第四話 取引
環境汚染、過酷な労働、そして、人を襲う魔物の出現。改造された記憶喪失の男、ミキが目を覚ましたこの街には安息はない。
だが、守るモノはある。居場所と名前を与えてくれた少女、ダリアだ。
「ミキさん、
ミキの両手に抱えられたダリアは忠告した。
危険ではないというのは朗報だが、ダリアを抱えて手は塞がっているし、ここは家屋が連なる住宅街の屋根だ。
手を離すワケにはいかない上に、ダリアの父の形見の対応服を着させてもらっている。
「煙突掃除の道具を貸してくれ」
「このブラシとスクレーパーですか? これでやっつけると?」
手渡されると、コートのポケットに収納した。
「これから片腕で抱える。マスクを落とさずにしっかり掴まっていろ」
「いくらミキさんが強くてもそれはあああーっ!」
ダリアが喋っている途中で
「落ちちゃいます〜ッ!」
「口を閉じていろ。舌を噛むぞ」
「これが叫ばずにいられるモンですかあ〜ッ!」
着地と同時に、ミキは
あの
「……あれ? 後ろにいっちゃいましたね。あっ、走ってあのツノで突き刺す気じゃ!?」
「俺なら煙突に入り、奇襲をかける」
「なるほど、じゃあ穴を塞げば!」
「そうだ」
右手の掌底に仕込んであるワイヤーを伸ばし、煙突に引っかけて塞ぐと、
「攻撃してきた! 両手が使えないのに〜ッ!」
「問題はない。恐らく牽制だ」
これも想定内だ。スピードも攻撃する位置もさっきと同じならば、防ぎようはいくらでもある。
「こうすれば」
胸元に向かって伸びる舌先を踏みつけると、
「うまく見切りましたね、ミキだけに!」
「ワケのわからないコトを言うな」
伸ばしたワイヤーを収納してからブラシを手に取り、全力で抑えた舌を擦ると、再び大きな口を開け、絶叫した。金属を磨いている感触だったが、舌から煙が上がっている。
「追い打ちのかけ方がこう、ちょっとドン引きです……」
「だが、弱点はわかった」
舌の付け根に接合部が見えた。細い鉄の鎖で繋がれているそれは、見るからに脆そうだ。舌を踏みつけながら口元へ走り、ポケットからスクレーパーを取り出してそこへ押しつけた。
鎖は解かれ、舌は力無く屋根から転がり落ちた。
「やりましたね! これで動かなくなればいいんですが……」
ダリアの思いとは裏腹に、悲鳴とは違った咆哮を上げ、鼻頭から突き出たツノを振り回す。
「まだ元気です〜ッ!」
ミキはまた跳び上がり回避しようとした、が――
「……え? お、落ちてますよ!?」
足を滑らせた。
「抜かった。わざとではない」
「転落事故じゃないですか! やだー!」
「口を閉じていろ。衝撃がくる」
ダリアを抱き、地面に背中で着地した。意識はあるし腕も足も動くが、こんな金属音が響く身体でも、たしかに痛みはあるようだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
「問題ない。それよりケガは?」
「わたしは平気です。ほら!」
両腕を上げながら跳ぶダリアを見て、安心した。
「だったらいい」
「わっ! ジッと見てる!」
それも束の間、今は遠くなった屋根の上から、異形の影があざ笑うように、こちらを覗く。
「そうだ、あの骨出しましょう!」
「お前の父の形見を乱暴に扱うワケにはいかないだろう」
「その心づかい、うれしいです。でも、また直せばいいんです。なんたって今は緊急事態ですから、ね!」
「すまない。無力なばかり、に」
言っている途中で、ダリアはミキの首を力尽くで横に曲げると、服を破いて左腕の骨が飛び出た。同時に屋根の影が、横たわるふたりに重なる。
「離れていろ」
「おわーっ、乱暴ですよー!」
抱えていたダリアを突き飛ばし、
「く、串刺し……」
ミキは腹ばいになっているので見えないが、どんな状態になっているかは、駆け寄ってきたダリアの反応でよくわかる。
「いきなり突き飛ばしてすまなかった」
「いえ、わたしは元気ですが、ミキさんは?」
「俺も元気だ」
「ふう、よかったです。しかし
「敗けると思ったか?」
「まさかです!」
