第二十話 降臨
蒸気に閉ざされた空を、ふわりふわりと舞い降りる。夢のような世界から、再び地底へ逆戻り。ひとまず、ダリアの祖父に会うために。
「うぅ……また、わたしは、託されたんですね」
ダリアは嗚咽を漏らしている。そのマスクの下は悲しみに顔を歪めているのだろう。きっと、またあの生活が待っているからではない。無力感からだ。俺もそうだ。
「……ガルディアは覚悟の上だった」
命あっての物種という言葉がある。それの意味の言いたいコトはわかる。死んでしまえばそれまでなのだから。だがたったひとりで生きて、その物種が芽吹き、太陽に向かって立派に自立できるだろうか。
「俺にも託されたものを背負わせてくれ。……俺も生かされたのだから」
「はい、ありがとう、ございます……」
身勝手な言葉だと思う。生きるコトが苦しく、故に託したがっている者もいるのに。人には人の悪夢がある。
そしてその行動も、また身勝手だ。ひとりでは芽も出ず折れてしまう。だからこそ人は寄り添わなければならないのだろう。この手は離さない。……少なくとも、今だけは。
「……あの、ところで」
「どうした?」
言いづらそうに、ダリアが鼻をすすりながら訊いてくる。
「どれくらいの時間でミストガルドに着くんでしょうか?」
記憶はないが、俺が落ちているときも、こんなふうにゆっくりだったハズだ。落ちている間に
「何十年かかるだろうか」
「えっ」
ダリアはなぜか絶句する。
「そ、それじゃあ、落ちてる間に死んじゃうじゃないですか!」
「うん? ……ああ、そうか。人間、飲まず食わずではな」
「なんとかならないんですか? いっしょに生きて帰りましょうよっ!」
聞きたい言葉が聞けた。さっきまでは……いや、もういいか。それがこんなにもうれしいものとは。
「ああ。落下速度を上げよう」
ポケットにたんまりと詰めた
「わ、わわっ。手、離さないでくださいね!?」
「もちろんだ」
やがて重力をも無視し、比べものにならない速さで落下する。身体中で空気を切っているようだ。
「あっ、ああ! イヤーッ! は、速い〜ッ!」
「口を閉じていろ。舌を噛むぞ」
「早く帰りたいです〜ッ!」
「そのためにやっている」
「んもおおお! そういう意味じゃないんですけどおおお!」
繋いだ手の力が強く伝わると、なにやらくすぐったい気分になる。
「こんな状況で笑わないでくださいよミキさ〜ん!」
「笑った? 俺が?」
「にっこりしてましたよ! 声を上げるだけが笑うっていうんじゃないんです〜!」
「見えたのか、この蒸気の中で」
「してました〜っ!」
無自覚だった。こんなコトにも気づかないとは。そもそも、今まで笑っていただろうか。
「……あれ? そういえば、ミキさんの笑顔を見るのは初めてかもしれませんね」
「俺もそんな気がする」
「えへへっ。じゃあミキさんの笑顔はわたしだけのものですねっ。微笑んだ顔もステキですよ」
「ダリアの笑顔も愛らしいが」
「……こんな状況じゃなきゃ、ときめいてたんですけどね〜ッ!」
出会ってから今までで、一番大きな声ではないか。マスクの中でよく響いてそうだ。ダリアがどんな顔をしているかを想像すると、なぜだか可笑しくなった。
「……ふふ」
「んも〜ッ! 今は笑わないでくださいよお〜ッ!」
退屈しないうちに、白煙の向こうにミストガルドが見えてきた。減速して視線を逸らすと、いつの間にか高い壁が聳え立っている。
「ふう。またゆっくりになりましたね。……ねえミキさん、下見てください。ちっちゃいのがいっぱい集まってますよ」
たしかにダリアの言うように、
「人々が小競り合いをしているようだな」
「えっ!? あれ人なんですか?」
「恐らくは」
「ミストガルドって、あんなに人がいるんですね……。住んでても、信じられません」
闘技場のアリーナに立ったときは、こんなにも人が多く集まるとはと驚いたものだ。
「ところでダリア、ここから自宅はわかるか?」
「えーと、方角がわからないので……」
無理もない。他の目印を探さなければ。理由はわからないが、なにやら揉めているようなので、なるべくダリアの家の傍で降りたい。
「あっ、そうです。数字の煙突を探してください!」
「たしか
汽車の中で見たその煙突は背が高かったので、よく目立つものを探そう。白煙の向こうに煙突を見つけ、目を凝らした。
「ん、見えた。34と書いてある」
「じゃあここは3区と4区の境目辺りですね。ミキさん、わたしの家があるのは〜?」
語尾を上げて訊いてくる。もちろん、覚えている。忘れるハズもない。
「6区だ」
