第七話 仰望

 区境くざかいの煙突を過ぎると7区に入った。車窓から流れるように移ろう景色は相変わらずだ。どこから見ても、そびえる煙突と宙を這う配管ばかり。煙と蒸気に閉ざされた空に見上げる価値はない。


「独りとは、存外につまらないものだな」


 思わずひとりごつ。隣にダリアがいないと、こんなまでに鬱屈とした気分になるのかと思う。


 話は数時間前に遡る――




「今日、俺は炭坑に行く。ダリアは休んでいろ」


「……えっ?」


 ミキは突然切り出した。炭坑に行く理由は他でもない、ダリアが欲しがっていた銀のスプーンを買うコトだ。


「いやいやそんな。えっ、8区へですか? ダメですよ、あそこはとってもキケンなんです!」


「俺なら平気だ」


「わたしだけ休むワケにはいきませんよ。そんな、とっても申し訳ないコトを……」


「居場所を作ってもらっている。負い目を感じる筋合いはない」


「でもでも――」


 互いが気をつかい合い、どんな言葉を交わしても、それぞれの謙遜は平行線を描く。


「なんなんじゃお前さんたちは……。いいじゃないかダリア、ミキに任せておけば。彼は頼りになる」


「……んん〜っ!」


 やがてダリアの祖父の説得により、行かせまいとしていたが、ついに折れた。


「んもーっ! じゃあミキさん、気をつけて行ってくださいね! わたしはのんびりダラダラしてますけどねっ! うらやましいでしょう!」


「それが俺の望みだ」


 ミキはマスクを手に取り、外に出ようとするが、


「ミ、ミキさん!」


 ダリアが慌てるように声をかけた。


「どうした?」


「ひとりで大丈夫ですか? き、汽車の乗り方はわかります? 路線は右回り線ですからね! あとツルハシは支給されるようですし、えーっと、あとは……」


 青い瞳をつむり、唸りながら心配事項をどんどん上げている。こんな居候のために。


「心配してくれて、ありがとう」


 ただ一声かけると、ダリアはその目を開き、ジッと向けてくる。


「ヘンなトコだけ素直なんですから……。早く帰ってきてくださいね!」


「ああ、約束する」


 その元気な願いに応え、銀のスプーンを贈るために稼いでくる。これが今、できる感謝だ――




 とはいえ、炭坑での労働は一筋縄ではいかないのだろう。あんな仕事をしていたダリアでさえ、とってもと付けるほど危険なのだから。


 そんなコトは着いてから考えればいいのだが、どうしても無駄に考えすぎてしまう。こんなときにダリアが居てくれれば――


「おっ、空いてんじゃーん。ここ座ってもいいかい?」


 長身の男が話かけてきた。ミキは小さく頷いた。


「悪いねえ。どっこいしょ」


 男の対応服はボロボロでみすぼらしい。マスクのクチバシも色褪せている。炭坑に稼ぎに行くのだろう。


「おれはガルディア。これから炭坑に向かうんだけど、兄ちゃんは?」


「俺もそうだ。名はミキという」


「ミキ? ははっ、そうかそうか、変わってんなあ」


 馴れ馴れしく話かけてくるが、ひとりで色々と考えないで済む。せっかくだ、相手の押しには気をつけて、有益な情報を聞き出したい。


「炭坑で働くのに必要なものはあるか?」


「強いて言うなら遺言状かな。なんてな、ウソウソ」


「やはり危険なようだな」


「アンタ初めてかい、じゃあ忠告しておくよ。最近、坑道に歯狂魔ハグルマが出るらしくてね、ただでさえアレだったのに、もっと危険になってんだ。おれはその調査ってワケ」


 調査というコトは、こんな身なりでも労働者ではないのだろうか。


「ガルディアと言ったな。ラーディクスの憲兵なのか?」


「ウッソ、マジ? 認知されてないのか。ああ、いやいや。そのもっと上。使徒だよ、使徒」


「使徒……? あの使徒か」


「それであってると思うよ」


 ケンカを仕掛けてきたあの使徒とは身なりが違いすぎる。ここは表面だけでも取り繕ったほうがいいだろうか。


「……それは、失礼、しました」


「敬語ヘタクソかよ。じゃあせっかくだ、この街を守るありがたーい使徒のコト、教えてやるよ。ついでにラーディクスのコトも」


 その言い方はどこか自嘲しているようにも聞こえる。


「ラーディクスのトップに法王猊下のクソジジイを据えて、その下に憲兵とかさ、おれらも含めた色んなのがいるんだけど、使徒ってのはちょっとだけ特別なんだな」


 トップをクソジジイなどと呼ばないだろう。ガルディアという男の言動には、なにか思うところが滲み出ているようにも聞こえる。解説は続く。


「使徒は5人いてな、その役割ってのは『神』から与えられんだ」


「……神? 神だと?」


「トップは法王じゃないのかって? 違うんだな、それが」


「では、あの男の使徒が言っていた、神の嘆きというのは」


「男の使徒ってコトはナセマだな。いや、あれはデマ。ただ煽ってるだけ。そういう役割だから」


 役割。そのナセマも言っていた。役割とはなんだ。なぜ役割にこだわっている。


「ワケのわからないコトを言うな」


