第五話 使徒
「見てください、
ミキとダリアは黒鉄の蒸気機関車に揺られながら、その目印である65と書かれた煙突を車窓越しに見つめる。顔を覆うマスクをしていても、黄土色の空気に包まれながらも、その文字はよく目立つ。
「あの煙突、というかボイラーですね。その設計におじいちゃんが関わったらしいんですよ」
「手先が器用なようだな」
「わたしはよくわからないですが、機械いじりが得意なんですって。きっと、この頼まれた買い物も――」
ダリアが窓から目を離したとき、ミキは外で人が痙攣しながら倒れたのを見た。だが、通行人は誰も足を止めようとしない。無論、この機関車もだ。
街の住人たちは文字通り、必死に生きている。彼らをとりまく無機質な無関心さは、余裕の無い表れなのかもしれない。別段他人に冷たいとかではなく、よくあるコトなのだろう。
ミキは数時間前のやりとりを思い出す。
「おはようございます。今日は買い物に行きましょう!」
ダリアが上階から降りてすぐに提案してきた。
「仕事はないのか?」
「昨日の事件があったじゃないですか。ほら、
ダリアの仕事は、態度もデカい大男のゲゲルが仲介しているようだ。たしかに昨日は、
「事件もお給料もひどいものでしたが……。実はまだ、まとまったお金があるのです!」
そう言うと、背中に回していた手を見せてきた。その手には紙幣が数えるほどだけ握られている。
「おじいちゃんが
褒められると、なんだか少しくすぐったい。
「それで足が付かなければいいが」
「その心配はいらん」
イスに座る祖父が、こちらに向き直る。
「倒したとき、きっと野次馬共が多く群がってきたろう? あれらが拾えるくらいの量じゃよ」
「さすがおじいちゃん、この街の生き方を熟知してますね」
「ところで訊きたいのだが」
ミキは無理に話に割り込んだ。ずっと、どうしても訊きたいコトがあった。こんな街で生きる意味を。
「ここを出ようとは思わないのか?」
それを聞いたふたりは目を丸くして、見合わせた。視線だけの会話は、なんとなく意図を汲み取れる。
「あー……。ここは家族が守ってきた場所なので、出ていくというのは考えづらいですね」
「誤解させてすまない。この街から出ないのか、という意味で言ったつもりだ」
「この街から出る……?」
ダリアが首を傾げると、祖父が食い気味に答えた。
「この壁の向こうにはなにがある、という話で言えば……」
老人は昨日のように、ダイニングテーブルに地図を広げて、円形の壁を指でなぞった。
「向こうなど、無い。なにもないんじゃよ。あるとしたら、無限に続く土の壁じゃ」
「奇妙な話だな、なんのための壁なのか。では生活圏は、この街しかないのか」
「うむ。残念ながらの」
「壁の向こうなんて発想、わたしにはありませんでしたよ。どこの区に引っ越したいのかってハナシかと」
「まあとにかく、みな生活の要であり、ラーディクスの教義である労働をして生きておる。たしかに過酷な生活じゃが、それが当たり前じゃからの」
「そう、か」
「というワケでミキさん、お買い物に行きましょう。久々に仕事しなくていいから、わくわくしてますよ!」
「5区に行くんじゃろ? ならワシのも頼まれてくれんか――」
みんな役割を果たしている。この檻のような街が包む、言葉のない喧騒と汚れきった空気、鏡写し同然の顔の見えない隣人たちと共に。これを生活というには、あまりにも乏しく、虚しい。
そしてまた思う。俺に課せられた役割は、何?