「ふふっ、正解です。覚えてくれていたんですね。じゃあ時計周りに回りましょう!」
時計周りに――西に移動すると念じ、ダリアの家へ向かう。その間、視線を街へやる。区境を超えても、やはり小競り合いが起こっている。
「川が見えましたよ。そこで降りましょうか」
区境の煙突を超え6区に入ると、赤く汚染された川が見えた。そこに架かる橋には人がいない。どうやら住宅街よりも
言えば、きっとダリアは悲しむ。今は言わないようにしよう。
「ああ、そうしよう」
確実にに誰もいないのを確認すると、ゆっくりと着陸するや否や、ダリアは腰を抜かした。
「つ、疲れましたね……。けほっ」
「平気か?」
ダリアの背中をそっとさする。
「あ、はい。ありがとうございます。なんだか無理すると胸がムズムズしちゃって、咳が出ちゃうみたいです」
ガルディアの言った通り、完治はしなかったというコトか。定期的にあの神樹の朝露を飲ませないとなると――
「慣れないコトをすると疲れちゃいますね。あはは……。って、わあ!」
考えるよりも、まずはダリアを家に送って休ませなければ。
「すまない。驚かせた」
「ミキさん、おぶってもらわなくても自分で歩けますよ!」
「そうか?」
「ダメそうだったら、おぶってもらってもいいですか?」
「わかった」
倒れやしないか不安だが、ダリアの意思を尊重して帰路につく。
「……あれ?」
ダリアが周りをせわしなく見渡しだした。
「どうした?」
「なんだか、いつもより静かですね。川の流れる音が目立つなんて」
言われてみればそうだ。地上の静けさに慣れていた。いくらここが工業地帯から離れた住宅街とはいえ、ここまでとは。常にどこからか聞こえていた不気味な唸りもない。
住宅地では、小競り合いは起こっていないのだろうか。
「人がみんな中央付近に集まっているからだろうか?」
「みんななにをしているんでしょうか……。けほっ」
「とにかく、今日はもう休もう」
いつもより、ゆっくりと歩くダリアの後ろを着いていく。妙な静けさに包まれた石造りの住宅街には、生活感が感じられない。
「ふう、ふう。やっと帰ってこられましたね。早くマスクを外したいです」
ダリアの息が上がっている。以前、川から家まで歩いたときは平気だったのに。ともあれ、家に着いた。ダリアがドアノブに手をかけると、嫌な予感がよぎった。
「……待て」
「ええ?」
かすかにドアの向こうから物音が聞こえた。ひとりのものではなく、複数人いる。ここまで静かでなければ気づかなかった。
「俺が開ける。乱暴になるが、問題ないか?」
ダリアが頷いたのを見て、勢いよくドアを開ける。部屋を一瞥、見知らぬ男が3人いる。抵抗する隙も与えずに眠ってもらった。
「この人たち、憲兵さんですよ。なんでわたしの家に……。お、おじいちゃんは!?」
「まだ2階にいるはずだ。余計なヤツもいる」
「ずいぶん遅いお帰りだな、使徒ファルガーよ」
聞くと怒りすら覚える、しわがれた声。そいつは階段を降りて、姿を現した。
「余計とは言ってくれる。無礼者め、儂を誰と心得るか」
「なぜここにいる、法王」
「おまえたちを待っていた。ただそれだけよ」
その口調から傲慢さが透けて見える。優位に立っていると、そう言いたげだ。なぜそうなのかは想像がつく。
「要件には従う。とっとと言え」
「ふん。では、儂について来てもらおう。そちらの少女もな」
「ミキさん、従っちゃうんですか!?」
「ダリア、祖父が人質になっている。悔しいが、今は従うしかない」
「どうしてそんなコトを!?」
法王は枯れ木のような首をダリアに向け、ガサガサに乾燥した口角を上げた。
「話を円滑に進めるためだ。おまえたちはこの街の惨状を見なかったのか?」
「なにかで対立しているのはわかる。なにが起こっている?」
「デモだよ。あの闘技場での一件以来、街の人間どもが我々に刃向かっておる」
憲兵自身がラーディクスに逆らったのを見て、住民たちは勇気づけられたのだろうか。俺とダリアを逃してくれた憲兵も、無事でいるといいが。
「それで俺たちをどうするつもりだ? 首を吊るすつもりか?」
「カカカ……。それもよいな」
また法王は笑う。王冠を失くしたこの男は、心をも失くしたように見える。そして次に、こう言った。
「儂は主の指示通りに従っているのみ。ついてこい、我らが主の下へ案内しよう」
ついに神に対面するときが来たようだ。俺の創造主にして、この街を支配していた黒幕。積もる話は多くある。同じくらいに、怨嗟もまた、多く。
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