第二十三話 光へ

 選民区セントラルの遥か地下、なにかを隠すような暗く広い通路がある。壁に植物の根がひしめきあうこの通路こそが、ミストガルドを影で操る神の居所だ。


 俺とダリアは、ついにここまで来た。あとは、やるコトはもう決まっている。


「小娘が生きているのを見るに、ボタンは法王を焼いたか。あんな俗物などどうでもよいが」


 目の前でほざく神の分霊たる目玉を乗り越え、神を殺す。これがダリアのためにできる、第一歩だ。


「誰も我の役に立たぬとはな。まったく嘆かわしい」


「俺たちには意志がある。お前の思い通りになどならない」


「大層な自信だ。ファルガーよ、貴様を絶望させるのは容易いぞ?」


 目玉は徐々に膨らんでいく。ガルディアを吹き飛ばしたように、破裂する気だ。


「ミキさん、行ってください!」


「ワケのわからないコトを言うな。ダリアから離れるつもりはない」


 そう、今だけは。あの目玉は破裂して、俺たち諸共吹き飛ばそうとしている。


「ボタンさんからもらったコレを使ってみます。……もしかしたら、この怪物目玉の弱点、わかっちゃったかもしれません」


「なにも確証はない。危険だ」


「時間がないんです。わたしに任せてください!」


「しかし……」


「ミキさんは救世主テンシ様なんです、みんなの希望なんです! わたしひとりに構っていちゃダメな人ですから、行ってください!」


「俺はダリアだけが希望だ。……だから」


 離れたくないのが本音だ。もしダリアがいなくなってしまったら、……そんなコトは考えなくない。


 しかしダリアの横顔を見たら、心が変わった。出会った頃に比べると、別人のように凛々しい。その眼差しは、大きなものを背負っているようだ。


 人は変われる、というコトか。俺が思う以上に、ダリアは強い。


「わたしはいろいろな人に助けてもらいました。だから今まで生きていられるんです。ミキさん、わたしもあなたと離れたくありません。必ず追いつきます」


 恐怖もあるだろうに、しかしダリアの微笑みはなによりも美しい。俺も勇気が湧いてきた。


「ダリア、ここは頼んだ!」


「お安い御用です!」


 俺は走る。振り返らず、ただ前だけを向いて、この先に待つ神の下へ。爆発音がしても走り続ける、ダリアは追いつくと信じて。荷物を多く持っているのに、こんなまでに身体が軽いのは初めてだ。


 しばらく走ると、暗がりに見覚えのあるものが見えた。俺たち使徒が入っていたようなカプセルだ。それは液体が詰まっていながら、ぼんやりと光を放ち、周りの床を這う管に繋がれている。