「――おーい、ミキさん? 駅に着きましたよっ」
ダリアの一声で、ミキは我に返った。窓を見れば、ぞろぞろと人が降りて行く。
「んもーっ、ボーっとしちゃって。でも汽車に乗ってると、つい眠くなりますよね。わかりますわかります」
無邪気に言うダリアを見て思い直した。目下の役割など、そんなコトわかりきっている。
「すぐにでも眠りたい気分だ」
「そ、それは困りますよ!」
「冗談だ。さあ、案内してくれ」
「……ふふっ、ミキさんも楽しみなんですね! 任せてください!」
ダリアが手を差し伸べた。ミキはゆっくり握り、後ろを歩いて汽車を降りた。汽車に挟まれたプラットホームを抜け、駅を出る。
「けほっ、ごほっ。んー、煙いですね」
「マスクをしていても、咳こむほどなのか?」
「えっ、ええ。ここが5区ですよ。金とか銅とかの鉱石を加工する工場が多いんです」
ダリアの住む6区と比べても、そう景色は変わらない。見上げると、ここにも錆びた配管がどこかへ伸びている。ミキはダリアにあの行き先を訊いてみた。
「あれは『
「ラーディクスの神体と言っていたな」
「わたしは熱心に拝んだりしていないので、そういうのはさっぱりわかりませんけどね。日々凌ぐだけで、余裕はありませんから」
「こんなに遠ければ、買い物も大変だろう」
「なので、力持ちのミキさんにいっぱい手伝ってもらいますよっ。『ウシ缶』に『
「銀のスプーンが欲しいのか?」
「あいや、それはそうなんですけどね……。でもこれ、人からいただくのが、特にミキさんとか……」
「よく聞こえないな」
ダリアはうつむいて、小声になってしまった。
「とにかく、無駄遣いはできません! ミキさんは居候さんですからね、協力してもらいますよ!」
苦しい生活を強いられていても、こんなに元気なら、希望が持てる。
「いっしょにいると、退屈しないな」
「誰かと行くと、退屈な道のりもすぐですよね。もうお店に着きますよ!」
ダリアが指す前方のレンガ作りの建物に人が群がっている。遠巻きに見ていると、なにかが宙に浮いた。それは明らかに人の姿をしている。
「賑やかですよね……って、人が浮いてますね」
「俺にもそう見える」
「あれはラーディクスの『
「人が浮くのだから、たしかに奇跡だ」
「困りましたね、あのお店で買い物したいんですが……。でも、ちょっと気になりますね。見物します?」
「距離を縮めてみよう」
ふたりは密を避けながら、しかし遠くはない位置についた。浮いている人間の衣装もよくわかる。憲兵が身につけている白いマントに、金色で描かれたアリアの木のような意匠が施されている。
「この街に息づく人間たちよ、聞こえるかッ!」
浮いている人間は突然声を挙げた。演説をしているようだ。マスクに拡声器でもついているのか、かなりやかましい。
「この街は唸り、叫び、嘆いておられる。神の嘆きなのだ! 怠ける愚か者にはいずれ神の怒りが下る。労働をせよ、さすれば汝らは救われるッ!」
ワケのわからないコトを言っていた。聞くからに中身の無い脅しであった。街がうるさいのは、配管のメンテナンス不足だろう。
「ああ、親愛なる使徒ナセマ様。愚かなる我らをお導きください……」
もっとも、その言葉を信じる者も少なからずいるようだが。
「跪き手を組んで祈る暇があるのなら働かないかッ! さあ手を動かせ、足を動かせ、救われたくないのかッ!」
「そ、そんな……」
ナセマ様と呼ばれた男の横柄な態度に、信者らしき集まりもひどく怯えている。
「横暴が過ぎるな」
「んもーっ、お店の前で迷惑ですね……。別のところに行きましょうか」
ふたりが踵を返し離れようとしたとき――
「汝ら、これを見よッ!」
ナセマはより大きな声を上げた。思わず振り返ると、左手で人の頭を掴み、宙を浮いている。
「あの人、マスクを外されてますっ!」
ダリアの指摘通り、その男は素顔を晒され咳込み、まるで溺れているように苦しがっている。短時間でこうなってしまうのなら、ミキはマスクをしなければならない理由がよくわかった。
「これは懈怠に心を蝕まれ、労働の意欲を亡くした憐れな男だッ!」
「ああ、
「
大勢の野次馬たちは、ただざわつくだけであった。
「あ、あれはやりすぎですよ……。マスクを外されたら呼吸ができないのに。わかっているハズなのに……」
「見せしめのつもりか」
ミキはダリアが恐怖に怯えているのを見ていられなかった。ナセマという男に対して、明確に怒りを覚えていた。
「俺が止めてくる」
「えっ、ちょっとミキさん……!」
人混みの中を強引に進み、ナセマの真下につく。いったいどういった原理で浮いているのか、見当もつかない。
「汝、なんのつもりかッ!?」
怒鳴り声を無視して、拾った石をナセマの左腕に投げた。ノーモーションながら、しかし弾丸のような豪速球は見事命中。ナセマはたまらず喘ぐ。
ミキは男を受け止め、落ちているマスクを顔にはめると、早い呼吸は徐々に落ち着いてきた。
「あ、ありがとう……」
男は礼を言ってから、野次馬の中に同化した。同じ服装の群れだ、一度紛れてしまえば判別はつかないだろう。
「なんのつもりだと訊いているッ!」
ナセマは降りてきた。落下という早さではなく、自らの意思でスピードを調節しているような。やはり原理はわからない。
「やりすぎだ」
適当に言葉を交わし、ナセマを観察する。見たところ、他の人々と変わっている部分はマスクとマントしかない。あと、大きな声か。
「どの分際でほざくかッ! 私が使徒と知っての狼藉かッ!?」
言葉と合わせて、身振り手振りもやかましい男だ。観察ができない。
「ワケのわからないコトを言うな」
「舐めくさりおってッ、私が主に代わって、汝を裁かんッ!」
互いにマスク越しに睨み合う。ミストガルドでも珍しい人同士の戦いが繰り広げようとしていた。
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