第二十四話 別れ

「地の底に別れを告げるときだ」


 神樹アリアの根に宙吊りに縛られたまま、ミキは浮かべ浮かべと念じる。それに応えるように、空っぽの身体に詰めこんだ浮遊石ネブラスタは青く輝いた。その影響で――



「なんだッ!? また歯狂魔ハグルマか!?」


「街が揺れている? この現状を主は嘆いておられるのか……。我々憲兵は、女子供を開けた場所に避難させよう!」


「こんなときだけいいカッコしてんじゃねえよ、バカ!」


「今はいがみあう場合ではない!」



 地底に、神樹の中に、複雑に絡まり伸びる根は、地面ごとミストガルドを持ち上げ、揺らす。


 神樹の中にいるダリアの想いも、また。


「いっしょに暮らせないって、どういうコトですか! 冗談はやめてくださいよ、ねえ、ミキさん!」


「冗談じゃない」


「こんな根くらいすぐ切れるって言ったじゃないですか!」


「それが冗談だ」


「えっ? ……えっ?」


「アレが死にかけなのに、根がキツくなっている。離してくれないんだ」


 ミキがアゴで神を指す。ヤツの命を繋ぎ止める液体は全て漏れた。破れたカプセルの中にいるのは、ピクピクと痙攣させるのがやっとの、もはや醜い肉塊だった。


 しかし消えかけの分霊は、頭の中に小言を響かせる。


「フフ、神樹に宿る神に好かれたか……」


「解放してくれてありがとうと、根から伝わる感謝はそういうコトか」


「我に代わり、貴様に留まってもらいたいようだ。クク、ハハハ……」


「なにがおかしい」


「いや、我が子が『神』に好かれて喜んでいるだけだよ……。貴様を造った父として、嬉しい限りだ」


「皮肉か? 親ならば、自らが産んだ子供すべてを愛してみせろ」


 嬉しいという言葉の真意を語らないまま、分霊は消えた。神は死んだのだ。この瞬間、神が等価で払い、授けられた魔法は解けた。街にそびえ立つ壁も、大穴を塞ぐ金網も消え去った。


「最期まで都合の良いコトばかり……。気に食わないな」


 ミキが目を離したら、ダリアの姿が見えなくなった。


「……ダリア?」


 神樹の中も、まともに立っていられないほどに揺れる。


「ダリア!?」


 その中で姿が見えないのは、なにかあったに違いないと、ミキの心ははち切れそうになる。絶望のさなか、返事が聞こえた。


「はいっ。ミキさん、待っててくださいね! ……おっとと」


 気づかない内に、ダリアはミキの手首を水平に縛る根に立ち、両腕を広げバランスを取りながら近づいていく。


「落ちたら危ないぞッ」


「へーきですよ、ほら! 配管を伝って歩いたコトだってありますから」


 ミキに辿り着いたダリアは耳元で屈み、ささやいた。


「わたしと帰りましょう。ねっ?」


「俺も帰りたい。だが、神樹が離してくれないんだ」


「じゃあ……、ミキさん、失礼します!」


「うぐっ」


 ダリアはミキの頭とアゴを持ち、横に捻ると、左肩から骨が飛び出した。


「これで根を叩けば! えいっ!」


 張った根に骨を打ちつけるも、手応えはなく、弾き返されてしまう。


「俺を思ってくれているのはうれしいが、やめてほしい。神樹が痛いと言っている」


「それは……でもっ」


「こんなに無駄にひしめいているのにな……。んぐっ」


「ど、どうしました?」


「毒づいたら、キツく縛ってきた。なかなか束縛の強い神だ」


「あとは、あとは、なにかないかな……」


 ダリアは骨をミキの腕に戻すと、状況を打開すべく、コートとズボンのポケットを探しているところで、神樹が揺れた。衝撃で地に放り出されるも、壁にひしめく根が手を差し伸べるように、ダリアを助けた。


「あ、ありがとう、ございます」


 両腕に絡んだ根は、ミキの傍へゆっくりと運んだ。無事にも関わらず、ダリアの目に涙が浮かぶ。


「今、神樹の気持ちが伝わってきました。ミキさんがいないと浮かび続けられないって、ふたりのコトは応援したいけど、ゴメンねって……」


「ああ。俺にもそう言っている」


「でも、こんなところで諦めたくないですッ! だって、がんばったのに、わたしはなんのために……ごほっ!」


「無理するな」


 語気を強めて咳が出たダリアは、息を整えようとするも、嗚咽が止まらなかった。その背中を神樹の根がやさしくさする。


「たとえ残された時間が短くても、わたしは外で暮らせなくても、ミキさんといっしょなら、それだけでいいのに……」


 涙を拭いて、また顔を上げる。ぎこちない笑顔を作って。


「でも、しょうがないです、よね。ミキさんは、救世主テンシ様なんですから。みんなの希望ですから。そうわかってるのに……。わたしは、ミキさんをひとり占めしたいんです」


「俺を想ってくれてありがとう。もう言わなくて大丈夫だ。ここまで言われてしまったら、ひとりになる覚悟を決めていたのに……。別れたくなくなってしまう」


「ふふっ、ごめんなさい」

 

