第十八話 帰郷
長い夜が明けた。白んだ空は世界に彩りをもたらす。ベッドで眠るダリアの顔は、いびきをかきながら、どこか幸せそうに口元を緩めている。ミキも頬を緩めた。
ダリアの寝顔を眺めながら神樹に建てられたこの小屋にいると、胸が暖かくなり懐かしい気持ちになる。ミストガルドでは得られなかった安心感、これを郷愁というべきか、慕情というべきか。だがこんな思いを抱くなど、自嘲せざるを得ない。
「滑稽な話だ。兵器である俺に、愛する資格など……」
テーブルに置いた本を棚に戻そうとすると、手を滑らせて落としてしまった。ダリア以外が静かなこの世界で、小屋の床は鈍い音を立てる。これではダリアが起きてしまう。
「んぁー……。んぐぅ」
そのせいかはわからないが、ダリアは勢いよく掛け布団を蹴飛ばした。腹を出して寝ている。起きないのでホッとしつつ、布団を直そうとしたそのとき、いびきが止まった。
「んぁ。……あ、おはようございます、ミキさん」
起こしてしまった。ダリアは寝ぼけ眼を擦り、微笑む。
「おはよう。これを蹴飛ばしていたので掛けようとしたところだ」
「あ、ありがとうござい、ま……」
「ん?」
ダリアがなにかに気づいて赤面した。
「ホ、ホントですか!? こんなお腹も出して、わたしにナニかするつもりじゃ!?」
「ワケのわからないコトを言うな。ダリアの寝相が悪いだけだ」
「……ふふっ! いつになく早口ですよ。ごめんなさい。冗談ですっ」
昨日のごめんなさいとは重さが違った。とても軽く、だからこそ笑顔で冗談を言うダリアが傍にいて安心した。顔はまだ赤いが。
「顔が赤いが、平気か?」
「へ、平気ですよ! 寝る前まで暗かったのに、今はすごい明るいですね」
「太陽が昇ったからだ」
「太陽!? 見たいです!」
「今なら窓越しに見える」
掛け布団を畳みベッドに置いて、窓を開ける。手招きすると、すぐに駆け寄ってきた。ミストガルドでは太陽も、ましてやこんなにも青い空も見えなかった。珍しいものには間違いない。
「これが太陽……。まぶしくて暖かくて、気持ちいいです! ミキさん、どうですか? 元気になりましたか?」
「元気は元気だが」
なんでこんなコトを訊いてきたのだろうか。そういえば、ダリアの家の本棚に、そんな図の本があったか。
「ちなみに、俺の元気の源は太陽ではない」
「え? そういえばガルディアさんもそう言ってましたっけ。いったいなんですか、教えてくださいよっ」
「それは俺の目の前にいる」
「ふふっ。んもーっ、冗談がヘタですよっ」
「冗談ではない。使徒は希望を持って動ける。ダリアが俺にとっての希望であり、元気の源だ」
「……希望、ですか。ミキさんの言う希望ってなんですか?」
「それは秘密だ」
「んもーっ、またはぐらかして。でも、それってわたしは特別ってコトですね!」
「もちろん」
「えへへっ。わたし、うれしいです!」
今のような時間がずっと過ぎればいいと思うが、永遠などない。いや、永遠など欲しくはない。欲しいのは――
「おーう、起きろー! 朝だぞ!」
突然、ガルディアが勢いよくドアを開けてやってきた。
「いつも騒がしいな。たまには静かに入れないか」
「ガルディアさん、おはようございます」
「……なんか、関係性が一皮剥けたってカンジするな。あっ、ひょっとすると、ゆうべはお楽しみでしたァ?」
朝の早い時間には、うざったい態度だった。ダリアの顔がまた真っ赤になっている。
「俺にそんな機能はないだろう」
「そんな機能? そんな機能ってなあに? ミキの口から聞きたいナ、ナンチッテ!」
「しばく。今度は冗談じゃない」
「ウソウソ。悪かったよ。ってコトはあれか、読んだのか」
ダリアを見守りつつ、夜通しでずっと本を読んでいた。暗くても目が慣れれば読むのに支障はなかった。
「ああ。俺たちが『
「当然」
「え? なんですかそれ?」
ダリアが首を傾げる。
「希望を抱いて動き、持ち運びの必要ない骨を武器とする、継戦特化の人型兵器。それが俺たち使徒の正体だ」
「大昔、竜相手にバカみたい戦ってなお生き残った、人間を夢見た兵器の出来損ないさ」
「出来損ないだなんて……そんなコトありませんよ」
「そうか? ありがとな」
本を読み解くに、かつて魔法の力と科学の力を結集させ、出来上がったのが使徒であり、それを造ったのがガルディアのいう神だ。結果、どちらも滅んだところで、神と使徒はカプセルの中で眠りについたらしい。
「だが、なぜこの期に及んで寝覚めさせた」
「元々ミストガルドってさ、神樹の麓にある国の地下牢獄だったんだけど、それが唯一人間たちが生き延びる術になったワケ。ほら、地上はこの通り文明自体なくなったから」
「……それが今の街になるまで、ゆっくり時間をかけてたってコトですか?」
「そうそう。お嬢さん鋭いね」
それまでにどれくらいの月日を要したのだろう。もっとも、元は牢獄と言われても、今でもじゅうぶん牢獄のようだが。
