第十三話 野望
ダリアは満員になった汽車に乗り、1区に向かう。目的はひとつ、使徒となったミキを奪還するためだ。
まずその手がかりとして、飛空船に乗り込もうとしていた。空からならば、街を見渡せると踏んでの判断だ。
「ミキさんが残してくれたこのお金で旅客用の飛空船に乗れば、きっと手がかりがあるはず!」
変わり映えのしない景色は1区に近づくにつれ、ぼんやりと明るくなっていく。普段の生活では使えない文明の利、電気の輝き。この街の人々はみな、このあえかな光に釣られるのだ。
「あれ? その大きな耳のマスクは……、もしかしてお嬢さんか?」
8区の駅で使徒ガルディアが乗車した。いつもより対応服とマスクがボロボロだった。
「ガルディアさん、こんにちは。隣、乗りますか?」
「いいのかい? おれ、こんなボロボロだけど」
「気になりませんよ。どうぞ」
「悪いね、サンキューな」
ふたりの間に沈黙が走った。汽車の進む音しか聞こえない。
「……体調さ、もういいのかい?」
ガルディアが声をかけた。
「はい。散々泣いて、ゆっくりして……ちょっとスッキリしました」
「それじゃあ、この先で豪遊……ってワケじゃなさそうだな。据わってるもんよ、言葉が」
「バレちゃいましたか」
「そんなに助けたいんだな。ファルガー……いや、ミキのコトを」
ガルディアの呼びかけに、ダリアは頷いた。車窓から見える景色はどんどん明るくなっていく。
「ちょうどよかったよ。1区にゃ、おれ専用の飛空船があるんだ。お嬢さんもウワサに聞きつけたんだろ?」
「飛空船ですか! それは願ったり叶ったりです。それで、ウワサって?」
「闘技場でのお祭りさ。使徒対使徒の一騎討ちがあるんだってよ。おれは炭坑掃除してたんで、それ以上のコトは知らねえけどな。怪しいだろ?」
「それってもしかして!」
「ああ。闘技場は屋根がねえから、空から攻めりゃいい。そこでアイツを飛空船に押し込めば作戦成功よ!」
「こう計画を立てるのは、わくわくしますね!」
「はは。まあ、実行前なら、なんとだって言えるからな」
汽車は汽笛を鳴らし、停車した。乗員たちは立ち上がり、狭い通路を塞ぐ。ダリアは待っている間に太陽について訊ねた。
「そりゃ知ってるが、ンなモンどこで知ったんだ?」
「おじいちゃんが本で見せてくれたんです」
「本? それって中身がちゃんと紙のやつだろ? 地図で使われてるようなウシ皮紙じゃなくてさ」
ダリアが頷いたのを見て、ガルディアは不思議に思った。なぜならば、ラーディクスは本を作っていないし、そもそも紙すらも紙幣以外には使っていないからだ。労働者たちに無駄な知恵をつけさせないためにも文字を読む学など必要はない、という理由もある。
しかしその本に心当たりがあった。たしか赤い表紙のものだ。
「たぶんそれ、空から落ちてきたのかもな」
「空から本が? ワケのわからないコトを言うな、です」
「あははっ、お嬢さんもアイツのマネはヘタッピだな!」
ミキもダリアも、離れ離れでも互いのマネをしているのを見て、ガルディアは微笑ましく思った。
「なんのハナシだっけ。そうだ、太陽のコトだな。あえて言うが、太陽ってのは空にある。それはあったかくて美しくてな」
「やっぱり! だから使徒様って飛空船を持ってるんですね、元気を回復するために!」
「違うんだなそれが。もうちょいよく読んでみるべきだったな」
「えっ! 違うんですか!?」
「でもな、いい線行ってるよ。使徒は飲まず食わずで生きていけるが、やっぱり燃料はいるモンだ。それはこの街にもある。しっかり探せばな」
「ええ? なんですそれって?」
「ミキに会えばわかるさ、アイツもお嬢さんを持ってるハズだから。だいぶ空いたし、行こうぜ、1区へ!」
ガルディアとダリアも立ち上がり、汽車から降りる。駅を出ると、薄汚れた人だかりに、しかし華やかな灯りで溢れていた。
ミストガルド1区は欲望溢れる歓楽街だ。ここと
日々の鬱憤という影が濃いからこそ強い
「お嬢さん、悪いんだけどさ、飛空船とりに行くまでちょっとここで待っててくんない? 知ってると思うけど、ここ危ないから」
「なんですか、急に子供扱いして」
人々で賑わうここを前にして、ダリアは不服そうに言う。ガルディアはマスクの下で目を丸くした。
「いや、だって子供だろ?」
「わたし18歳なんですけど……」
「ウッソ!? ちっちゃ!?」
「ずっと煙突掃除してたからしょうがないんです!」
「ああ、そうか。いやごめんな。よくもまあ、ここまで生きてこられたよ」
ガルディアは感心して数回頷いたあとで、指でバツを作った。
「でもな、年齢は成熟してるのと小さいのは別だぜ! 間違ってもそこらの店に行っちゃダメだからな」
「そんな店がいっぱいあっていいんですか? 使徒としてどう思いますか〜?」
