第六話 清濁

 ミストガルドにおいて、人同士の決闘は禁止されていない。日々の労働で心身を削る住人たちに、そんな余裕は無いからだ。


「すげえぞ! 闘技場に行かなくても、こんな間近でケンカが見られるなんてな!」


「使徒サマがなんだ、兄ちゃんやっちまえッ!」


「ラーディクスに逆らうなんてな、ここが死への特等席ってかッ!?」


 だからこそ、久しく忘れていた闘争心は燃え上がる。日頃の鬱憤と併せて野次馬たちの熱視線は、ふたりの男に突き刺さった。


「名も無き無頼の徒よ、後悔させてくれるッ!」


 ラーディクスの使徒、ナセマは腰に巻いていたベルトを外すと、革の中から薄い刃物が姿を現した。これこそナセマの得物、腰帯剣ようたいけんである。


「ベルトに偽装したカタナだ!」


「慇懃無礼なお前たちらしい武器だな!」


「いつも綺麗事ばっか宣いやがって、どうせお前らの心にも刃物が仕込まれてるんだろ!」


 皆同じ服装なので特定されないと踏み、ここぞとばかりに騒ぎ立てる。


「やかましいッ! 汝ら今すぐ呪われよッ!」


「よそ見をする余裕があるのか」


 ミキは構えもせず、ただ直立している。油断しているワケではなく、得物を含めて目の前のナセマという男を脅威と感じていないからだ。


「動いてくれるなよ、その慢心もろとも切り刻んでくれるッ!」


 ふにゃりと垂れ下がった薄刃を遠心力で振るうと、それはムチのようにしなり、ミキの喉元へ飛びかかる。すぐさま回避したが、目を覆う半球状のレンズが欠けてしまった。


「この使徒(しと)ナセマを見くびるなよッ!」


「ああ、認識を改めよう」


 ミキは怯むコトなく間合いを詰め寄り、ナセマの胴元へ蹴りを入れると、野次馬たちの大喝采を浴びた。


 この喧騒は彼らにとっての癒しであった。安全な場所で指導者層に好き放題言える場所は、この街では皆無に等しい。ましてや、地べたに尻をつく高圧的な使徒など嘲笑するに恰好の的だ。


「兄ちゃんいいぞぉ!」


「ふわふわ浮いてたクセに背中で地面とキスですかァ〜ッ!?」


「そらそらふたりとも手を動かせ足を動かせェ!」


 街の人々はより一層、からっぽの優越感に呑まれ、酔いしれる。


「ぐうッ、おのれッ! 生きて帰さ……んッ!?」


 ナセマは素早く立ち上がり得物を構えたが、ミキの傷ついたマスクから覗く緑色の瞳を見て急停止した。


「汝、その目はッ!? ……ああ、そうか。どうりでな」


「俺を知っているのか?」


 期待はしていないがミキは訊ねた。ナセマはなにも言わず、得物を鞘代わりのベルトに納め、腰に巻いた。


「なんでえ、もうお終いかよ!」


「ビビってんじゃねーよ使徒(しと)サマがよッ!」


「そうやって逃げんのか、オレたちは仕事から逃げられねえのに!」


 当然、野次馬の熱は冷めない。それと対比するように、ナセマの態度は冷めきっていた。そして、ミキに言う。


「……この人間たちは愚かだと思わないか。刹那的な快楽に身をゆだね、その先を見ようとはしない。やはり、救いはみな行き着くところなのだよ」


 ミキはダリアの仕事を間近で見て思った。教義と嘯く過酷な労働に対して、あまりにも見返りが少ないのではないか。生活するのにやっとなのだから、不満は出てくるに決まっているし、歯狂魔ハグルマの襲撃もある。一概に悪とは決めつけられなかった。


「言い分はわからんでもない。だが、都合よくお前たちの救いを勝手に押し付けるな」


 もっとも、この街の住人となった身で、ラーディクスの権力者を蹴飛ばしたのも向こう見ずではあるが。


「いい返事は聞けんか。まあ仕方あるまい。このナセマ、先程の非礼はこの男に免じて詫びたい。補償しようと言っているのだッ!」


 野次馬たちはその場から動かず、野次を飛ばしている。もっとやれ、もっとやれ。その声が最も多い。


「汝らにこの続きを見たい者はいるか? 挙手しろ。相手してやるッ!」


 野次馬たちはすぐに黙った。聞こえるのは、配管の孔食から響き渡る蒸気漏れの音だけ。


「フン、実に愚かしい。愚衆に勇気などあったものではないな。貴様、受け取りたまえ。割れたレンズはこれで直すのだ」


 ミキはナセマから紙幣を受け取ろうとしたが、力を入れて、中々離さない。


「もっとも、貴様には必要ないだろうが……な」


「俺を知っているな?」


「貴様とはまた会うコトになるだろう。それまでに自分の役割を思い出したまえよ。いざさらばッ!」


「おい、待て――」


 ナセマは紙幣を渡した後、背中を向け、走り去っていった。なぜ浮いて移動しないのかは解せない。


「ごほっ、けほっ。ミキさーん。無事ですかー!」


 散り散りに小さくなった野次馬の群れからダリアが飛び出た。聞こえづらいが、咳込んでいるようだ。


「この通りだ」


 ミキは外気に晒された目を指さした。


「そこだけですね? じゃあ無事ですね! よかったあ」


「ん? いや、マスクが」


「んもーっ、気にしないでください。また直せるんですからっ」


「度々すまない。あと、これを」


 ミキはナセマに手渡された折り畳まれた紙幣を渡した。


「1000マルルですね。なんのつもりだったんでしょうか」


 確認するとまた折り畳み、ミキに返した。


「あのうるさい男、俺を知っているふうだった」


「知り合いなんですか?」


「わからない。今は気にするまでもないだろう」


 使徒を追えば、己の正体がわかるのだろうか。多額の金を懸けてまで探す意味、男が去り際に放った役割という言葉。それは恐らく、追わなくても向こうからやって来るのだろう。せめて、そのときまでは――


