第二十一話 巡礼
「では行くぞ。ふたりとも着いてくるがよい」
法王はテーブルに置いてあったマスクを被る。
「ちっ、儂がこんなものを身につけるとは、屈辱が過ぎるわ。だが致し方ない、主のお言葉に従うしかあらぬ」
神が俺たちを招いている。なんの目的があってのコトだろうか。しかもダリアといっしょにだ。まず気になるのは――
「おじいちゃんは!?」
「2階で憲兵に見張らせておる。まだ生きて貰わねば困るのでな。もっとも、儂はお前が生きているとは思わんかったがな、小娘」
枯れ枝のような身体から、瑞々しい憎しみが漏れている。指示に従わければ、というコトか。これを指揮した神も、文句を垂れたがら実行する法王も、どうしようもなく哀れだ。
「もう黙れ。その辺でいいだろう。とっとと案内しろ」
俺は無意識に拳を握りしめていた。
「これはまた、恐ろしいな。人間のフリをした戦闘人形が怒りを覚えるか」
「偉い人みんな、ミキさんたちを否定して……。ミキさんは戦闘人形なんかじゃありません!」
「ダリア、構わなくてもいい。気づかってくれて、ありがとう」
「空虚な感謝よ」
いちいち相手にしていられない。無視すると、法王は身を翻してドアの前に寄り、こちらを向く。その睨んだ目つきは急かしているようだが、ヤツの事情などどうでもいい。まずは祖父を安心させなければ。
「出る前に……。ダリア、あいさつはいいのか?」
「あっ、そ、そうですね」
ダリアはマスクを取って大きく息を吸う。
「おじいちゃーん! ちょっと神様のところに行ってきますねー! わたしにはミキさんがいるので安心してくださーい!」
言った後で少し咳き込む。すると、すぐに2階からより大きな声が飛んできた。
「あーっ!? あんだって!?」
あまりにも緊張感のない返事だったので、思わずダリアと顔を見合わせて声を出して笑いあった。こんなに楽しい気分は初めてだ。
「あはは……。ああ、おかしい。おかしいなあ。ダメだこりゃ、ですね」
「あんな返事だが、きっと伝わっただろう。さあ、行こう」
「はいっ」
ダリアはまたマスクを被る。あのはじける笑顔がまた隠れると、もったいないと思う。
「……気がすんだか? 着いてこい!」
法王は痺れを切らしたように家を飛び出す。縮こまった背中を追うと、大きな四足の生物が2体、車輪が取り付けられた立派な籠に、細長いワイヤーで繋がれている。
「こ、これ……
「馬を見るのは初めてか?」
「どうして、人の言うコトを……」
「人の言葉にあらず。神の言葉よ」
よもや
「この馬車で
「逆恨みか?」
「いや、戒めだよ。次はしくじらないための……」
「ないものの心配をしている場合か。これまでのラーディクスの不信が払拭できるとでも?」
法王にアゴで促されるままダリアと車に乗り、向かい合う席に法王も乗る。「行け」の一言で、馬の
「なんだか、大きな声が……?」
「これが……お前たちの犯した罪だ」
「な、なんですかこれ!?」
法王は震える指で窓の外を指す。その先には、多くの労働者と憲兵たちがぶつかりあっていた。
男と女、老いも若きも入り乱れる。当然マスクを被っているので、誰の表情も見えない。無貌にして無謀の暴動は、しかし彼らの勇気が伝わる。見えない明日を掴み取ろうとしているのだろう。
「みんな、どうしてケンカを……?」
「秘匿が暴かれたが故に、この哀れな民草どもは暴徒と化した。秩序を崩壊させたおまえたちの罪は重いぞ」
大仰な言い回しをしても、やっていたコトはセコい自作自演だ。あのような歪つな秩序にありがたみなどない。
「ダリアは気にしなくていい。悪いのは、全部ラーディクスだ」
「ですが、人同士で傷つくのを見ると……。あっ!」
「どうした?」
「ゲゲルさんが!」
「あの大男か」
遠目からでも、その体躯はよく目立つ。自分よりも小さな憲兵を豪快に投げ飛ばしている。
「テメエら、よくもオレたちをいいようにコキ使ってくれたな! この目でちゃーんと見ていたぜ、法王のジジイの王冠が
ゲゲルは憲兵たちに言葉でも怒りをぶつけている。
「オレの弟は小さいうちに
しかし憲兵も黙っていない。
「わからないものか、私の姉も
「じゃあなんでラーディクスなんかにいるんだよッ! テメエも見ただろ、それでいいのか!?」
