第十話 不信
「――おはよう、ファルガー」
女の声でやわらかいベッドに横たわる男は目が覚めた。天井には豪華絢爛な電飾が部屋中を照らしている。
「調子はどう?」
銀髪で赤目の女がやさしく言う。その眼差しはジッとこちらを向いている。他になにも入らないかのようだ。
「頭が痛い。なにも思い出せない」
「ああ、記憶喪失なのね。なんてかわいそう。あたしも思い出せないの?」
「わからない」
「いい? あたしはファイスっていうの。あなたはファルガー。あたしたち、恋人同士だったの」
「ファルガー? それと、ファイス。お前と名が似ているな」
「うふっ、運命感じちゃったかしら? あたしは席を外すけど、まだゆっくりしていてね」
ファイスは部屋から出ていった。
「……ワケのわからないコトを言うな。俺はミキだ」
そう自分に言い聞かせる。なにも思い出せない、というのはウソだ。頭痛がするのは本当だが。その頭痛も炭坑で使徒ガルディアに殴られたものではなく、ここへ連れて行かれてからだ。
ベッドから起き上がり、改めて広い部屋を見渡す。カーテン、それに隠れている窓、照明、その他諸々。どれもダリアの傍にいたときには見たコトがなかった。居候のときは床で寝ていたが、その硬さが気に入っていたのだと、ふと思った。
「ダリア……。今、どうしている」
あれからどれくらいの時間が流れただろう。何事もなく、元気に過ごしているだろうか。それが気がかりだ。
「ダリアって言ったか!? 物思いにふけて!」
突然、ガルディアが乱暴にドアを開けて入ってきた。部屋の外に足音に気づかなかった。
「……合図くらいしろ」
「おれがノックするのは女の子の部屋だけだ。ンなコトよりも、お嬢さんの名前つぶやいたよな!」
ニヤニヤしながら、図々しくベッドに座り込む。
「告発するつもりか?」
「しねーよ。役割放棄するようだけど。あれ以来、お前にぶっ殺される夢見まくってうなされてんだから。なんつって」
長い前髪をくるくると指でいじりはじめた。銀色の髪がまぶしい照明に反射している。
「しかしまあ、軽度の『記憶処理』程度じゃ消せなかったか。そうでなきゃ困るけど」
「頭痛はするが」
「それだけで済むのが怖えんだよなあ。いくら強いからといって……」
ガルディアは腕を組んでため息をつく。それでも、その顔はまだ締まりがない。なにかを企んでいるようだ。
「おれの役割は『お前の監視』だからよ、お前に死なれたり、殺られたりしちゃ本末転倒なワケ」
たしか使徒の役割は、神から割り振られるのだったか。
「それが神とやらに与えられた役割か。誇らしいか?」
「イヤミったらしいねえ。仲間になってやろうとしてんのに」
「ワケのわからないコトを言うな」
「ミキの仲間にだぜ? ファルガーの仲間じゃない」
「なにが言いたいんだ。回りくどいのはキライだ」
「信じろよ。おれはお嬢さんと話して確信したんだ、ふたりはこの街を変えられるって。お前が『神の後継』だからってハナシじゃない」
「まだ信用ならない」
そう言って、鏡写しのような目を凝視して、わざと頭をさする。あのときに殴られた痛みは忘れていない。
「……マジでイヤミなヤツだな、じゃあこれでどうだ。お前が気を失ってた間に、あのお嬢さんに10万マルル授けました! はい拍手!」
「よくやった。歓迎する」
「はあっ。全くよお、さっさと言うべきだったか」
ダリアが上の空でぶつぶつ言っていたように、煙突掃除200回ぶんのカネだ。これがこの身に懸賞金として掛かっていたのだ。
それも俺自身がラーディクスのいう行方不明の使徒であり、『神の後継』だというのだから、当然の金額かもしれないが。
ダリアもきっと、生活が楽になるハズだ。少しの間は働かなくてもいいだろう。ゆっくり休んで、笑っていてくれれば他に望むものはない。
「んでな、ここから出たいだろ?」
……いや、俺の望みは。俺の隣で笑っていてほしいんだ。
「当然だ」
「そりゃまだ無理だ」
「しばく」
「ええ? ウソ〜? 神の後継者の自覚持って~?」
「冗談だ。理由は?」
「……それお嬢さんのマネか? やめたほうがいいぞ、表情硬いんだから。めっちゃ怖いもん。ほら、そこ」
ベッドから立ち上がり、窓をアゴで指した。カーテンを引き、格調高い扉のような両開きのそれをゆっくり開けると、部屋中に白い靄がすぐに広がる。すぐに窓を閉めた。
「蒸気か。ここは高所なのか」
「この街で高所といったら?」
思いあたるのは、街の中央にそびえ立つ『
「ここはラーディクスのふんぞり返ったヤツらと、そいつらに選ばれたヤツらが住んでる
「
「見れるぜ、すぐにな。ほら、ファイスが戻ってきたぞ」
たしかに足音が聞こえる。ミキは急いでベッドの中に潜った。
