第十九話 継承

 それは突然現れた。ミストガルドでも、その上の世界でも見ないような異物感を醸し出す、宙を浮く巨大な目玉は、俺たちの頭の中に嘯く。


『我は神、故に服従は義務なりき。我が子らよ、その人間を消すがよい』


 皮肉な話だ。使徒おれたち産まれたカプセルが5つ並ぶ部屋で、創造主おやからこんな戯言を聞かされるとは。


「こ、これも歯狂魔ハグルマなんですか……?」


 ダリアは怯えている。脅されているのだから無理もない。見た目も恐怖するのに拍車をかけている。


「いや違う。アイツには金属的な特徴がねえ。……なんなんだこの目ン玉は、初めて見るぞ」


 神を自称する、宙に浮く巨大な目玉は、頭の中で語りかけてくる。


『……ガルディアよ、おまえにはファルガーの監視を任せていたハズ。どうやら報告とは状況が違うようだが?』


 ガルディアは小さく耳打ちしてきた。


「この声は神のモンだが、おれが知っている姿とは全然ちがう。アレがなんなのか、まったくわからない。ロクでもないヤツなのは、たしかだろうが」


『聞いているのか。ファイスもナセマも役目を果たしたと報告したのはおまえだ。しかしその様子では……。神の後継たるファルガーすら背信するとは。所詮は失敗作だったか』


 後ろで裾を握りしめるダリアの手が震えているのが伝わる。だがそれは恐怖でではない。怒りだ。


「失敗作なんかじゃありません! ミキさんもガルディアさんもやさしい人間です!」


『黙れッ! 人間風情が我が子らを侮辱するかッ!』


 目玉は大きく目を見開くので、すぐにダリアが隠れるように立ちはだかった。


『我が子たちには、我の言葉を希望として戦わせるよう人間の心を持たせた。我のための人間の心だ。……だが聞こえたぞ。おまえたちは、地下に住まう小汚い者どもを地上に戻そうとしているのかね』


「……フフッ。クックック、アーッハッハ!」


 隣に立つガルディアは顔を手で隠して、段階的に笑い始めた。こんなに楽しげに、しかし狂気すら垣間見える笑顔など見たコトがない。


「おれたちを人間として見てくれるなんてな、掛け値なしに感動したよ!」


『戯言を。忘れるな、おまえたちは兵器だ。我に尽くせば、それだけでよい』


「うるせえ、今のおれは人だ!」


 ガルディアは首を鳴らして右腕の骨を外し、得物として握りしめ、目玉を凝視しながらまた耳打ちしてきた。


「おれが前に出たら来た道を戻れ」


 その短い言葉の真意は、勝ち目がない。そんな絶望的な内容を含んでいるようだった。


『なにがおまえをそうさせた? その人間に唆されたのか?』


「人間にはなあ、反抗期ってモンがあんだよ、親父殿ッ!」


 ガルディアは目玉に向かうと、あっという間に肉薄する。目玉は攻撃すらしてこない。


「目ン玉ほじくってやるッ!」


 得物を突き立てると、目玉は現れたときのように黄色い靄となり、ガルディアの攻撃は空を切った。


『愚かな。また洗脳してやろう』


 再び実体化した目玉の眼光が赤く光った。ガルディアはその光を真正面から浴びると、うずくまって頭を押さえて苦しんでいる。加勢しようにも目玉の攻撃の正体が掴めない。ダリアがいるのでリスクは背負えない。


「うぐっ……逃げ、ろ……」


 やがて静かになったかと思うと、こちらを向いた。緑色の瞳が赤くなっている。この変化に覚えがあった。あの闘技場の使徒ふたりだ。なにか様子がおかしいと思ったが、これで納得した。赤目だったのは、神とやらに洗脳されていたからだ。


『これで良い。ガルディアよ、あの人間を始末せよ』


「ダリア、俺の傍から離れるな」


「は、はい!」


 気づいたところで状況はより厄介になっただけだ。目玉に命じられると、ガルディアは真っ直ぐこちらに向かってくる。


『ファルガーよ。我を受け入れよ』


 赤い眼光を直視すると洗脳されるのならば、単純な話だ。目をつむればいい。ガルディアの攻撃は空気の流れでなんとなくわかる。


『支配を拒み、人間を守るか。ならばそれをどう止める?』


 その問いかけには、ガルディアの攻撃を両手で防御して答えた。視界を閉ざして戦うならば勝てない相手だ、ふつうならば。だが炭坑で頭に一撃もらったときに比べると、攻撃は軽い。