 ミキは微笑み返す。すると、根が吊るしている腕を引っ張った。


「そろそろ地上に着くそうだ。……そうか。巨大な穴に、街をピッタリと当てはめなくてはならないのか」


 ミストガルドの大きさと、金網が張られていた穴の大きさは同じだ。ミキは唸っていると、根はミキを吊るしたまま腕を引っ張る。


「なに? それと合図するから衝撃を与えないように、浮いてるのをゆっくりと止めろ、か」


「ミキさん、わたしたちが住む街をよろしくお願いします」


「ああ。任せろ」


 ダリアはミキの顔の傍に寄り、横からじっと見つめる。


「……また、会えますよね?」


「会えるさ。願えば、きっと」


「信じて、ずっと待っています」


 ダリアは頬を染めて、ミキの唇に口づけした。出会ったときと同じく顔は冷たいままだ。初めて触れたあのとかとは違い、ダリアは確信した。もうきっと、二度と会えないのだと。


「……では、お家で待ってますからね!」


 それでもダリアは精いっぱい強がって、笑顔で別れを告げた。ミキは頷くだけだった。


 壁の根に降ろしてもらい、振り返らず、ダリアは来た道を引き返す。いつの間にか、揺れは収まっていた。


「ミキさん、上手にできたんですね」


 エレベーターを乗り継ぎ、選民区セントラルの居住地に出ると、人影がひとつあった。


「ダリアちゃん、無事でよかった!」


「ボタンさん!」


 銀色の髪を引きずり、足元がおぼつかないボタンが抱きついてきた。


「ミキくんがやってくれたんだね」


 ダリアは黙って頷いた。


「ゴメンね、つらいよね」


「いいえ、彼が決断したんです。みんなのために、わたしのために」


「……ミキくん、いい人に出会えたね。よかったよ、ホントに。」


 ボタンはしみじみと言ってから、ふらふらと歩き出した。


「どこに行くんですか?」


「今ね、街中がパニックだからさ、放送をかけようと思ってね。ほら、歯狂魔ハグルマの出現を知らせるアレでさ」


「わたしもついて行きます」



 一方、ミストガルドでは――


「揺れなくなったと思えば、なんだあの巨大なアリアの木は!?」

「ま、眩しいッ!」

「空が青い……。この世の終わりか?」

「でも、なんだかすごく暖かい」


 反乱を起こす人々と、それを止める憲兵たちは困惑していた。街を囲っていた壁は消え去り、外には草原が広がっている。空もまた、どこまでも広く。


 しかし風に撫でられた人々は、見たコトのない色彩豊かな景色に、心を小躍りさせ、自然と笑みがこぼれる。こんなにも美しいのに、この世の終わりのハズがあるか、と。



「ふう、到着。ここが放送室だ」


 狭い部屋には、机と、その上にマイクが備え付けてあるだけのものだった。ボタンはマイクの電源を入れ、ダリアを手招きする。


「ダリアちゃん、みんなに説明してくれよ。外がどういうところかを唯一知っているキミが」


「はいっ!」




 街の各所に設置されたサイレンから、小さな話声が聞こえる。普段ならば、ただ歯狂魔ハグルマの出現を知らせるための装置だが、今は違う。絶望の対象は、もういないのだから。


 やがて、深呼吸の後、少女のスピーチが街中に響く。


『みなさん、聞いてください。慌てなくてもいいんです。もう、閉じ込められたミストガルドじゃないんです』


 人々は疑問の色をマスクで隠しながら、見つめ合う。


『消えた門の外を見てください。青い空、白い雲、風に揺れる草原と、キレイな水が流れる小川……。この世界では、マスクはいらないんです!』


「マスクがいらないだあ!?」

「どうせラーディクスのデマだろ!」

「……そうか。アイツとふたりでやってのけたんだな。なあ、ダリア」


 半信半疑に陥り、喧々囂々と叫ぶ聴衆の中に、ひとりの大男は率先してマスクを取り、大きく深呼吸した。


「ああ、空気がうめえ。……空気がうめえよ!」


 大男の歓喜を皮切りに、やがてそれは周囲に伝播する。人々は深呼吸をした後で、隣の人の顔をまじまじと見つめ合う。


「……お前、声は渋いわりに幼い顔してんのな、憲兵さんよお!」

「ふん、大きなお世話だ、ゲゲルとやら。ヒゲを剃れ、ヒゲを!」


 いがみ合っていた人々は、顔を見合い見合わせ、笑い合う。身を満たす充実感に、もう争う気などなくなっていた。


 サイレンのスピーチはさらに続く。


『外の世界を知らないわたしたちは、これから先、予想すらできないコトがたくさんあるかもしれません。だけど、わたしたちは目を合わせてお話して、気持ちを分かち合えるんです』


「そうだそうだ!」

「私たちは変わっていける!」

「ああ、みんなでな!」


 肩を組む者、大声で笑い合う者。聴衆は歓声に、拍手や指笛を交え、大盛り上がりだ。


『この新天地では、支え合い、愛しあって生きていきましょう。だって、わたしたちはもう……。囚われてなんかないんです。自由なんですからッ!」


 聴衆はサイレンに向かい喝采を贈り、互いに抱きしめ合う。たった今、蓋天の街は真に開かれた。蒸気は広い空に溶け、晴れ渡る青空に明日を望み、人々は生きてゆくだろう。




「ダリアちゃん、おつかれさま」


 傍らに立つボタンは、スピーチを終えたダリアを気遣う。


「……はい」


 街は喜びに包まれる中、ダリアは涙をこぼした。やさしく見つめてくれる緑色の瞳に、失ったモノの大きさを照らし合わせながら。

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