第十五話 愛

 残忍な本能に近い、欲望渦巻く闘技場、その満員の観客席は異様な雰囲気に包まれていた。


 真剣勝負の間に立ちはだかった使徒ファイス、その頭上を過ぎ墜落した飛空船。そして今は、それから転がってきたひとりの人間に釘付けになった。


「ダリアッ!」


 記憶喪失と紹介された使徒が、真っ先にその人の元へ向かったのだから。


「ダリア……。マスクは、マスクはどこにッ!?」


 横たわるダリアはマスクをしていなかった。落下した衝撃で外れてしまったからだ。


「探しモノはこれかね?」


 ナセマの手には得物の腰帯剣の代わりに、ダリアのマスクがあった。


「ふむ。記憶処理は不完全だったというワケか。ガルディアめ、よもや手加減したのではあるまいな?」


「それを寄越せッ!」


「フフッ、ハハハ……! 私と戦っている以上に必死じゃないか。いやはや、舐められたモノよ。実際、屈辱以外の何ものでもないわ! ハハハ!」


 ミキの呼びかけに、ナセマはため息をついてから、マスクを踏み潰して答えた。


「ダメじゃあないか、使徒ファルガー! 神の後継たる者がひとりの人間に肩入れしちゃあ! ええッ!?」


 執拗に執拗にマスクを踏みにじる。現にナセマはこうして鬱憤を晴らそうとしていた。


「神とは全ての生けるものに、平等に振る舞わなければならないのに。だからこそ……人間など平等にどうでもいいッ! そんな小娘など捨て置け捨て置け捨て置け捨て置け捨て置けッ!」


「……ごほッ! く、くるしい……」


 観客席からはナセマに対しての多種多様な罵詈雑言の嵐が円形に飛び交う。その騒音はダリアの咳すらも聞こえなくしていた。


「ダリア、しっかりしろ!」


 ミキは握っていた骨を戻しダリアを抱え、控え室まで向かおうとするが、その肩をナセマが掴む。


「もう無駄だぞファルガー! あの咳の音は過労によるミストガルドの風土病、いわば『寿命』だ。貴様も腐るほど見ただろう、道端で倒れる人間と同じになるのだ!」


「黙れッ! 邪魔だ、近寄るな!」


 またナセマを蹴飛ばす。地面に横たわりながらもまた喋る。


「使徒ファイスはその身を挺して貴様を守ったのに、それなのになにも感じないのかッ!」


「お前らなんぞに仲間意識など感じていない。消え失せろ!」


「ならば、もはやなにも言うまい」




 ファイスは意識が途切れるその前に、ナセマと言い争いながらダリアを介抱するミキを赤い瞳で見つめていた。


「あ、あたしは……。愛されていなかったのね。結局、彼から名前も呼ばれず、きっと覚えてさえも……。ああ主よ、お許しください。あたしは、使命を――」


 ファイスの赤い瞳は緑になり、人知れず動かなくなった。




「こほっ、げほッ。……ミキさん?」


「ダリア、気がついたか!」


「よかった……。ガルディアさんの言う通り、わたしを覚えてくれていて」


 ダリアは息を切らしながら、また大きな咳をする。マスクかアリアの苗木を探すも、一番近いマスクはナセマがしている。


「待っていろ、必ず助ける」


「ううん……。もう、いいんです」


 ダリアは弱々しい声で言う。すぐに事切れそうで、ミキは気が気でなかった。


「両親だって子供の頃に死んじゃったし、煙突の仕事を教えてくれた先輩も、ずっと年下の後輩も、みんないなくなっちゃって……。でも、おじいちゃんがいてくれてよかった」


「……なにを、なにを言っている」


「大事なモノを失くして、失くし続けて。わたし、生きるのがつらかったんです。ずっとずっと、わたしは……」


「やめてくれ。ワケのわからないコトを言うな。そんな冗談は……言うものではない」


 微笑んで、しかし咳をしながら、ダリアは続ける。


「でも、いつかはどうせ……。そう思っていたら、あなたに出会えた。助けようとしたら、逆に助けられちゃって。やさしくて不器用で……わたしの傍にいてくれましたね」


 ダリアの青い瞳は真っ直ぐミキの瞳を見つめる。


「ミキさん。わたしのコト、ずっと覚えていてくださいね」


「……最期にはさせない。思い出は、これからも作っていこう。俺は、ダリアが居なければ、生きる、意味など」


 重い身体を引きずるように控え室へ向かおうとすると、ミキの進路を素顔を晒したナセマが塞ぐ。ナセマはマスクを取られると察知し、壊していた。


「邪魔立てするなと言っているッ!」


「ファルガーよ。おおファルガーよ、ファルガーよ。どうして貴様は愚か者なのだ。彼女の意思を尊重すればラクになるというのに」


 丸めた銀色の頭に赤い瞳。ファイスのそれと違い、稲妻が走るように血走っていた。迸る狂気を孕み、ミキににじり寄る。


「こんな小娘ひとりに運命の歯車を狂わせられたとはな。まったく、縁は異なもの味なものよ」


 ナセマもミキと同じように左腕の骨を得物とし、右腕一本で横に振る構えをとった。両手が塞がっているミキは回避できる体勢をとろうとするも、いつものように動けなかった。


「身体が重かろう。それは絶望しているからだ。私は神の使命を信じ、希望を感じれば自ずと軽くなる。そう、使徒は『希望が力の源』なのだから。貴様にとって彼女が生きているコトこそ、希望だったワケだ」