 間違いない。手加減をしている。ガルディアは操られてなどいない。


『さすがはファルガーだ。先の戦いで竜の王を屠っただけのコトはある。よもや目を閉じてそれの攻撃を防ぐとは』


 ワケのわからない賞賛が悲しいほど滑稽に聞こえる。ガルディアの実力はこんなモノではない。


『しかし悲しいかな。我に歯向かうならば、たとえ神の後継者とて堕落したも同然。さて、我に向き直れ。本気を出すがよい』


 ガルディアのうめき声が聞こえる。薄目を開けるとこちらを向いて、骨を突き刺すか、もしくは投てきする構えを取っていた。


『やれ。不肖の子を始末しろ』


「仰せのままに……!」


 笑ったかと思うと、急に横を向き、そのまま骨を壁に投げ、突き刺した。さらにそこへ走り、拳で押し込む。


『バカな、なにを!?』


 ガルディアの瞳からなにか落ちた。それは半円形で赤い。


「これ、カラコンね。親父殿、知ってるか? カラーコンタクト。ミストガルドで作られてんだぜ」


『ではあのときファルガーを空から落としたのも……。おまえは、どこまで我をバカにすれば気がすむのだ』


「バカは死ななきゃ治らないって言うだろ?」


 ガルディアが壁から離れこちらの傍に寄ると、壁の穴から音とともに白い靄が部屋を包む。辺りはもうなにも見えなくなった。これならば、あの赤い眼光は見なくてすむ。


「おい、ミキにお嬢さん。早くエレベーターに戻れ」


「ダメだ。置いてはいけない。いっしょに戦おう」


「おまえの役割はなんだ? 成すべきを成せ」


 そうだ。役目はダリアを守るコト。守りながらでは、得体の知れない敵とは戦えない。心苦しいが……。


「……すまない」


「そんな、ガルディアさん!」


「気にすんな。これでいい」


 後ろを向くと、また頭に声が響いてくる。より大きな声だ。


『我は分霊ぶんれい。本体に非ず、故に不滅なり。我が子らよ、再び我に忠誠を誓え。でなければ……自爆し、ここを爆破する』


「ば、爆破って!?」


 周りの空気を吸い込んで膨らむ音がする。だが視界に広がる蒸気は薄くならない。あの目玉が自分で大きくなっているようだ。


『この先のエレベーターで、人間たちを移植させようというのならば、もうこの部屋は必要ない』


「やれやれ、魔法時代の亡霊はなんでもありだな。たしかにアイツの力はアイツだけのモンだ。でもなミキ、よく聞けよ」


 眼差し鋭くこちらを向き、しかしその口元は上がっている。


「おまえの力はおまえのものだ。その力の使い道は自分で選べ。だから――決して、絶対に、後悔はするなッ!」


 この言葉はほとんど残っていない記憶の中に、鮮明に刻まれている言葉だった。これを思い出したおかげで、あのときに立ち上がれた。


「……ああ。忘れていない。その言葉があったから、助けてくれたから、俺はダリアに出会えた。諦めないでいられた」


「へへっ、そうか。忘れてなかったか……。いいね、それだけでじゅうぶんだ」


 ガルディアが拳を突き上げるのを見届けエレベーターに乗ると、扉は自動で閉じる。


『くだらん義侠心に酔うなど、愚の骨頂だ。長い命をこんなところで捨てる気分はどうだ? 怖くはないのか?』


「おれは永遠なんて興味ねえ。……だから、人間がうらやましかった。愚かで愛しいヤツらだよ。そんなデカい眼でもアンタには見つからんだろうがね、人間の強みは」


『後悔はないか。我に歯向かいし愚息ガルディアよ。おまえの死後の道に、暗く深い、呪いがあらんコトを……』


 上昇するエレベーターの足元で轟音が衝撃とともにやってきた。


「ガルディアさーんッ!」


 ダリアは叫ぶ。俺も叫びたかった。強い揺れに襲われても、ひたすら上昇し続ける。


「ガルディアさんまで……。みんなみんな、どうして託してばかり……」


 俺は救われてばかりだ。こんなまでに悲しく、情けなく思うコトはない。思えばそうだ、使徒はみな、兄弟なのだから。闘技場での一幕を神はどう思っていたのだろう。ガルディアは言っていた、神はこの世界を自分の庭のようにしたいと。


 ただそれだけのために、操られ、争われていたというのか。


「ミキさん、私たち、これからどうしましょう……」


 エレベーターが停止すると軽快な音を鳴らし、扉が開く。


「不安にならなくてもいい。下に降りよう。祖父にただいまと言ってあげるんだ」


「……はい。きっと安心しますよね」


 ツリーハウスを出ると、まだ外は明るい。山々に囲まれた大草原、穏やかな川の流れ。世界は美しい。これを我が物とするなど、おこがましい。


「……ヤツは不滅と言っていたな。追って来るのかもしれないな。ダリア、マスクを」


 ダリアはマスクをして、手を握ってくる。


「ほんとうに平気なんですよね……?」


「問題ない。せーので行こう」


 ふたりで「せーの」と言い、跳んだ。緑の世界は落下するにつれ、金網をすり抜けて白い蒸気に包まれ、ついになにも見えなくなった。


「た、助けて~ッ!」


 ゆっくりと落下するように石に念じると、コートのポケットにあるそれは光を放ち、応えた。まるで羽になったような気分だ。


「あ、う、浮いてる! これがスゴい石の力なんですね」


 ダリアと両手を繋ぎ、身体を水平にする。蒸気に閉ざされた目の前の中で、たとえ姿がおぼろげでも、守るべき確固たる繋がりが手で感じられる。


「ずっと、こうしていたいなあ。ミキさんだけを見つめて……」


「……俺も離れたくない」


 こうして幸せを噛み締めていたい。これから先に起こるコトを考えると、せめて、今だけは。

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