「
「バカがよ、オレは区長になって労働の状況を改善しようと思ってたんだ。そう弟に誓った。でもよ、この街の仕組みをぶっ壊した手っ取り早えな! だから、止まる気はねえよッ!」
「故人のためとなど実にくだらん! 人の生は
「生まれたじゃねえか、この反乱が! これから街は絶対に生まれ変わる。そのときに笑ってるのはオレ様だぜえッ!」
「我々が屈するものか! 苦しんでいる労働者を上から笑う日がまた来る。これを鎮圧すればなッ!」
不信は行動となり、行動は混沌の渦を作りだした。全てを変えるために。
「つくづく愚かだ。劇的な変化など、人の世にありはしない。変わるときとは何事も少しずつだ、気づかないくらいにな。そうして我々は治世を敷いてきた」
法王の言うコトはもっともだと思う。それが人の世であれば、だが。
間違いなく、この街は生まれ変わる。いや、変えてみせる。俺はそう心に誓った。それがダリアのためにもなるのだから。
「着いたぞ。降りろ」
馬車が停まった先は
「猊下、ご無事で!」
門番が頭を下げる。
「暴徒どもを死守せよ。さすれば主は微笑みかけてくれるであろう」
「……はっ」
含みを感じる間を置いたあと、門番は手を上げた。すると門が重々しく開く。
「ミキさん、ここに住んでたんですよね。ウチよりもずっと大きいです」
「ロクでもない日々だった。どこに住むかなど、さして重要じゃない」
「ふふっ、そうでしたか」
ダリアは勝ち誇ったような口調で、法王に顔を向ける。そう、重要なのは誰と暮らすかだ。
法王はなにも言わず、門を潜り、ただ前を歩く。天井に吊るされた電飾を見上げ、ダリアは絶句している。
「あのキラキラしてるの、とってもキレイですね!」
何気なく法王に顔を向けると、いつの間にかマスクを取っていた。そういえば
そのコトをダリアに伝えると、すぐさまマスクを外した。
「おおっ。たしかに苦しくないです。あのとき入った酒場と同じですね」
「……酒場に?」
色々な疑問の含みを感じ取ったようで、ダリアは頬を膨らました。
「わたしは大人なので入れるんですー! 入ったのもミキさんのためだったんですー!」
「あ、ああ、そうだったのか。ありがとう」
礼を言うと、ダリアに笑顔が戻った。間を置かず、すぐにまた天井を見上げて、顔を傾げた。
「上でミキさんといっしょに見た星空のほうがキレイです」
「俺もそう思っていたところだ」
「星空、またいっしょに見たいですねっ!」
「……ああ」
俺もそう思う。だがその願いは叶えられるかは分からない。俺のやろうとしているコトは――
いろいろなコトを考えているうちに、法王は見覚えのあるドアの前に足を止めた。ドアは自動で横に開く。
「これは
「それって、やっぱりダマしてたんですか!?」
「やっぱりなどと、勝手を言ってくれる。邪推するな。我が主がおわすと、この先で待つ使徒が言っていた。このエレベーターに早く乗れ」
ダリアに万が一なにかあったら叩きのめせばいいので、いっしょに乗り込んだ。扉が閉まったが、これは動いているのだろうか。
「……やっぱり閉じ込めちゃう魂胆じゃないんですか?」
「妙なマネをしたらしばく」
「拳を向けるな。動いている。いくら血気盛んな戦闘人形とはいえ浮遊感があるだろう」
「空から帰ってきたので、もうそれはじゅうぶんに味わいました」
「空? ……つくづく気に食わん」
やがて扉が自動で開くと、そこにはまた扉がある。だが仰々しいものではない。どこにでもあるような扉だ。法王はドアノブを掴み、引く。
「……よくおいでになりました、使徒ファルガー、人の子ダリア」
そこは小さな部屋だった。石造りの暖炉の前に置かれたロッキングチェアには女が座り、顔も合わせずに言う。
おそらく、この女がガルディアの言っていた最後の使徒だ。
「神がお待ちです。……恐れるコトはありません。おふたりとも、火の炉へどうぞ」
「……従うつもりはありませんよね、ミキさん?」
「もちろんだ」
まったく回りくどいコトをする。密室で燃やそうというのか。ならばこちらも従う義理はない。彼らのように反抗するだけだ。
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