第十六話 蓋天
天翔ける木製の小舟にミキとダリア、そしてガルディアは乗る。
かつて巨大なガス袋をくくりつけただけのそれは、帆もオールもないが、しかし水色の光を放ちながら煙と蒸気に閉ざされた空を駆ける。あらゆるモノを浮かす不可思議な石、『
「おい、このマスクをお嬢さんに被せてやれ。お前が炭坑でしてたヤツだ」
ガルディアはミキに、小舟に入っていたマスクを手渡した。ダリアに被せると大人用のマスクなので、隙間が空いている。
「これで、楽になれば……」
しかしまだ息が荒く、咳込んでいる。
「以前に助けた男は、被せてすぐに治ったのだが、なぜダリアは……」
「ナセマのヤツが言ってたろ、風土病だって。悔しいが事実だ。お嬢さん、煙突掃除のしすぎだったんだよ」
「……そうだったのか。ダリア、苦しいな。もう少しの辛抱だ」
やはり炭坑に行くべきではなかったのか。後悔など無駄とわかっていても、どうしてもその思いは抑えられなかった。
しかし今、それを前面に出すワケにはいかない。たとえ聞こえてなくとも不安にさせないように、やさしく言ったあとで、両手を小舟につけているガルディアに訊いた。
「ほんとうに治る手立てはあるんだろうな」
「当たり前だ、任せとけ。絶対に間に合わせる!」
その断言が心強く感じ、粗末なボロ船でも大船に乗ったつもりになる。だがこの空の航海は五里霧中。なにも見えず、また追手がいるコトも忘れてはならない。
「羽ばたく音が聞こえる」
その方を向くと、二対の翼を羽ばたかせる鋼鉄の巨鳥がこちらを睨みつけている。法王が戴いていた冠が変形した
「もしかしてアイツじゃねえか? おれの飛空船をこんなにしたのも、ナセマをやったのも」
考えてみればそうだ。ガス袋を割った光線は客席から、使徒の男の額を撃ち抜いた光線は控え室から撃たれ、それも撃たれたあとに法王がうんぬん言っていたから間違いない。
「俺は防御に専念するか?」
「いや、おれが回避する。ナセマほどじゃねえがこの
骨を抜き握りしめたら、ダリアのために手を伸ばせなくなってしまう。初めてこの身体を恨んだ。
「お客様、右側をご覧くださーい!」
ガルディアがワケのわからないテンションで言う。その通りにすると、白く閉ざされた視界にそびえ立つ円柱と、蒸気が通っている聞き慣れた音がする。
「
小舟に埋められた光がさらに輝くとスピードが速くなる。腕を伸ばせば着くくらい
するとクチバシの周りに稲妻が迸り、それが口内に集約されると、激しい雷鳴の轟く球となった。
「この万雷の拍手はおれたちに向けられてるのかね?」
「螺旋状に昇るからこそ減速し狙いすませば当てられる、というコトか。ガルディア、来るぞ」
四枚の翼を広げ、
「そう急かすなよ、あんなクソジジイの言うコト聞いてる分際でよ。蓋天の幕は上がっちゃいねーのによ」
回避は任せろと豪語しただけのコトはある。感心していると、雷鳴を響かせながら
「だからカーテンコールにゃまだ早いっての! ミキ、指示頼む!」
「わかった」
「相手の気持ちになって、ねえ。おまえ性格悪いんじゃねえの?」
「だとしたら、ダリアが俺を慕ってくれるハズがないだろう」
「ははッ、違いねえ!」
白い煙によって閉ざされた視界は、依然としてなにも見えない。だがなにかが頬を撫でた。冷たく、やわらかく、どこか懐かしい。たしか、これは風だ。
「そろそろ着くぞ!」
見上げると、ところどころに光が差し込んでいる。その余所見をした一瞬だった。糸のように細い光線が、舟底に埋められた
「もうちょっとだってのに!」
「問題はないのか?」
「ない! だからこそ撃たせろ、でっかいヤツを!」
「ああ」
ミストガルドで目覚めた直後にダリアと出会ったとき、クモの姿をした
「この空の上には、なにかあるんだろう。壁というべきか……いや、蓋かなにかが」
「勘づいていたか。そう、クッソデカくて邪魔くさい金網の蓋がある」
蓋が邪魔ならば、
