Case01.飾の魔女#4

 そして、決行の日。普段の華美な装いは身を潜め、模範的な配達員となった日奈は、荘厳な門扉を前に口をぽかんと開けていた。


「わぁ、おっきい家……」


 飾の魔女の被害者、錦涼子の自宅は閑静な住宅街に位置している。

 現在、ここが魔女の根城になっているとは、周辺住民の誰も思いはしないだろう。


 両親が遺した財産を、錦はほぼ全額貯金に回して生活を営んでいた。それがある日、数日間行方をくらましたかと思ったら、湯水のようにお金を使う浪費家になって帰ってきたのだ。まるで別人みたい。周囲の人間は彼女をそう評し、徐々に距離を取っていったという。

 これと同様の出来事が、これまでに二十数件。おそらく、飾の魔女はそれを上回る人間を殺害し、自分のガワとして利用している。


 ここで討伐しなければ、さらに被害は広がる。日奈は帽子を深くかぶり直し、首を囲むチョーカーに触れた。変装とはいえ、これだけは外すことができなかった。第一ボタンまで閉めたワイシャツと、サイドの髪の毛で、存在はどうにか誤魔化せている。


「……怜、こっちは準備できたよ」


「了解」


 小声での報告に、耳元の端末から落ち着いた声が聞こえてくる。

 面と向かっていたら絶対に生じない近さ、その密接感に初めの頃はソワソワしたものだ。今では、その近さが心強い。同じ場所に立っていなくても、同じ方向を向いていると確信できるから。


「防犯システムは、カメラとちょっとしたアラームだね。どっちも敷地内の人間に反応するみたいだけど……はい、乗っ取り成功」


 少しくらい得意げになってもいいのに、と日奈は怜の平然とした調子を聞きながら思う。


「”孤独な論理ロンリーロンリー”、絶好調みたいだね」


「この程度の仕事じゃ、ハーゲンダッツは勿体ない。別のお菓子取ってくる」


「え、ちょっと?!」


「私の仕事は後方支援。あとは日奈がかましてくるだけだよ」


「それはそうだけど……」


 どうせなら、最後まで見守っていてもらいたかった。周辺の空を飛ぶ一機のドローンを見上げて、日奈はべーと舌を出してやった。


「さて、やりますか」


 地面に置いていた配達物を抱え、日奈は呼び鈴を押す。

 壮大な鐘の音が響くということはなく、馴染みの電子音を発した機器から女の声が聞こえる。


「はい、なんでしょうか」


 線の細い、高い声。それでいて耳障りにならないのは、柔和な喋り方のおかげだろうか。

 魔女は今、この家にいる。それが分かっただけで、日奈の中で感覚が研ぎ澄まされていくようだった。


 その強張りを悟られないよう、冷静さを意識して声を出す。


「桃猫ハナコです。宅配物のお届けに参りました」


「ご苦労様です。入口、開けますね」


 固く閉ざされていた門が低い唸りを上げて動き出す。

 時折混じっていた甲高い音が、門が鉄製であることを物語っていた。つまり、これが閉まれば逃げ出すことは不可能だ。


 飛んで火にいる夏の虫? それは違うと日奈は思った。

 なぜなら、自分はその災難を打ち砕くためにここにいる。身を滅ぼすつもりなど、毛頭なかった。


 火の中に飛び込もうとしているのはどっちか。日奈の答えは決まっていた。

 それは、これから相対する飾の魔女であると。


「こんにちは」


 扉が開き、飾の魔女が姿を現す。

 美しい女性だった。亜麻色の長髪は、丁寧に手入れされていることがうかがえる。動きに合わせて波打つ様は、髪に命が宿っているとすら感じさせる。

 髪だけでなく、指先や肌のきめ細かさの一つ一つが、淑やかな女性を象徴していた。


 しかし、それは飾の魔女の本質ではない。これは彼女が命を奪うことで手に入れた偽りの尊厳だ。この体の元の持ち主こそ、最新の被害者である錦涼子その人なのだろう。


「……どうされました?」


 そう問うてくる飾の魔女の右まぶたが、ピクリと痙攣していた。勘付かれただろうか、日奈は平静を取り繕って答える。


「いえ、とても素敵なご婦人だと思いまして」


「あら嬉しい。ありがとうございます」


 露ほども思っていない日奈のリップサービスに、飾の魔女は心底嬉しそうに目元に皺を作り出す。

 飾の魔女は、容姿を褒められることに至上の喜びを感じている。それが怜の見立てだった。度重なる買い物で購入するのは、自分を着飾るものか美容用品に偏っている。怜の推測が正しかったことを、実際に飾の魔女の美貌を目にして日奈は実感していた。


「それでは、ここにサインと――命をいただけますか?」


 先手必勝。荷物から手を離し、両手を自由にさせた日奈は、右手で銃を象る。それから左手を右腕に添えて、頭で念じた。


ひとりあそびリストカット


 人差し指に宿った仄かな光が、直後軌跡を描いて飾の魔女の眉間に飛来する。その間、まだ重力を受けた荷物は床と接触していない。意表を突いた先制攻撃は、確実に飾の魔女の命を奪う。そのはずだった。


「くっ……!」


 それを飾の魔女はすんでのところで回避。だが、少し遅かった。頬をかすめた光は、白い肌に鮮血を描き出した。


 最初のやり取りを終えた後、重量を伴った落下音が刹那の経過を知らせる。


「ありゃ、一発で仕留めるつもりだったんだけどな……」


 冷や汗を垂らす日奈の右手――人差し指と中指のネイルチップが、ひび割れ飛び散る。残る弾丸は八発……いや、威力を上げるとなればそれよりも少ないだろう。


(爪以外なんてしばらく使ってないから、どんだけ反動受けるか分からないよね……。髪はできるだけ残しておきたいし……)


 相手の戦闘能力は未知数。何せ戦闘したという報告は一度もなかった。無傷で逃亡を続ける理由、それが自分を傷つけまいとする心の表れだとしたら……。


(結構まずいよね、アタシ)

 

 飾の魔女は、震える手で自分の頬に触れる。ぬめりとした血が、ベチャリと音を立てる。

 血まみれの手の平に目を落とし、日奈と交互に見つめる。その奇妙な反復行動が五回目を迎えた頃、飾の魔女は美麗な眼を見開き荒々しく息を上らせた。


「よくも私の……私の美しい顔に傷をつけてくれたわね! あなた、絶対に許さないわ!!」

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