第十四話 再会

 悪趣味な光に照らされた建造物に挟まれた道を抜けると、それは聳え立つ。大きな歓声が外に漏れている。


「ここが、あの使徒と戦う場所か」


 ミキの眼前に聳えるのは巨大な円形の闘技場だ。労働者のガス抜きとして建てられた1区を代表する娯楽施設だが、その地下にはラーディクスに逆らった者を収容する牢獄としての役割もある。


 流れに逆らう者はここで戦わされ、いつしかモノを言わぬたきぎとなる。


「……なにやら血なまぐさいな」


 入口の暗い階段を昇ると、観客席にはマスクを着けた労働者たちで埋まっていた。


 収容人数4万人、全て埋まり、言葉にならない熱狂が支配する。中心のアリーナで行われているのは、メインイベントの前哨戦だ。両刃の剣を振るうふたりは、一進一退の攻防を繰り広げていた。


「そこだ、突けッ!」

「オレはおまえに賭けたんだぞ!」

「殺れッ! 死ねッ! 殺せッ!」


 遠目からでも戦いの素人とわかるが、なかなかどうして盛り上がっている。命を賭けた娯楽など、実体のない熱で発生する陽炎のようなものだろうに。


「来ましたな、ファルガー様。私に着いてきてくだされ」


 警備していた憲兵が手招きをする。後ろを着いていくと、来た階段を降り、その途中でつま先を3回鳴らした。すると壁がせり上がった。


「ここから控え室に繋がっているんです。気付かなかったでしょう?」


「客席を見せる必要はあったのか」


「雰囲気を見せておきたいと思いましてね。それに……」


 憲兵は言いながら、暗い道を手慣れた様子で進んでいく。


「退屈な戦いをされては、暴動が起こりかねない。高いお金を払って入場しているワケですからね。もっとも、使徒同士の戦い。ひとりで集団デモを抑えるナセマ様と、ひとりで凶悪な歯狂魔ハグルマを討伐したというファルガー様。みな期待しているんですよ」