「あのう、ケンカして疲れているかもですけど、お買い物、手伝ってもらってもいいですか?」


「ああ、俺の役割を果たそう」


 ミキはガラス張りのドアを開け、店に入った。ケンカをしていたせいか、商品が並べられた棚だけが目立っており、がらんとしている。


「おうおう、客を追っ払ったのはアンタかい?」


 店主らしき老婆が奥の通路の暗がりから現れた。


「いやあごめんなさい、ミスズさん。ちょっと一悶着ありまして……」


 ダリアはマスクを取り、頭を下げた。ミキもなんとなく頭を下げた。


「まあ、偉そうな使徒が吹っ飛んだのはスッとしたけどね」


「マスクは被らないでいいのか?」


「ミキさん、ほらほら」


 ダリアは目で窓際を指した。そこには鉢植えにアリアの木がある。ミキは頷いて納得した。


「まったく、ダリアの連れは常識知らずかい?」


「常識なんて地道に知るものですよ。ところで、マスクを直してもらいたいんですが」


「ああ、いいよ。修理してやるよ。普段は500マルルだが、この通り客足がぱったりだ。ちょいと色を付けてもらおうかね」


 老婆はしたり顔で見つめる。シワだらけだが、その眼光は鋭い。ミキは敵わないと思い、ナセマから手渡された1000マルルを払った。


「なんだい、わかっているじゃないか。それじゃあ、しばし待ってもらうよ」


 老婆はミキのマスクを強引に外し、暗い通路へと消えていった。店内にはミキとダリアのふたりしか残っていない。そこでミキは浮かんだ疑問をぶつけてみた。


「この品物、盗まれないとでも思っているのだろうか」


「……ミキさんもワルですねえ。やっちゃいますか、グヘヘっ」


 それっぽく、わざとらしく笑ってから、あっけらかんとした表情に戻った。


「なんて冗談です。わたしが盗まないって信頼してるんじゃないですかね。なんでそんなコト訊いたんですか?」


「さっき群がっていたヤツらなら、やりかねないと思ったからだ」


「ないとは言えませんね……。でも、お父さんとお母さんの遺言に従ってるだけです。ここは汚い街だが、お前は道理を貫けって」


「それで報われるコトは、少ないだろう?」


「んもーっ、グイグイ切り込んできますね! こんな乙女に対して!」


「すまない」


 奥から耳をつんざくような金属音が鳴り始めた。マスクを直しているらしい。


「でも、たしかに生きづらいです。ズルいほうがいいのかとも思いますが、あのときあなたを見捨てなかったから、こうして今も傍にいられるんです。もう充分報われましたよ」


 助けられておいて、しかも素性のわからない男をこんなにも慕ってくれているのに、まだなにも返せていない。


 ダリアに拾われなければ、今頃はどうなっていたのか。街をさまよっていたか、あるいは何者かに利用されていたか。少なくとも、こんな温かな気持ちは湧いてこないだろう。


「ダリア」


「えっ、な、なんです?」


 細いワイヤーで組まれたカゴに品物を入れる手を止め、ダリアはこちらを向いた。


「借りは必ず返す」


「え? 借りって? なんにも貸した覚えはないですよ!?」


「こちらの話だ」


「ええ? わたし、なにかしましたかね……?」


 金属音は止まると「直ったよ!」と腹に響く叫びが聞こえた。商売人は声が大きい。ミキは店の奥へと進もうとすると、ダリアが声をかけてきた。


「ひとりで大丈夫ですか?」


「子供じゃない。平気だ」


「だって押しに弱そうだから……。またぼったられないように、気をつけてくださいね!」


 言いたいコトはいろいろあったが、とにかくミキは老婆の下へ向かった。


「ほらよ」


 手渡されたマスクを被る。レンズの曇りがなくなり、以前よりも視認性が良くなった。そのついでにミキは老婆に尋ねた。


「銀のスプーンが入用なのだが。この店にあるか?」


 ダリアが欲しがっていたものだ。それを贈るコトが、せめて伝えられる感謝ではないか。


「へえ……そうかい」


 老婆は見透かすようにその口角を上げる。


「ウチを舐めんじゃないよ。だがね、高くつくよ。4万マルルだ」


「どこで稼げる」


「手っ取り早く稼げるといったら、8区の炭坑だね。石炭は汽車を走らせたり、ボイラーを炊くのにも必要だからね。でも大きな危険は伴う。覚悟しておくんだね」


「わかった」


「殊勝な男はキライじゃない。がんばりなよ」


 ミキは一礼してダリアの下へ戻った。ダリアは置き物を手に取っては棚に戻していた。


「あっ、お帰りなさい。なんの話してたんですか?」


「内緒だ」


「んもーっ、またはぐらかされちゃいました……」


 これで目的は決まった。炭鉱で金を稼いで、ダリアに銀のスプーンを贈る。喜んでもらえれば、それでいいのだが。

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