「あっはは。まあ、そうだよな。ワケわかんないもんアイツ。それで言いたいのはな、使徒は5人いて、おれ含めた3人しか表に出てねえんだわ」


 このガルディアの言うコトに、まだ理解が追いつかない。神とは概念的なものではないのか。それから与えられる役割とは。


 訊ねて欲しそうな間を感じるが、頭が落ち着かないので質問する気になれない。解説はさらに続く。


「ひとりは動けないからともかくな、もうひとりはなんと行方不明。これ、組織としてどうよ?」


「……どうして俺にそんなコトを」


「その喋りかたがな、昔の知り合いを思い出してな。マスクの下でもブスっとした顔が目に見えるようで、つい」


 わざと曖昧な言い回しをしているようだ。


「おい、俺はまさか――」


 核心を訊きだそうとするも、威勢のいい汽笛に遮られ、汽車は減速した。


「おっと、そろそろ着くぞ。向こうからチラチラ見てるお嬢さんに怪しまれないようにな」


 ガルディアは立ち上がり、後ろの席を親指で指した。確認してみると、そこには頭に大きな丸がふたつのマスクをした子供がひとり。見慣れたものだった。


「……ダリア。なぜ」


「いやだって、気になりますし、心配ですし……。ところで、あの人となに話してたんですか? 悪い人じゃありませんでしたか?」


 ガルディアは通路でこちらを見ている。ふたりはそれぞれ近づこうとすると、汽車は停止した。8区に到着したようだ。


「わたしたちも降りましょう」


 プラットホームから駅まで、人がぞろぞろといる。彼らは駅に向かっていくが、ガルディアは降車口のそばを離れなかった。


「じゃあまたな、ミキにお嬢さん。この先の危ない危ない炭坑で会おうぜ」


 ガルディアはそう言ってミキの左肩を叩くと、人混みの中に紛れ込み、その姿は確認できなくなった。


「あんな軽い人、初めて見ました。悪い人じゃなさそうでよかったです」


「あの男、使徒だと言っていた」


「ああ、そうなんですか。……って、ええっ!? 服、とんでもなくボロボロでしたよ!?」


 あの口ぶりは、俺とガルディアとは旧知の間柄なのだろうか。それを踏まえると、左肩に手を置かれたのも意味深に思える。


「でもでも、ミキさんって運がいいですよね。寄ってくる人に悪い人がいないですし。わたしを筆頭に!」


 聞きたいコトは多いが、あの男も炭坑に向かうと言っていた。いずれ近いうちに会うのだろう。考えるのは無駄だ。ひとりではそれが難しいが――


「んふふ〜っ、冗談ですよっ」


「俺は冗談とは思わない。傍にいてくれるだけで救われている」


「……こうして褒めてもらえるの、クセになっちゃいます。もっと褒めてください、ねっ!」


「ワケのわからないコトを言うな」


「んもーっ、どうしてそこは冷たくなるんですかあ。他の人たちもみんな行っちゃいましたし、わたしたちも炭坑に向かいましょう」


 駅前に出ると、そこは視界の限り寂れていた。周りの家屋の窓は割れており、組まれているレンガはところどころ砕けている。炭坑へ続いているであろう線路が敷かれた一本道を大勢の人々が練り歩いている様は、葬列のようだった。


「なんだか不気味ですね。一番稼げるって評判の8区がこんなにボロボロなんて……。ごほっ、空気も悪いです」


「やはり家に帰れ。身体に障る」


「ここまで来ちゃったら、もういっしょに行くしかないでしょう!」


「なら、俺も家に帰ろう。こんな街に安全な帰路などない」


「えっ!? き、切符代が……」


 駅へ引き返そうとすると、けたたましくサイレンが鳴り響き、続いて駅の構内放送が言う。


『ただ今、7区にて歯狂魔ハグルマが出没。故に運転は一時見合わせとする。繰り返す――』


「……どっちみち片道切符でしたね。もう退けません!」


 ガルディアが言っていた歯狂魔ハグルマの出現は、この区の惨状と関係があるのだろうか。ただでさえ危険と言っていたから連れて行きたくないのが本音だ。


「ダリア。俺の傍を離れないでくれ」


「はい、もちろん頼りにしてます。なので、ミキさんもわたしを頼りにしてくださいね」


「俺は弱いから、ずっと頼りにしているつもりだ」


「んもーっ、冗談がヘタですよっ。では、行きましょう」


 遺言状が必要というのが冗談であってほしいが、瘴気と魔物と歪な信仰が跋扈するこの街で、そんな願望は塵芥に等しい。


 空を仰ぐ。狭い空は蒸気と煙で閉ざされていた。前方の彼らのように、希望を信じずに俯いたまま歩くのが賢明なのかもしれない。だが――


「あーっ! ミキさん、飛空船です、ほら!」


 ダリアは空に腕いっぱいに指をさすも、なにも見えなかった。


「行っちゃいました……。乗ってみたいなあ、飛空船」


 悲観するコトはない。そう確信した。この街に希望が無いのなら、たったひとりにでも人に希望を見出せばいい。独りでは感じなかったミキの胸には暖かいもの湧いてきた。


「いつか乗りましょうね!」


「約束しよう。必ずだ」


 ふたりは前を向いて歩く。一本道の、その先の炭坑に向かって。

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