第十一話 決心

 ミストガルドのどこにでもある狭い家に、ひとりの少女はテーブルに伏せていた。


「ダリアや、もう元気を出さんか……」


 ダリアの祖父が背中をさするも、伏せながら顔を横に振る。


「10万マルルも貰えて、わしらは元の生活に戻っただけじゃないか」


「それでもわたしには……ミキさんが居ない生活なんて、もう考えられません」


 失った日々の代わりに得たものは、夢のような大金。すべては元に戻っただけなのに、喪失感は計り知れない。


 塞ぎ込む気持ちの中、ダリアはミキと別れた日を思い出した――





「ああ、崩れるっ!」


「バカ、近寄るんじゃねえ!」


 炭坑でミキと別れたあと、ダリアはその前でひたすら帰り待ち続けた。マスクの内側を濡らし、声も絶え絶えにその名を叫ぶも、揺れは治まらずついに炭坑は崩壊した。ともに脱出した大男、ゲゲルは前のめりになるダリアを抑える。


「そんな……。なんでっ」


「ファイス様も入ったきり……、いや、待て」


 ふたりは音を聞いた。塞がれた炭坑の中から、なにかを崩していく音だ。


「まだ落盤してやがんのか!?」


「だ、誰か来ますよ! きっとミキさんなら!」


「あんなところから、誰が助かるってんだ!」


「――労働者、口を慎みなさい」


 女の声がしたその刹那、入口を塞いでいる岩から銀色の刃が閃き、あっという間に細切れになった。そこから現れたのは3人だけだった。


「ファ、ファイス様、ご無事で!」


「わたくしたちは使徒。信じる者は、こうして救われるのです」


 ファイスの片手には得物を、そして、もう片方には――


「ミキさんッ!?」


 ダリアはふたりの両脇に抱えられたミキに駆け寄った。マスクが外れており、ぐったりとしていて返事がない。この街の屋外でマスクを外すのは自殺行為だが、ミキにマスクが必要ないのは出会った頃から知っていた。


「あなたがファルガーの言っていたダリアという娘ですね」


「え? ファルガーって?」


「あー、ちょっと話そうぜ。念のため言うけど、ナンパじゃないぜ?」


「あ、あなたはさっきの……?」


 ミキを抱えていたもうひとりは、駅で会った人だと声でわかった。その男は親指でなにもない場所を指す。ダリアは頷くと、男はファイスにミキを押し付けた。


「さて、どこから話すか。まずは名前からかな。おれはガルディア、使徒をやってるモンだ」


「使徒様がどうしてミキさんを……」


 移動して人を遠ざけ、ダリアとガルディアは話し始めた。


「お嬢さんがアイツにこの街のコト教えてくれてたんだろ? ありがとな、悪いヤツに拾われなくてよかったよ」


「話が見えないんですが……」


「実はな、アイツはミキって名が付く前に、ファルガーって名前があるんだ。おれたちのような使徒の名前さ」


「え? 使徒様ですか? ミキさんが?」


「信じられないだろうな、拾った行き倒れがまさかラーディクスの偉いヤツなんだから。でも薄々気付いてたろ、ふつうのヤツじゃねえってくらいは」


「それは……」


 マスクも飲食も無しに生きていけて、なおかつ骨が飛び出る身体に、たったひとりで歯狂魔ハグルマを倒せるほど強い。そんな人がふつうじゃないコトくらいは、ダリアもわかっていた。


「……ミキさんをどうするんですか?」


「おれたちラーディクスが引き取る」


「せっかく仲良くなれたのに、イヤですっ!」


「ゴメンな。あのときお嬢さんと出会う前に、ファイスがファルガーを見つける予定だったんだ。別れたくないよな、おれたちの責任だよ。ホントにゴメン。代わりといっちゃなんだが――」


