第十二話 愚昧

 ミキが使徒として活動してから3日経った。


「聞け、この儂が命ずる――」


 たった3日。それだけなのに、この法王のありがたい言葉も聞き飽きた。街を襲う歯狂魔ハグルマも狩り飽きた。この日々になんの感慨もなく、乾いた疲労感だけが身に降りかかる。


「4区は塩が多く摂れるから、ソーダ工業が盛んな場所よ。ここも労働者の生活に関わる大事なところだから、急ぎましょう」


 早歩きしながら、使徒の女は言う。この街のどこの区も、すべて生活に欠かせないようだ。たとえそれらが、尋常の人では住めない環境を作り出しているとしても。


 全ての区を跨ぐ選民区セントラルの4区入り口から、指定された場所に向かい、


「ああっ、使徒様! 我々をお救いください!」


 使徒の女とふたりで、いつものように歯狂魔ハグルマを討伐する。


「ありがとうございますファイス様! ありがとうございますファルガー様!」

「行方不明だった使徒様は、マスクを外しても生きていけるとは……」

「もしかしてオレもいけるんじゃ……。げほっ、ごほっ。あダメだこりゃ、苦しい!」


 群がる人々にいつものように感謝され、畏怖される。


 ミキはラーディクスの意向で、マスクをせずに活動するようになった。理由としては、マスクを着けずに活動できるという、より特別な使徒という存在の威光を強く示すためだ。


 使徒と呼ばれる者すべてが、マスクの装着を必要ないのを、住人たちは知らない。


「これでおしまいね。帰りましょう」


 使徒の女に促される途中、野次馬の中から怨嗟に満ちた小声が聞こえる。


「ヤツらが労働を煽らなきゃ、オレたちだって外に出ねえのに」

「なんであの使徒はマスクをしなくていいんだ?」

「神のご加護があればマスクは要らないんだと。ウソくせえよな」


 達成感のない、いつもの帰り道。当然のように人が倒れているのを見た。通行人たちは立ち止まりもしない。使徒の女も立ち止まらない。


「ねえ、ファルガー。か弱くて困っている人を助けもせず、それでいてあたしたちに対する不満だけは大きな声を上げる。悲しいけれど、民衆とはこういうものよ」


 絶対に違う。それだけは言える。もしダリアに出会わなければ、もし記憶喪失であれば、その欺瞞に納得したかもしれないが。


「だからこそ、その愚かで絶望している人々を貴方が導くの。貴方は特別なのだから」


 どうやら歯狂魔ハグルマから人々を救って恩を売り、その過程で人々の愚かさを見せる教育らしい。それで健全な『神』とやらが育つとは思えないが。


「でもね、貴方にとって、あたしが一番特別でありたいな。あたしも貴方が一番特別よ」


「そう、か」


 むしろ絶対的な支配者を作り出すためのやり方かもしれない。ラーディクスならば、やりかねないだろう。


 気に食わないので、せめてもの反抗として倒れている人をおんぶした。ダリアが助けてくれたように。もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。


「……ファルガー、それをどうするの? もう意識はないわ」


選民区セントラルまで運ぶ」


「ああ、ファルガー。そんなコトは憲兵に任せればいいのに、なんて慈悲深いの。やっぱり貴方は特別ね」


「慈悲深い?」


たきぎにするためでしょう?」


 たきぎ。ミストガルドでよく聞く言葉だが、具体的にはわからない。察するに、死んだ人間をなにかに焚べるようだ。


「なんだそれは?」


 こんなときは記憶喪失が役に立つ。歩きながら訊ねた。


「ああ、そうだったわね。それをおぶったまま、あたしに着いてきて」


 言われるまま選民区セントラルへ帰ってきた。出る際はなにもないが、入るには憲兵の許可が必要だ。もっとも素顔を晒しているので、すんなり入れるが。


 4と大きく書かれた巨大な門が開くと、使徒の女はどんどん進む。この中は誰でもマスクが要らないので、男を横に寝かせてマスクをを外した。男は青白く、苦悶の表情を浮かべていた。


「やはり手遅れか」


「ファルガー! ここは神聖な場所よ。そんな顔、晒しちゃいけないわ」


 女は辛辣に言い放つ。ラーディクスは慇懃無礼だと誰かが吐き捨てたが、的を射ている。


 またマスクを被せておぶる。豪華な照明に照らされた通路に影を刻み、進む。選民区セントラルの中央あたりで女は立ち止まる。


「ここがたきぎを送るエレベーターよ」


 女は壁についてあるボタンを押すと、勝手に扉が開いた。そこは小さな密室だった。鉄の色が剥き出しな無機質の部屋は生を感じさせない。


「それをこの中に入れてね。マスクと服は……まあいいわ。どうせ身元は特定できないでしょうし」


 遺体を下すと、女は再びボタンを押す。すると勝手に扉が閉まり、なにかが動く音がした。それは徐々に遠くなり、やがて止んだ。


「この部屋はどこへ行くんだ?」


御柱ラキスの炉へ送られるのよ。その火は『太陽たいようかんむり』と呼ばれている、我が主より賜った特別な火なの」


「太陽……?」


「聞き覚えがあるかしら? そう、かつて空に浮かんでいた、あの太陽よ」


 だからこそ、あの巨大な円柱は崇められているようだ。神から賜った炎など、ずいぶん胡散くさい。


「炉では、あたしたちと同じ使徒が火の番をしているの。もっとも、あたしたちには縁も関係もないのだけれど」


 しかし、これで真実味が出てきた。いつかガルディアが言っていた動けない使徒とは、火の番という役割を果たしているようだ。これで5人判明した。


「さあ、今日もお疲れ様。また明日に備えて休みましょう」


 こうして1日は過ぎてゆく。覚えのない作られた恋人同士などという欺瞞に満ちた利害関係に、まるで仕組まれているかのような歯狂魔ハグルマの出現とそれの討伐に、息苦しさを覚える。