「見ごたえのある戦いをか」


「それもありますが……やはり一番はナセマ、おっと、ナセマ様の敗北でしょうねえ」


 どうやら民からはもちろん、ラーディクスの末端からも嫌われているようだ。なんとなくわかる気もするが。


「さあ、ここが控え室です。短い時間ではありますが、ごゆるりと」


 そこは壁にかけられているランタンに照らされた薄暗い個室だった。長イスに誰かが震えながら座っている。


「次はお前の番だ。怖がっているようだが、せいぜいカンタンに殺されてくれるなよ」


「憲兵さん、オレはイヤだ! 戦いたくない!」


「デモなどくだらんコトはせず、我々に逆らうべきではなかったな」


「イヤだ。同志と殺し合うなんて。こんな死に方を迎えるなんて……」


 通路から歓声と同時にベルが鳴る。次の試合が始まる合図のようだ。


「とっとと行け! 行って死んで、我々のために稼いでこいッ!」


 憲兵に背中を押され、男は暗い通路へと消えていった。あの様子では、すぐにやられてしまうだろう。また歓声が響くと、憲兵が戻ってきた。


「いやあ、見苦しくてすみません。しかし勝ち続ければ、そのぶん長く生きられるのだから、そう悲観するコトもありますまい。人生もそうなのだから。ねえ?」


「俺に同意を求めるくらいなら、本人に直接言ってやればよかっただろう」


「くくッ、あなたも人が悪い」


 ラーディクスに所属している者は、民を見下しているように見える。これから戦う使徒ナセマにしても、やはり慇懃無礼という言葉がピッタリだ。


 今度は通路からブーイングが聞こえた。あんのじょう、すぐに戦いが終わったらしい。つい今まで弱音を吐いていた男が動かなくなった姿で運ばれ、どこかへ連れていかれた。


「チッ。あの腰抜けはやはり役立たずだったか。まあいい、どうせ次はナセマ様が出てくる」


 アリーナのアナウンスが聞こえる。ブツブツとノイズが鳴っていて聞こえづらいが。


『ご覧の皆様、お待たせしております。次はいよいよ、使徒同士が戦うのです。その前に前哨戦として、ここまで勝ち抜いた者には特別にナセマ様と戦っていただきます!』


 またブーイングが聞こえる。ナセマという男は、あまりにも人徳がない。


「いわゆる悪役ヒールというヤツですね。普段の仕事がデモの鎮圧なので、さもありなんでしょう。これは盛り上がるコト間違いなしです」


 憲兵は不気味に笑いながら、こう続けた。


「くくくッ……。もっとも、この私が思う最高潮は相討ちになったときでしょうがね。くくッ、おっと、口が滑りました」


 この憲兵のマスクの下はどんな顔をして嘯いているのだろうか。安全なところから命を軽く見る者は、どうにも気に食わない。


『さすが使徒様、武器も持たず、ここまでの勝者を瞬く間に瞬殺してしまった〜ッ! いや、それは承知の上だッ、この場にいる皆様もご存知のハズだッ!』


 アナウンスの熱量と比例するように歓声も大きくなる。


『さあ、そしてここからがメインイベント、もうひとりの使徒にご登場願いましょう! 天より舞い降り、記憶を失くした奇跡の使徒、ファルガー様だァ〜ッ!』


「いやはや、舞台は整いましたな。素晴らしい盛り上がりを期待していますぞ、ファルガー様」


 顔も真意もわからないが、相討ちになってほしいと願っているように思えて腹が立った。なので、みぞおちを殴った。もちろん死なない程度にだ。


「な、ん、でぇ……」


「気に食わない」


 ここまでやるつもりはなかったが、ワケのわからないうめき声をあげて倒れ込んだ。目を無理に開かせ死んでいないのを確認すると、アリーナへと続く暗い通路を歩く。


 通路を抜けると、熱狂とともに迎えられた。アリーナを照らす光は眩しく、しかし街の闇は浮き彫りになっている。土を固めた地面には多くの血がこびりついていた。


「ようこそ、使徒ファルガーよ。神の座を賭けたこの戦い、ならば貴公に打ち勝ってみせようッ! 見ていてください、我が主よ、法王猊下よッ!」


 中心に立っているナセマの言っているコトは耳に入れず、ただ考えた。周りを埋め尽くす住人たちは金まで払って、無意味な人同士の戦いを良しとするのか。歯狂魔ハグルマが襲いかかるこの街では、血など簡単に流れるというのに。


「そらそら、よそ見をしている場合ではないぞ!」


 ナセマの得物、腰帯剣を左腕で防ぎながらミキは考え続ける。恐らく、誰も長く生きるのを期待していないのではないか。故に一時の快楽に委ね、現実を見ないふりをしているのか。もっとも夢を見るにも、カネが欠かせないようだが。


「動きが鈍いぞ! 貴公にとって神の座などその程度かッ!?」


「やかましい」


 たしかに身体が重いが、この程度の相手にやられはしない。以前のように胴へ蹴りを入れ、以前のように吹っ飛ぶと、以前の野次馬たちのように大きな歓声が上がる。


 ああ、また下らない不愉快な繰り返しだ。使徒とか神の座など、どうでもいい。ただ、ダリアさえいてくれれば……。


「なんのこの程度ッ!」


 ナセマは立ち上がると、直立のまま静かに浮かんだ。見上げるほど高い。


「戦いにおいて相手の上を取る重要さはわかっておるだろう。我が主より賜った『浮遊石ネブラスタ』の奇跡を見よッ!」


 服の中には水色に光る石が握られている。あのときも浮かんでいたが、どうやら石の能力だったようだ。


「かわせるか、空からの攻撃をッ!」


 緩急を自在につけて降下できるらしい。おかげで防ぐにも身体の重さも相まって苦労する。


 だが、ここで立ち止まっている場合ではない。この男を打ち勝ち、帰るべき場所に帰りたいだけだ。


 ミキとして、ダリアの元へ。


「んッ!? ファルガーめ、身のこなしが鋭くなった! どういうコトだ、ハナシが違うぞ!?」


「油断している場合か。ワケのわからないコトを言うな」


 首を鳴らして左腕の骨を出し、構える。これ以上時間はかけたくないので、一撃で終わらせたい。


「よもや貴公、人に絶望していないとでもいうのかッ!?」


「どう思うかなど、俺の勝手だ」


「ありえん。自分の不公平には喚いて権利を主張するくせに、この観客どものように他人が血を流す様を面白がる連中を見ても絶望しないだと……?」


 ナセマは空中でマスク越しに頭を抱え、ブツブツと呟きはじめた。


「ああッ、どこで計画が狂った? ファイスの教育が失敗したか? いや、そもそも最初からファイスではなく人間に拾われたときから既に、か……」


 乱暴に首を振ったあと、またこちらに向き直った。


「だが計画はもう止まれん、止まれんのだよッ! 行くぞ、神の後継ッ!」


 直線的に急降下してきた。これならばかわすのも容易い。


「……なんだ、なにが来るんだ」


 しかし、ミキの前と頭上にふたつの大きさの違う影が寄る。


「ファルガー、危ない!」


 ひとつは使徒ファイス。急にミキの前に立ちはだかり、ナセマの攻撃からかばった。


「フ、ファイスッ」


 ナセマは叫ぶ。短く、棒読みで。


「ファイス様がナセマに刺された!?」

「ナセマの野郎とっとと死んじまえ!」

「あ、あれを見ろ。なんで飛空船がこんなトコに!?」


 観客は騒ぎ出す。もうひとつの頭上を通り過ぎた巨大な影は飛空船だ。アリーナの中央にゆっくり降りてくる。


「だ、大丈夫? ファルガー……」


 腹を貫かれたファイスは息も絶え絶えに、しかし血は流れず、ミキの身を案じる。


「俺は動けた。なぜこんなマネをした」


「あ、あなたはここで倒れちゃいけない。神になるのだから……」


 話が噛み合わない。まるで動けないコトを前提とした会話じゃないか。唐突すぎて、なんの感慨も湧かない。罪悪感すら覚えられない。


 視線を上へやると、飛空船がそろそろ着陸するという、そのときだった。客席から白い光線が放たれ、機体のガス袋を貫く。


「……なにが起きている?」


 ミキはなにが起きているのかさっぱりわからなかった。使徒の男の言う計画の意味、無意味にかばってきた使徒の女、そして突然現れて、落下してきた飛行船。


 血塗られた砂埃が舞い、やがて視界が晴れると、しぼんだ飛空船のかたわらに小さな人影が転がっていた。ただ、これだけはわかった。そして、ミキはその名を叫んだ。


「ダリアッ!」と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る