 ズボンのポケットに手を突っ込むと、くしゃくしゃになった紙幣10枚を取り出し、無理やり握らせた。


「アイツに懸かっていた10万マルルだ。これで1区で遊ぶなりウマいモン食うなりして、また元気に暮らしてくれや。『ミキ』と過ごしたコトは忘れてさ」


 ダリアにとってそれは、夢にまで見た大金だった。ミキと出会うまでは。


「お金は返します。その代わりにミキさんといっしょに居させてください。お願いします」


「それは……。いや、おれも困るな。頭に下げられても、こればかりは」


「わたし、ミキさんと暮らしてから、とっても楽しかったんです。だから、だから……」


 ダリアは鼻をすする。無力感と喪失感で、自然と涙が溢れてくる。


「わたしからミキさんを取らないでください……」


「女の子をこんなふうに泣かせるなんて、おれもアイツも罪作りなモンだな。でも諦めてくれよ。……そう、今はな」


「今は?」


「ファイス、この娘を家まで送ってくから、先に選民区セントラルに帰ってくれ。こんな大金持たせといてひとりで帰らせるんじゃ、後味が悪いからな」


「ええ。労働者を守るのも、使徒の役目。よろしくお願いしますね」


 ガルディアの呼びかけにファイスは頷き、ミキを抱えたまま、傍にあった使徒専用の小型飛行艇に乗り込んだ。


「外ヅラはいいんだよな、アイツ」


 飛空艇が発進するのを見てから、ガルディアは毒づいた。


「ミキさんはどうなるんですか?」


「手荒なマネはしねーよ。なんせ使徒だぜ?」


 ダリアはガルディアに引っ張られ、駅へ行く。歯狂魔ハグルマの影響で運休だったが、憲兵たちに討伐され解除された。汽車に乗り込むと、色々なコトを訊かれた。


 どんなふうに出会ったのか、


「最初に会ったときは、きっと救世主テンシ様なんだって疑いませんでした。マスクが無くても平気でしたし、見たコトない青いマントをしていましたし」


 どんなふうに仲良くなったのか、


「無表情で怖いかもですけど、意外とお茶目なんですよ。冗談なんかも言ったりして! あと、わたしを気遣ってくれるんです。……とっても」


 ミキをどう思っているのか。どんなふうになりたいのか。


「えっ、そ、それは……。こほっ、けほっ」


「その咳、どこか悪いのか?」


「ちょっとだけです。ミキさんにはナイショですよ。やさしいので心配してくれるでしょうから。……なんて冗談です。どうせ、もう関係なくなるんですから」


「……ああ、おれも離れ離れにしたくなかったよ。マジに」


 6区に到着すると、ゆっくり帰路につく。車内とは打って変わって、ダリアは黙りながら帰路についた。


「ここがわたしの家です。着いてきてくれて、ありがとうございました」


 無事に帰宅すると、ダリアは頭を下げた。頭を上げたのを見計らって、玄関先でガルディアもまた、頭を下げた。


「お嬢さん、すまん。ミキになにもしないって言ったが、ありゃウソだ!」


「えっ……?」


「アイツにゃ記憶処理が施される。また記憶喪失の状態に戻るんだよ!」


「じゃあ、わたしのコトも忘れちゃうんですか……?」


「でも聞いてくれ、手加減するように言っておく。アイツ2回目だし強いから、きっと耐えられるハズだ」


「本当に関係がなくなるなんて……! わたしのつながりを……ごほっ、ごほっ!」


「もう家にいたほうがいい!」


 ガルディアはドアを開き、咳込みながら屈むダリアを入れてすぐ閉めた。外の空気をなるべく入れないためだ。


「おれを信じてくれ、ミキの記憶は消させやしない。アイツもおれもそれを望んでいる。だから、アイツが帰ってくるのを信じて家で待っていてくれ」


 扉越しでそう言ってから、ガルディアは去った。軽快な足音を聞き、ダリアはまた泣いた。





――それから数日経ったが、ダリアは塞ぎ込んだままだった。


 多額の金を受け取ったのもあって働く意欲も湧かず、しかし泣きじゃくるだけでも腹は減る。ダリアはそんな自分に嫌気がさした。


「元気を出さなきゃ、ミキも心配する。ほら、これでも食べなさい」


 祖父はテーブルに湯気が立つ『ウシ缶』と青銅のスプーンを置く。ようやくダリアは顔を上げた。その目は赤みがかっていて腫れぼったい。


「ところで、ミキとは何者だったんじゃろうか」


「……使徒様ですって」


「いや、来たときの格好あったじゃろう? あの青いマント」


「今さらそれが……」


「そこにある紋章と、この赤い本に載っている紋章を見てごらん」


 緩やかに動かす口を止め、じっくり見比べると頷いた。


「同じですね。このでっかい丸、なんなんですか?」


「これは『太陽』というらしい」


「太陽? なんですかそれ?」


「朝を告げ、夜になるとなくなるらしいんじゃが……」


「朝? 夜? ワケのわからないコトを言うな、です」


「そんなトコをマネせんでもええわい。それでここにはな、太陽を浴びて動く人が描かれてあるんじゃが」


 ミキのマントに刻まれてある太陽の紋章と、本に描かれてある太陽で動く人間。これが意味するものは――


「ミキさんがそれってコトですか?」


「うむ。思えば、彼は飲まず食わずでも動けていた。もしかしたら、睡眠も要らないのかもしれん」


「その太陽がなければ、どうなっちゃうんですか?」


「動かなくなる、と……」


「そんな! 太陽ってどこにあるんですか!」


「絵を見るに、空の上としか解釈できんのう」


「見上げたってなにも見えないのに……。それをミキさんやラーディクスの人たちは知っているんでしょうか……」


「恐らく知っているハズじゃが。使徒全員がそうやもしれんしな」


「けれど、あの使徒の人は記憶処理をするって……」


 ダリアは歪んだ秩序と暴力で街を支配するラーディクスを信用できなかった。労働をしろと脅す使徒もいた。


 しかし、応援してくれる使徒もいた。ミキがここに帰ってくるのを望んでいると、そう言っていた。


 それでも考えは良い方向には行かない。次第にダリアは決心し立ち上がる。無理とわかりながらも、しかし反骨の衝動は湧いてくる。


「わたしが飛行船で太陽を見つけ出して、ミキさんをラーディクスから連れ戻しちゃいます!」


「ダリア! な、なにを言っとるんじゃ!?」


「腹ごしらえも済みましたし、飛空船を求めに行きますね、1区へ!」


「待たんか、ダリアー!」


 ダリアは街を駆ける。止まる気などなかった。ひたすらに内側から湧く使命感に突き動かされたのだから。

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