それが分かっていたからこそ、日奈は反省の証が必要だと強く感じていた。


「ハーゲンダッツ、一ヶ月分で」


「……乗った」


 共に魔女と戦う二人にとって、仲違いをしている時間などないのだ。

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