「なぜ大穴を空ける必要があった」
「人を生かすための神様的やさしさだろ、たぶん」
「あんなところに閉じ込めておいて、やさしさなんてないじゃないですか!」
「見下せる相手がいなきゃ、神様になれねえからな。そんでテキトーに宗教でも作って、いざ求心力がなくなったら、デモ隊に使徒をぶつけて鎮圧すりゃいい。神秘的なイメージ植え付けて神の後継とか言えば、民衆は信じるし、あとは勝手に生き延びるし……」
ガルディアは急に手を叩いて、こちらを向いた。
「そうだ。ふたりでここに住んじまえよ。下にいたってつらいだけだし、お嬢さんの体調が心配だ。たぶん朝露を飲み続けないと、また症状が出てくると思うぜ」
ダリアと顔を見合わせ、頷いた。できるならばそうしたい。だが考えているコトは同じようだった。
「……できません。下にはおじいちゃんがいますし、それに――」
腹が鳴る音が聞こえた。誰のものかは言うまでもない。
「ご飯がありませんし……。お腹空いたなあ」
「ダリア、これを」
「ポケットをまさぐってどうしたんです?」
「ウシ缶とやらだ」
「あっ。欲しいです! ……でも、中身だけ? どうしてコートの中に?」
「おいミキそれって! ……あのな」
ガルディアがダリアに耳打ちすると、キラキラした視線が一瞬にして曇った。
「……ごめんなさい。ちょっとドン引きです」
「いやポケットから中身だけ出した時点でアウトだけどな」
「……すまない」
手のひらのピンク色の肉塊は、よく見ると木屑がビッシリと付着していた。これでは食べられない。
「俺の腹から出したてならば、あるいは食べられただろう」
「いやいやいや違う違う、そういう問題じゃない! もう喋るなおまえ!」
「でも、わたしのために取っていてくれてうれしいです。その気持ちだけでじゅうぶんですよ」
「ほらぁ、ヘンに気使わせてさあ」
「……すまない。反省する」
「お、落ち込まないでください。ね?」
「はーっ、しょうがないな。やっぱり下に帰ると思ったよ」
ガルディアが一旦外に出ると、小さなマスクと見覚えのある缶を持ってきた。
「ほら、お嬢さんのネズミマスクとウシ缶」
「あーっ! ありがとうございます! ミキさん、開けてください!」
「ガルディア、なぜ先に出さなかった。言ってみろ」
缶を開けて、棚にあったスプーンをダリアに手渡しつつ、問い詰めた。
「まあまあ。いいだろ、おまえのメンツなんて」
「たしかに。ダリアが餓えないコトが最優先だ」
「もうちょいからかってやろうと思ったのに、ヘンなトコはさっぱりしてるなおまえ……」
「ごちそうさまでした!」
ダリアはあっという間にウシ缶を平らげた。
「じゃあ下へいこうぜ」
「どうやって?」
「まあ、まずは念のため
乾燥したツタで編まれたカゴの中に石がたんまりと積まっている。それを3人で持てるだけ持ち、腹いせにウシ缶の肉塊をカゴに入れた。異物感が漂う。
「それじゃ、下へ参りまーす」
ガルディアは本を並べ直すと、本棚が扉のように開いた。隠し扉の向こうはエレベーターになっていた。
「わっ、床がどんどん落ちていきますよ、楽しいですね!」
「神樹の中だというのに、こんなモノがあるとはな」
「ちゃんと着くから心配すんなよ。その前に……」
扉が開き、灯りが自動で点灯すると、不気味なほど広い空間に出た。金属が剥き出しになった壁と床、その中央には5つのカプセルがぽつんと並べられている。
「ここが
そうだ、ミストガルドで目覚めたとき、ここの情景が浮かんだ。同じく聞こえたあの声は、きっと――
「……あれ? なんだか
ダリアが目をこすって、なにかを凝視している。
「まだ体調が良くないのか?」
「いいえ、そんなコトはないんですが……。うーん、ミキさんもよく見てください」
言われた通り前方に目を凝らすと、たしかに黄色い靄が浮かんでいる。神樹の中だが蒸気は入ってる気配もなければ熱くもない。不可解なそれは、しかしすぐに正体を現した。
まるで意思を持っているかのように靄は空中で渦巻いた。やがて色は濃くなり、ついにその向こう側が見えなくなる。実体化したのだ。靄だったものは大きな球状となり浮いている。
『人間、なぜ人間が存在している。我が居所を侵す者は誰ぞ?』
「あ、頭の中で声がします!」
ミキはダリアの前に立ちはだかり、黄色い球を見つめていると、球の表面がせり上がり、赤い眼球が開いた。
『人間風情が不遜ではないか。その増長を罪とし、裁きを与えよう。我が子たちよ、その人間を消せ』
我が子。あの目玉はそう言った。ガルディアの姿勢と表情は固まっていた。だが目玉が何者であれ、そんな命令など聞けない。故に反抗する。
「俺たちの邪魔をするな」
たとえ、それが神であっても。
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