「――あの小娘を置いてくるとはな」


 声がする。耳からではない。頭の中で聞こえる。


「人間如きに、我が分霊の弱点すら見破られるとは」


 ダリアはうまくやったようだ。ひとまず安心した。


「お前が……神か?」


「いかにも」


 目を凝らすとカプセルの中身が見えた。そこには人のような形をしているが、両腕と顔がないなにかが入っている。目、鼻、口、耳すらもない、これこそが神とは。


 たしかにボタンが言っていたように、弱点が丸見えだ。ようするに、神が入っているこのカプセルを割ればいいのだろう。


「我を嘲弄するか?」


「俺にそんな暇はない」


 カプセルに近づいて拳を真っすぐ打ち込もうとした、そのときだった。途端に身体が動かなくなる。


「聞くがよい、ファルガー。これは父としての訓諭である」


 動かない原因は壁にひしめく根だ。四肢の付け根に植物の根が伸びて絡みつき、身動きが取れない。


「人間を外へ運ぶ気だろうが、無駄だ。外へ繋がるエレベーターは破壊した。手段はないのだよ」


「離せ、この根はなんだ」


「神樹アリアそのものの根だ。これには神が宿り、故に神樹と呼ばれる。ただの巨木ではない。……では、なぜ我は神を自称するか? もう一度見せてやろう」


 足の付け根を縛る根が伸び、宙で縛られる状態になってしまった。


「神樹の根を意のままに操れる。そう、我は神樹を支配したのだ。神はふたつもいらぬ!」


 のんきに高説していて助かる。こうなるのは予定外だったが、俺の身体を縛っているこれが神樹の根ならば、成すべきコトを果たせそうだ。


「ご清聴、感謝しよう。小娘が来るまでの時間稼ぎのつもりか?」


 俺はなにも言わない。すると、ひとしきり笑ったあとで、神は頭の中で喋り続ける。


「奇遇だな、我もだ」


 後ろに気配がする。じっと刃物を突きさされるような不快感だ。


「お前に分霊を取り憑かせて、我の新たなる身体にしてやる。予定は大幅に狂ってしまったが、これで神の後継計画は完成する」


 身体の中になにかが入ってくるのがわかる。抵抗もできず次第に意識が薄れ、霧の中に溶け込むような感覚に襲われる。


「せっかく神の魔法で我の両手を壁と金網に、顔を分霊に等価交換したのだ。我はカプセルの外に出て、地上に立つ。あれは我だけの世界だ、人間どもにはやれん!」


 それでも譲れない。ダリアと過ごした日々だけは。なにものにも変え難い、尊い思い出だ。


「お前如きには渡さない。ダリアの思い出を」


「所詮、貴様なぞ戦闘人形にふさわしい空の器だ。もう楽になれ、我の手足となるために」


 意識が完全に消えかかったときだった。背後から、俺の聞きたかった声が聞こえる。


「ミキさーん……」


 幻聴じゃない。ダリアの声だ。


「ミキさーん! な、なんですこのニョロニョロは……? とにかく捕まっちゃったんですか!?」


「心配するな、でもこのまま語りかけていてくれ。おかげで意識が保てる」


「はいっ! えーっと……」


 なにか話題を探しているようだ。疑問もあるので、ここは俺が振るコトにした。


「そういえば、ボタンに渡されたのは、なんだったんだ?」


「あれはですね、蒸気の種パルシードで発破する蒸気爆弾だったんです! ミキさんの言った通りマスクを持っててよかったです」


 道理で見覚えがあると思った。ガルディアが炭坑に巣食う歯狂魔ハグルマを倒すのに投げていたものだ。ダリアはまだ律儀にマスクを抱えている。


「きっと、わたしの思った通りでしたよ。あの目玉の弱点!」


「聞かせてくれ」


「汚い空気です! 空気が透き通っていなきゃ出てこられないんです!」


「なるほど。キレイな空気の場所にしか出てこられないのも、そういうコトか。神木から落下しているときに追えばよかったのに、閉所にばかり現れるのも、爆発という攻撃手段が効果的だからか」


「あ、そこまでは考えが回りませんでした……」


 頭の中でまたうるさい声が響く。


「ええい、うっとうしい! 邪魔だ!」


「やーい、怒った怒ったあ。図星ですねー。って、わわ、ニョロニョロが! 冗談なのにぃ!」


 後ろでなにが起こっているのかわからないが、図星なのは間違いなさそうだ。それで攻撃するなど、器の小ささがうかがえる。


「ダリア、無事か?」


「塞がれちゃいました……。でも、ちょっと待っててくださいね!」


「人間如きが邪魔をしおって!」


 ダリアに直撃しなかったのは、分霊が俺に取り憑こうとしているからだろうか。あれが見た目通り、目の役割を果たしているようだ。


「ミキさーん!」


 いつの間にか、ダリアが俺の目下で手を振っていた。さすがにマスクは持ってこられなかったらしい。けれど、それでいい。もうマスクは必要なくなるのだから。


「なぜ根の壁を越えられる!?」


「根と根の間に、隙間がいっぱい空いてましたよ。狭いところを潜っていくのは得意なんです!」


「小癪な、どこまでも目障りだッ!」


 今度こそ、ダリアに木の根を当ててくるつもりだ。ダリアが来た今、もう動かない意味もなくなった。


 俺は右手の親指を握り、掌底からワイヤーを神が浮かんでいるカプセルに射出した。ガラス張りのそれは悲鳴を上げ、液体が溢れる。


「貴様にそんな装備はなかったハズだが……?」


「お前が見下している人間に授かった力だ」


 ダリアに根は伸びない。うまく止められたようだ。


「ずいぶん、呆気ない最期だ」


「我を殺し、貴様はなにを望む」


「俺は、ダリアが生きられる世界が欲しいだけだ。汚染されていない空気がある世界が」


「その小娘は肺が侵されているのか。無益な延命のために、我が永遠を奪うとはな。もう地上へ行く手立てはないというのに」


 液体が漏れるにつれ、神の語気が下がる。ついに俺の身体から分霊が抜け出し、目の前に現れた。


「我を殺した罪は重い。腐った組織とはいえラーディクスが壊滅的になった今、この先に待つのは混乱だけだ。貴様に治められるのか?」


「そうかもしれない。だが俺に絡みついる『根』ラーディクスは腐っちゃいない。そうだろう?」


 また目線を下げると、ダリアは首を傾げていた。ついでに目に入ったカプセルの中身の液体は、半分以下になっている。


「……貴様、なにをする気だ!」


「今の俺なら、こんな根を引きちぎるコトなど容易い。やらなかっただけだ。……その短い命で確と見ていろ」


 俺は浮けと念じる。すると身体の中が青い光に包まれた。このために、コートにも身体の中にも、浮遊石ネブラスタを詰め込んだのだ。


「ミキさん……?」


 隠していたが、ダリアにも言うべきか。失望させないためにも。


「ダリア、すまない。いっしょ住もうという約束、守れそうにない」


「え? ど、どうしてですか!?」


 俺はそうしたかった。けれど夢が変わったんだ。闘技場で庇ってくれた憲兵の意志、反抗する住民たち、協力してくれた使徒、そしてなにより、ダリアのためにこうするんだ。


 俺の希望は人間たちに託す。きっと、青い空や太陽を初めて見ると、困惑するかもしれない。けれど、あんなに美しく、暖かいものはない。すぐに慣れて安心するハズだ。だから俺は――決断する。


「ミストガルドを浮上させる」


 この選択に後悔など、ほんの微塵もあるワケがない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る