「……お前は、どうしたいんだ」


「決まっておろう。我が使命を果たすまでッ!」


 思ったとおり、ナセマは得物を横薙ぎする。ミキは身を屈めるしかできなかった。避けはしたが、もう身動きはとれないと直感した。だがそのときだった。


 頭上で空気を切り裂く音。背後の通路から、白く細い光線がナセマの額を貫いた。まるでそのタイミングは、ミキが避けるのを待っていたかのように。


「法王猊下、感謝いたします。我が使命、これにて果たされり――」


 ナセマの瞳は緑色になり、服から石を落として絶命した。


「使徒ファルガーよ、無事であったか」


 光線が発射された通路から、法王がマスクを着けてやってきた。杖をついてやっと歩くその後ろには憲兵が並んでいる。


「使徒ファイスを刺す使徒ナセマの凶行に飛空船の妨害。目に余るものがあったが、しかしこれを超えたお主こそ、神たる後継にふさわしいであろう」


 ミキは直感した。これは命を弄んだ茶番だったのだと。


「我が愛する民よ、聞くがよいッ! 悪に堕ちた使徒ナセマは、使徒ファルガーの手によって倒れた。崇め祭るのだ、彼こそが! 新たなる神だッ!」


 法王の呼びかけに、観客たちはざわつき、そして理解する。


「空から舞い降りたって言っていたよな。それって、まるで救世主テンシ様じゃねえか!」

「言い伝えは本当だったんだ。アタシたちを導いてくれるんだね!」

「ナセマも死んだし、最高かよ!」


 各々の意見は団結し、壊れたように割れんばかりの大喝采を繰り返す。


「ファルガー様、万歳!」

「ファルガー様、万歳!」

救世主テンシ様、万歳!」

救世主テンシ様、万歳!」




――ラーディクスの次なる神を選定する計画はこうだった。


 まず、ラーディクス自身が真偽不明かつ無関係を装うウワサを昔から流し、民衆自らが継承させるようにした。強制かつ過酷な労働から目を逸らせる救いとして機能するように。


 次に、抑止力として、救いとして常人を超える力を持った使徒を設置。ナセマは『使命として憎まれながら死ぬ役割』を、ファイスは慈愛を、だからこそ『愛されて死ぬ役割』をもって民衆に接した。それがこの戦いで、ミキと民衆の感情を動かすものとして機能するように。


 そして、記憶喪失にしたミキを空から降らし、神としての使命を強く意識させ、失った信仰を集めさせようとしていた。マイナスからゼロに向かう信仰を希望にして、絶対的な支配者の役割を機能するように。


 しかし、その目論見はひとりの少女によってそれは崩壊した。神となるべきだった使徒はその少女に出会い、愛し、ふたりの使徒は微塵も愛されなかった――




「さあ立て。儂に代わり、法王の権を超えた神として、救世主テンシとして導くのだ。手始めに、その小娘からだ」


 法王は圧をかける。


「それは空から舞い降り、人々を空へ運ぶであろう――。その意味は、たきぎにするコトだ。空へ運ぶのだよ、御柱ラキスの煙として。自分でなにも考えない愚民共は、お前を讃えているがな」


 ミキは思い出した。倒れた人間のマスクを外した顔を。血の流れを感じない青ざめた顔、硬く動かなくなった身体。それをダリアに置き換わると、ミキは恐怖に支配された。


「ダメだ、それだけはやめてくれ。まだ……まだ生きている」


「あきらめて、また新たな希望を見出したほうが賢明だぞ。観客席を見るがいい、人なら掃き捨てるほどいる。さあ憲兵よ、その小娘をたきぎにしてしまえ」


 後ろに控えていた憲兵は乗り気ではなかった。使徒も親しい人の別れの恐怖で震えている。そう思うと、なんら人間と変わらないと感じたからだ。


「猊下、ファイス様とナセマ様の御遺体はいかがいたしましょうか?」


 せめて時間を稼ごうと質問した。


「ナセマなど捨て置け。ファイスは……、ここまでの上玉ならば、使であろう?」


「……はっ」


 その意図を察すると、憲兵はドス黒い気分になった。マスクの下で表情を歪めた。


「早くそれをファルガーから引き剥がすのだ!」


 法王は憲兵の仕事の遅さに怒鳴りつけた。憲兵はまだ時間を稼ぐ。


「相手は神でしょう?」


「絶望してへたり込む神を恐れるのか? これでは畏怖のしようがない」


 憲兵はミキの目前に屈み、腕を伸ばした。ミキは震える声で言う。


「やめてくれ。……俺からダリアを、奪わないでくれ」


「どうした! 早くやらないかッ!」


 良心と役割の板挟みになった憲兵はとった行動、それは腕を下ろし、ミキに話かけるコトだった。


「この街では、みんなラーディクスからなにかを奪われ続けているんです。ずっとずっと奪われ続け、やがて奪われるコトに鈍くなって……、自分の中で、なにが大事なのかを忘れてしまうのです」