「よくなったかしら? ……あら、ガルディア、ファルガーはまだ病み上がりなの。お喋りな貴方がいたら、頭痛がヒドくなってしまうわ」
「もっともだ」
「うふっ。でしょう?」
「おまえな……」
こうして冗談のひとつでも同調すれば親密になれたと思い、警戒はされないだろう。ガルディアもわざとらしく眉間にシワを寄せている。本意かもしれないが。
「ねえファルガー。礼拝の庭で猊下がお呼びだわ。いけるかしら?」
ここから出て情報を集めるいい機会だ。それも勝手知ったる使徒と回るのなら、記憶喪失の使徒がひとりでいるよりも怪しまれないし、法王猊下とやらにも会っておきたい。
「もう平気だ。案内してくれ」
「わかったわ。ガルディアもお声が掛かっているのよ」
「へいへい、わかってやすよ」
ファイスを先頭に使徒3人は部屋を出る。長い廊下ですれ違う
「みんなあなたが戻ってきて喜んでいるわ。あたしみたいにね」
そうは思えない。訝しんでいるようにしか見えなかったが、話を合わせておこう。
「そうか。俺も、うれしい」
ファイスは微笑んで前に向き直ると、後ろにいるガルディアが肩を叩く。歩く速さを緩めると、耳打ちしてきた。
「棒読みすぎ。もうちょいうれしそうにしろよ」
ダリアのように、笑顔で冗談は言うのは難しい。すごいコトをしていたのだと、身を持って実感する。
廊下を突きあたり、四角の螺旋階段を下りると中庭を望む回廊に出た。庭といっても、空は屋根で見えない。この街であまり見かけない緑が敷き詰められており、その中央には屋根を突き抜けた巨大な円柱がある。
「猊下。使徒ファイス、参上しました」
「使徒ガルディア、同じく」
円柱に目を引かれ、その後ろ姿に気づかなかった。派手な冠にきらびやかなローブを身に着けているにも関わらず。法王というには存在感が薄い。
「使徒ミ……ファルガー。この通り、目覚めました」
横にいたガルディアがすごい速さでこちらを向いたおかげで、ミキと言わずにすんだ。
「おお……。会いたかったぞ、使徒ファルガー」
法王はゆっくりとこちらに向き直る。シワが深く刻まれた顔、大きな目のくぼみ、年老いたしゃがれ声、相当な年寄りと見て取れる。
「どれ、顔をよく見せてくれ」
ガルディアが目で促す。どうやら近づけと言いたいようなので、眼前に出て顔は上げたまま跪く。
「うむ。その眼差しと髪の色は、まさしく使徒のもの。長らく捜していたが、よくぞ帰った」
この口ぶりでは、緑色の瞳と銀色の髪は使徒特有のものらしい。では、この使徒の女の赤い瞳はどうなのだろうか。
「気を改めて、この
「忠誠?」
痩せ細った腕をそこへ伸ばす。作法がわからないので、この体勢のまま手を組んで祈る素振りを見せた。
「……違う。使徒とあろうものがどうした?」
法王はカっと目を開き、凄む。細い身体に反して威圧感は大したものだ。
「猊下、ファルガーは記憶喪失なのです。お許しを」
「そうであったか」
使徒の女が仲裁に入ったので、機嫌を損ねずに済んだ。
「両膝をこの芝生につき、両手と頬を密着させるのだ」
中々屈辱的な恰好だが、怪しまれないためにはやらざるを得ない。その通りにすると、柱の中から聞き慣れた唸りがする。ダリアがいつか言っていたように、街の空を這う蒸気の配管はここに行き着いているようだ。
「うむ、よい」
ラーディクスのトップは何者なのか。無礼を承知で尋ねてみよう。
「貴様も、お祈りされませぬか」
「貴様!?」
「せぬか!?」
使徒ふたりは驚愕する。敬語が違っただろうか。やはりダリアのマネは難しい。
「あえて応えてやろう。儂にはできぬ」
「ご返答、感謝いたす。寛大な度量、まこと、染み入りまする」
「いたす!?」
「まする!?」
法王はふつうの人間らしい。そうでなければ、熱すぎてこんなコトはできないはずだ。
「さて、使徒ファルガーよ。貴様の使命は、このミストガルドにて人に尽くすコトから始まるのだ」
神の後継者になるには、まず人望を集める、というコトか。住人に労働を強いる高圧的な組織の割には、回りくどいやり方だ。
「ひとりではなにかと難儀だろう。ファイス、着いていってやりなさい」
「お任せを。またいっしょにいられるなんて、夢みたいね」
ファイスが言うように恋人同士だったのだろうか。意図的に記憶を改竄させるような組織なので疑わしい。
「聞け、この儂が命ずる。4区にて
知っているか? そう情報通のガルディアのほうを見る。しかし、顔を小さく横に振るだけだった。
「……はっ」
使徒に振り分けられた役割、その真意を確かめる必要がありそうだ。
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