「全部公営だし、おれもいいと思うよ。労働という教義の通り、たとえ水商売だって働いてるには違いねえんだから、ラーディクスはなにも言わんよ。それにやべーのは客のほうだからな。普段縁のない大きなカネ持って、気がでかくなって……」
ガルディアの声がどんどん小さくなって、ため息をつく。
「ファイスとナセマの言う通り、人は愚かなのかねえ……。やべ、ダルくなってきた」
「でもでも、働いたお金をどう使うかは自由ですよっ」
「まあそうだけどさ。とにかく、ここで待っててくれよな。駅前には憲兵がいるから安全だ」
ガルディアは足早に人混みの中へ消え去った。ダリアはまたひとりになってしまった。しかしマスクの中で鼻息を荒くしている。
「ここまで来て、どこも寄らないワケにはいかないでしょう!」
ダリアはミキの情報を集めるために、それと少しの好奇心をひとつまみして、酒場へ向かった。
ジョッキが描かれたドアを引くと、そこは別世界だった。カウンター席、テーブル席に多くの人が座り、吊らされた電球に照らされて、陽気に酒を呑んでいる。誰もマスクをしていない。
「おチビちゃん、なんの用だい?」
非日常の風景に、ダリアは高揚感と照れくささを覚えた。それはそれとして、また子供扱いされてムッとした。
「わたし18なので、もうお酒だって飲めます!」
「またまた……。ウソついちゃいけないよ。マスクを外してごらん?」
ヒゲを蓄えた小太りのマスターに促されるまま、ダリアはその通りにした。人前で外すコトなどなかったので、恥ずかしさのほうが勝る。
「やっぱり子供じゃないか。せっかく来てくれたんだし、温かいミルクでも飲みなよ。もちろん、お金はいただくがね」
「……もういいです」
悪い人ではなさそうなので、素直に差し出されたミルクを飲み干した。
「おいしい!」
普段は味わえない飲み物に、舌鼓を打つ。
「ははっ、そりゃよかった」
「んもー、また子供扱いして……。そうだ、闘技場でなにかあって聞いたんですけど」
「ああ、すごい人だよね。おかげでウチはちょっと空いてるけど」
「いやあ、空いてて快適だ。マスクしなくてもいいんだからな!」
常連らしき男が声を上げる。
「ははっ、そうかい。ところできみは1区に来たのは初めてだね。素顔を出すのは慣れていないし、恥ずかしがっているから」
図星をつかれて、ダリアは更に赤面する。
「でもまあ、アンタは運がいいぜ。ここは安全だからな」
また常連の男が声を上げたところで、入口が大きな音を立てる。5人の男が入り、すぐマスクを外す。いかにもガラの悪い人相にしていた。
「あーっと。……前言撤回」
常連の男はマスクを着用して隠れた。
「いやあ、ここはいい店だ。気に入ったよ、マスター」
カウンターの向こうの酒棚を物色して、先頭の男は上機嫌そうに言う。
「お客様、マスクをしてください。ここは『密』になってしまったので」
密とは、アリアの木が発する空気の供給が、人が密集するコトにより間に合わなくなってしまう状態を指す。
生きるために呼吸をすれば、人はたやすく窒息する。
「だったらコイツらを出せばいいだろうがよッ!」
先頭の男はマスターに見せしめるように、ダリアの頭を鷲掴みして持ち上げた。
「や、やめてください……。ごほっ、けほっ」
「ガキはこのまま帰りやがれ!」
「困りますお客様ッ!」
「お客様は神様だろうがよッ! お前ら、棚の酒全部持ってっちまえ!」
「いや、向こうの人……!」
マスターは驚愕している。男はダリアの頭を掴みながら振り向くと、4人の取り巻きはうめきながら横たわっていた。その代わりに、マスクの男が立っていた。
「たしかにお前は神に似てるよ。傲慢で人任せで、それでいて世界の全てを自分のモノだと思っている」
ダリアはその男がガルディアだとすぐにわかった。ガルディアは男に近づき、ダリアの両脇を持ち上げて床に降ろした。男は呆気にとられ、なにもできなかった。
「だからこそ、おれは神を殺す。世界を人の手に取り戻すんだ。そう……人の手に」
ガルディアは男の頭を片手で掴み、軽々と持ち上げる。男がダリアにしたように。
「お客様は神様なんだよな?」
「わ、悪かった……。許してくれ!」
「神様が許しを乞うなら、ハナからやるんじゃねえよ」
男たちは一目散に店から出て行った。
「大丈夫かい? お嬢さん」
ガルディアはダリアにマスクを渡した。
「はい。あの、ところで……」
「ああ、それがおれの野望さ。ミキとお嬢さんを見て確信したんだ。さっきみてえにバカも多いが、それでも世界は人の手に戻すべきだってな」
「神様って、ほんとにいるんですか……?」
「まっ、人が思うようなヤツじゃないのは確かだな」
ダリアはコトの重大さに、なにも言えなかった。
「さあ、飛空船はもう出せる。闘技場に行こうぜ」
ふたりは店を出て、飛空船に向かう。
この先に待つのは、希望か、絶望か。まだ、誰も知らない。
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