 その口調はやさしくもあり、またあきらめにも似た穏やかさがあった。


「いつだったか、私はあなたたちを見かけたとき、心底、心から仲が良くて羨ましいと感じました。そのとき、思い出してしまったのです。私にも、愛する人がいたのだと」


 憲兵は立ち上がり、ミキに背中を向けた。その背中は、ミキにとって大きく見えた。


「私はその人に銀のスプーンを渡せなかった。心に蓋をしていた後悔が滲み、溢れてしまいました。今日まで生きていて、ずっと苦しかった」


「我が命に逆らえないというのか?」


 大きく頷いてみせ、毅然とした態度をとっている。


「生きる意味すら奪われようとも、しかし生きているのだから、希望は託せるのです。行ってください、私が止めてみせますッ!」


「蛮勇を奮うのは愚者の行いよな。よもや儂の後ろが見えないほど節穴ではあるまい?」


「猊下の御目が曇られているのです。この空のように」


「ぬかしおるわ。やってしまえ!」


 法王が震える指をさすと、後ろに控えていた憲兵たちはミキを囲んだ。だが、その円はすぐに瓦解した。


「下らん情に絆されたか」


 円を作っていた半分の憲兵がミキの前に立ちはだかった。


「バカめ! お前たちだってラーディクスに属しているのに、選民区セントラルで暮らせる地位を捨てるのか!?」


「地位など、もはや必要ない。他人のめいよりも、私のいのちを貫き通すッ!」


 帯剣を抜き、言い争い、憲兵同士で切り合い始めた。自らの意志を示してくれた憲兵を見ると、ミキの身体はウソのように軽くなっていた。


「おーい、ミキ! こっちだ!」


 立ち上がり控え室へ逃げようとすると、歓声と剣の打ち合う音に混ざり、たしかに呼ぶ声が聞こえる。ガルディアの声だ。


「ワイヤーを伸ばせ!」


 ミキはガルディアの呼ぶ方を向くと、ボロボロになったガス袋の中が水色に輝いている。それはナセマが握っていた『浮遊石ネブラスタ』の光と同じだった。ガルディアの姿は見えないが、信じて右腕を伸ばす。


「ありがとう。おかげで助かった」


「お幸せに!」


 ミキは憲兵の無事を祈り、ワイヤーを射出する。見計らったかのように、ガルディアが破れた袋の下から現れワイヤーを掴み、引き寄せた。


 それと同時に、ミキはダリアを抱えながら跳ぶ。着地したそこは飛空船の甲板だった。


「クソジジイがあんな兵器を隠し持ってるなんて知らなかった。でもこれで問題ない。お嬢さんを助けるぞ!」


「どこへ向かうんだ?」


 ミキの質問に、ガルディアは勢いよく天に指を立てる。


「空だ、空を飛ぶぞこれからおれたちは、蓋天がいてんくッ!」


 飛空船は数人しか乗れない小さなボートに水蒸気で浮くガス袋を紐で繋いだモノだ。舵もオールもない木製のボロ船は、ガルディアが仕込んだ『浮遊石ネブラスタ』により飛空船として復活した。


「そうか。ガルディアよ、お前まで裏切るとはな」


「うるせーぞクソジジイ! 元々そういう腹積りだったわ!」


「ならば、儂が神になるのも悪くはあるまい……。神の敵は誅殺せねばな」


「手足も弱いくせに、欲だけはバカデカいんだから。世の中、こういうヤツが長生きするんだよな」


 法王の王冠が自然に浮き、変形すると、翼を広げる機械仕掛けの巨鳥へと姿を変えた。これこそが飛空船とナセマを撃ち抜いた歯狂魔ハグルマだ。


「行っておいで、電磁鳥ミル


「あれにやられたのか。つか民衆の前で見せていいのかよ? 歯狂魔ハグルマとグルって思われるだろ。とにかくミキ、お嬢さんを離すなよ!」


「もう少しの辛抱だ、ダリア。またいっしょに暮らそう」


 息を荒げるダリアの口元は笑ってみえた。ミキも微笑み返した。


「さあ行くぜ、発進しろッ!」


 ガルディアが両手をつくと、船は光を増して浮き始め、徐々に加速していく。あっという間に闘技場は目下へと遠のき、空を泳ぐ舟は煙と蒸気に包まれた。



 ここは蓋天の街、ミストガルド。人はみな黙りながら仕事をこなし、魔物の襲撃を恐れながら、隣人の顔も知らずに生きている。蒸気と煙に閉ざされているこの街で、視界は晴れることは無く、明日すらも見えない。


 だからこそ、人は未来へ希望を託す。自分より誰かの幸福を願い、きっと昨日よりも明るい明日が来るときを信じて。

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