 神の後継などという漠然とした使命を果たすためのロクでもない日々は、無味乾燥としていた。


「聞け、儂が――」


 また呼ばれ、また戦う。


「2区には『ウシ牧場』があるの。ウシたちが襲われたら、労働者たちはウシ缶が食べられなくなってしまうわ」


 次の日も、その次の日も、同じコトの繰り返し。報われもせず、気怠さだけがのしかかる。なるほど、働きたくないというダリアの気持ちも、肩を落とした人々の気持ちもよくわかった。


 だが変化は唐突に訪れる。


 またくどいくらいに歯狂魔ハグルマを狩るのかとげんなりしていると、いつものように法王に呼ばれた。しかし言われたコトはいつもと違う。


「使徒ファルガーよ、今日は休暇を与える」


「やったわね。ねえねえ、1区へ遊びに行かない?」


 どうも疲れが抜けないので横になっていたいと思っていたら、背後から大きな声が聞こえた。


「法王猊下、報告でありますッ! この使徒ナセマ、秩序を乱すデモ隊の鎮圧に成功しましたッ!」


「うむ。ご苦労」


 その声の主は、以前人々に対して労働せよと煽っていた、やかましい使徒の男だった。


 屋内にも関わらずマスクをしているのに、こんなにもやかましいとは。あのときにダリアから貰ったマスクを傷つけられたので、いい印象はない。


「おや? 貴公が使徒ファルガーだな。あの蹴飛ばされた痛み……いや、初対面であった。私は使徒ナセマ、同志としてよろしく頼むぞ」


 恨み節を言いかけたのを聞き逃さない。目の色を見て不自然な対応をしていたが、やはり出会った頃から察していたようだ。それも相まって気に食わないので、小さく会釈するだけに留めた。


「して、使徒ファルガーよ。聞くに貴公の役割は、神の後継らしいな?」


 この問いは記憶喪失かを確かめるブラフなのか。法王も使徒の女も、神の後継とは口にしなかったハズだ。ここは法王の目を見るのが無難だろう。


「そうだ。今は人々の信仰を集めるための期間だ」


「猊下、お答え感謝致しますッ!」


 ナセマは腰を直角にしてお辞儀をした。数秒頭を下げていると、またこちらを向く。


「どうであった? 市井の人々は」


「……どういう意味だ」


「倒れている者には手を差し伸べず、不満だけは一丁前にほざく。みな自分のコトしか考えていない愚か者共だ。さあ、彼奴らをどう導く?」


 以前この男は去り際に、救いはみな行き着く云々と言っていた。その先とは、死を意味しているのだろうか。


「働きを認め、信頼し合うべきだ」


「甘いな。甘っちょろいぞ、使徒ファルガーよ。そんな態度をとれば増長するに決まっている!」


「過酷な労働、歯狂魔ハグルマに襲われる恐怖。顔の見えない隣人に気を遣いあう。わからないか? 各々、疲弊するハズだ」


「そこに権力という恐怖も追加してやるッ! どうせ生の行き着く先はみな同じなのだから! ああそうだ、それが神として正しいのだ! 労働者は神の言葉を信じ、神のために働けば良いのだよッ!」


 やはりその心づもりだったか。使徒共が愚かと嘯く人々の中に、俺はこの目で精いっぱいに生きる人を見た。特に彼女は背丈は小さくても、俺にとっては大きな希望だ。なので意見は絶対に合わない。


「ワケのわからないコトを言うな。そんな偉そうだから反発され、信仰も薄れているのだろう」


「……ほう、猊下の御前で言ってくれるじゃあないか、使徒ファルガーよ」


 マスクの裏には怒りもこもっているようだ。


「猊下ッ! このナセマ、お願いがあります! 使徒ファルガーと、神の後継を賭けた一騎討ちに臨みとう御座いますッ!」


「ほう……」


 またこのやかましい男はワケのわからないコトを言い出した。しかし意外にも、法王は乗り気に見える。


「よろしい。ならば明くる日に、闘技場で存分に戦いたまえ。我が威光により貸し切ってやろう」


「はッ! ありがとうございます!」


 驚くほどあっという間に決まってしまった。


「というワケだ、使徒ファルガー。恐怖を以て征するか、慈愛を以て向き合うか……。挑み、戦い、そして最後に立つ者が神の後継となるッ! せいぜい首を洗って次の日を待ちたまえよ。いざさらばッ!」


 ナセマはそそかしく中庭の階段を駆け上がった。


「……よろしいのですか? 猊下」


 ずっと黙っていた女が訊いた。


「よい。どちらが正しいか、儂も興味がある」


「はっ」


 女はこちらに向き直る。


「大変なコトになってしまったわね。でも、あたしは貴方を応援しているわ、がんばってね!」


 流れるように戦うハメになった。だが、意見の相違を戦うコトで正しさを証明するなど、こうは思わないのだろうか。


 愚かであると。

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