ミキは立ち上がり、もはや鉄屑と化した
「……テメーら、こう、なにがあった?」
明らかに戸惑いを覚えているゲゲルが出てきた。その服に汚れはない。
「どこ行ってたんですか! いない間、かくかくしかじかで――」
ダリアはミキが圧倒したのを伏せながら、顛末を話した。
「煙突からコイツがひょっこり、か。ははッ、お前も不運だよなあ」
「笑わないでください。不運なのは、この家の家主さんです……」
「たしかに、ヤツの身体の血糊はそういうコトだろうな。で、お前らは無傷と。やっぱその男、怪しいよな」
「ミ、ミキさんがですか?」
「ラーディクスが人探ししてんの知らねえか? 先日の
「隠し通せないか」
「簡単にバレちゃいましたね……」
ゲゲルは勝ち誇ったように笑った。
「あの連中、なにを考えてるのか知らんが、どうせロクでもコトねえだろうよ」
「なにが言いたい」
「取引だ。チクらないでやる代わりに、アレを討伐した手柄を寄越せ」
「どうにも怪しいな」
「約束は守る。さっさと決めろよ、オレ様はもう憲兵を呼んじまったんだからな」
ラーディクスは街の中枢らしいので、お尋ね者だったとわかった今、それを匿っていたコトになるダリアはどうなるのか。守るために、不安要素はなるべく排除すべきだろう。
「わかった」
「よし、気に入ったぜ。じゃあな!」
ゲゲルは転がっている顔を持ち、踵を返した。
「あー! 待ってくださいよ、今日のお給料は!?」
ダリアが吠える。
「煙突のひとつも掃除できてねえクセしてねだるのか! だがオレ様も今日はゴキゲンだからな、ほらよ、ひとつ分くれてやる!」
ゲゲルはポケットから硬貨を投げた。コツンと音を立てて、ダリアのマスクに直撃した。
「500マルル、ですか……。まだまだ厳しいですね」
素早く拾い上げて、ため息をつく。
「へへっ、区長の道はまだ閉ざされてねえぞ!」
軽い足取りで遠ざかるゲゲルの背中を見つめている。それと入れ替わるように人が近づいてきた。
「あれがラーディクスの憲兵です」
「俺は黙っていたほうがいいか」
「ええ。なるべく」
やがて、憲兵が目の前に来た。背中に翻る白いマント以外は、往来の人間と同じ格好だ。
「ここに通報がありました。どういった状況でしょうか」
「あの、それが――」
ダリアは再び顛末を話した。違ったのはゲゲルが
「それは災難でしたね」
憲兵は同情したと思えば、急に無機質に早口になった。
「しかし、労働を恐れてはなりません。労働こそが神の世界に近づけるのです。聖なる
「は、はい」
あまりにもうさんくさい。こんなヤツに目をつけられるくらいなら、手柄を渡して正解だったようだ。ミキはそう確信した。
「ところで、先日の
憲兵は突然訊いてきた。ふたりは首を横に振った。
「なにか手がかりでもあれば、ご一報ください。もし見つけ差し出したのならば、10万マルルを贈呈します」
「じ、10万マルル!?」
「ご協力をお願いします。後は私にお任せを」
ミキはダリアの腕を引っ張るも、動かなかった。仕方なく両手で抱えた。
「仲がよろしいようで」
憲兵が茶々を入れた。意外と情はあるようだ。
「見せものではない」
「それは申し訳ありません」
ミキは来た道を思い出しながら、帰路についた。ダリアはまだ動かないので、マスクを小突いた。
「……はッ!?」
「やっと気づいたか」
「あなたを差し出せば10万マルル……。煙突掃除200回分……」
「お前の生活が楽になるなら、俺は構わない」
「あっ、いや。そ、そんなつもりないですからね! 冗談だって言ってくださいよ、ねっ!?」
こうして、騒がしい一日は過ぎていく。
「――失礼します。ガルディア様」
「おう、変死事件だったって? ついてなかったな」
「
「真犯人だった、とか?」
「いいえ。その男、対応服が左肩だけ破けていたんです」
「……ふーん。そりゃ調べてみる価値アリ、だな」
静かに不穏に孕みつつ――
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