ならば、こちらが一層強い敵意を向け、脅威と認識させればよいのではないか。できればの話だが、それも机上の空論だ。ダリアを抱えたまま腕の骨は握れないし、ガルディアも小舟から手が離せない。
「あれ? スピードでないから、でかいのきたらヤバくないか?」
「下らない冗談に付き合うヒマなどない。ダリアの命が掛かっている」
ミキは片手でダリアを抱えながらコートのポケットに手を突っ込み、光を失った
「あの使徒の男が落としたものだ。使えるだろう?」
「ヘへッ、抜け目のないヤツ!」
ガルディアはそれを握り潰し、粉塵となったそれを小舟全体にバラまいた。舟は加速する。
「うし、これで速くなった。ガンガン進む……って、おい!」
進行方向には
「回り込んで撃墜の準備万端ってか。ったくよお、しょうがねえ」
ガルディアは首を鳴らし、骨を出した。
「カタナの鞘になった気分だな。ほら、これを使え。お嬢さんとおれを守りながら、アイツの攻撃を防ぐ。おまえさんなら朝飯前だろ?」
「必ず成し遂げる」
朝飯前という言葉で思い出した。腹に異物感があるのを。そして空からやってきたコトを。関係がないように思えるが、これらは密接に関係している。
「ガルディア、俺は空から落ちてきたのだろう?」
「急になんだよ」
「自由落下ではあるまい」
「そりゃそうだ」
その一言で、ガルディアは目を見開いた。
「……ああ、そうだ。持ってたじゃねーか、
「やはりそうか」
ミキを含めた使徒たちの腹の中は空洞である。故になにを食しても味はなく、栄養にもならない。希望を嚙み砕いて動く彼らは、だからこそ口に放り、飲み込んだモノはそのまま残る。ガルディアも小舟に仕込んだ
「うぐっ……」
「つらいよなあ、それ。どうしてこう、出すときは人間と同じなんかね? もっと便利に作れよな」
ミキは口の中に指を入れ掻きまわすと、ピンク色の物体を出した。
「もしかしてウシ缶の中身か、それ? ……いや口から出てくるとグロいな。絶対にお嬢さんに見せるなよ」
「ガルディアが朝飯前と言ったので気づいた。ダリアが朝食でくれたものだ」
「なにも飲まなくても食わなくても、おまえにはお嬢さんがいれば無尽蔵に動けるのにな」
「ぇぐっ……。ダリア、傍で汚い声を上げてすまない」
苦しいのを抑え、えずき、吐き出すと、予想通り
「ばっちいけど、ガンガン進もうぜ!」
舟はさらに加速する。
「おい、おれに当たっちゃうぞ。文字通り手が離せないのに」
「背中を借りるぞ」
ミキはガルディアの背中に片足を乗せ、飛んできた雷球を弾き返した。上方へと飛んでいくのを見ると、すぐになにかが壊れる音と、細切れになった鉄が空から降って来た。
「一部分だけだが、蓋の金網を壊せたからアイツは用済みだな。あとはお好みに始末してくれや」
ミキは再び迫る雷球を、
「思ったとおり、尋常ではない圧力がかかっているようだな」
「ピーピーうっせ! でもおかげで倒せたな。もうすぐ着くからがんばれよ、お嬢さん!」
ガルディアに骨を返した。小舟は真っ直ぐ上昇すると、吐息のような風が蒸気に包まれた空気を晴らすと、金網が見えた。一部分だけぽっかりと大きな穴が空いており、わずかに光も差し込んでいる。
「さあ、もうすぐだ! ミキ、ワイヤーを伸ばす準備をしておけ!」
小舟は穴をすり抜け、ついにミストガルドの空を抜け出した。眼前に広く晴れ渡る世界に、ミキはつぶやいた。
「――なんのためにダリアは、人々はあんなところで働いている」
眼下に広がるのは、草原と、崩れた石橋の下を流れる清冽な小川。たしかに残る文明の跡に寄り添う、一面の緑の世界。ミストガルドの上は、こんなにも空気が澄んでいる。
「意図して閉じ込めているのだとしたら……。ああ、なんて。なんてつまらない話だ」
そして街の中央にそびえる
「ミストガルドは、これの植木鉢だったとはな」
空は葉に覆われて、しかしそこから差し込む木漏れ日と隙間から覗く青い空は、とても美しかった。
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