第三話 労働
「ふいーっ、仕事はイヤですねっ!」
その顔はマスクで覆われているので見えないが、ダリアは臆面もなく言い放つ。意気揚々と外に出たわりには足取りが重そうだ。
「ところで、誰もいませんよね?」
ダリアは辺りを見渡し、人影がないのを確認すると、ふうっとひと息。マスク越しの視界は狭いので、見落としがないといいのだが。
「わたしの仕事っぷりを見たら、きっと驚きますよ。なんなら手伝ってもらいましょうかね、宿代代わりに!」
「構わない」
「その双肩にわたしたちの生活がかかってますからね、期待してますよ!」
「大げさだな」
ダリアは駆け足で仕事場へ向かい、男もそのすぐ後ろを追う。見分けがつかない人混みを抜け、赤く濁った川を見下ろしながら橋を渡る。
「これはですね、皮を鞣す過程で出た排水を流してこうなっちゃったんです。あの工場があるから、みんな着てる対応服が作れるんですけど、キレイな地下水が……」
川が全て飲み水になれば、わざわざ水瓶に貯める必要もないだろうに。
「たしかに、暮らしていくにもやっとのようだな」
「そうなんですよ。大げさじゃないんですー」
視線を上げてみた。立ち並ぶガス灯、立ち並ぶ煙突の煙と、錆びた配管がどこかに伸び、孔食から蒸気が耳障りな高音と共に吹き出している。ここは彩りの無い街だと、男はそう直観した。
そしてまた思う。ダリアの青い瞳はこの街に無い彩りであると。
「お前の瞳は、美しいな」
「え? すみません。マスクで声がこもってるから、聞こえませんでした」
「お前の瞳は美しい、と言ったんだ」
「ああ、なるほど、そうですか。……って、ええッ!?」
ダリアは駆け足で、マスクで塞がった男の顔を見上げながら驚いた。
「あ、いや、でも。あなたの瞳も髪もキレイですよ。『アリアの木』の葉っぱみたいな緑の眼に銀色の髪なんて、この街じゃ見られませんから……。他の人の顔も見たコト無いですし、そもそも、わたしの顔を見たのも家族以外であなたが初めてですし……。あれ? なんだか恥ずかしくなってきちゃいましたね……」
「ほう、このオレ様がそんな色男に見えるってか」
ダリアはうつむきつつ、クネクネ言っていると、男との間に大男が割り込んだ。
「そりゃもう、そんな殺し文句を言われるのは初めてですから」
ダリアは足を止めて見上げると、大男に気づかなかったようで、硬直している。
「あー……聞いてました? 別にゲゲルさんのコトじゃあないんですよ?」
「ゴキゲンなら、いつもの3割増しでも怒らねえな?」
「お給料の話でしたら是非に!」
「バカ言ってねえで、さっさと始めやがれ!」
ダリアに着いていった先は住宅街のようだった。縦に長いレンガ造りの家は整然と並んでるのもあってか、ダリアの住んでいる家よりも明らかに立派に見える。
「んもー。ゲゲルさんはケチですね。さっ、行きましょ」
「ん? いやちょっと待て。なんだテメーは?」
ダリアの横に着いていこうとすると、ゲゲルと呼ばれた大男に肩をつかまれた。
「今、ウチに住んでる居候さんですよ。乱暴しちゃダメですからね」
「お前、仕事は好きか? 金は?」
大男は早口でまくし立てるが、質問の意味がわからない。
「ワケのわからないコトを言うな」
「なんだと――いや、そのセリフは……。お前まさか、あのときの行き倒れか?」
「知り合いですか!? もしかして記憶の手がかりかも!」
「知らないな。お前など、なんの印象も残っていない」
「舐めた口聞きやがって!」
「わっ、ダメ――」
ゲゲルは聞いたようなセリフでみぞおちに拳を振りかざした。
「遅いな。簡単に防げる」
左腕の肘で防ぐと、人体から発したとは思えない金属音を響かせた。
「ぃぃッ!」
「――って言ったのに」
小さな声だが、たしかに呻いた。大男はガントレットをつけた拳で殴ったのに、それでもダメージは大きいらしい。
「この人のお給料はいらないので、ここは穏便に、ね?」
「なんなんだよコイツは……。名前はなんていうんだ?」
「えーっと……『ミキ』です! ミキさんです!」
「ミキか。人となりもヘンテコだが、名前もヘンテコじゃねえか。おいミキ、お前はタダ働きだ。恨むんなら、こいつを恨むんだな!」
「恨む必要はない。俺はダリアに感謝している」
「ケッ! 食えねえヤツだ!」
ゲゲルは言い捨てて、どこかへ消えた。完全に見えなくなったのを見てから、ダリアは小声で話しかけてきた。
「行きましたね。それはそうと、勝手になんとなく名付けちゃいましたが……」
「構わない」
「そうでしたか。じゃあ今日から、あなたはミキです」
「わかった」
「ねえ、ミキさん、ミキさん!」
「なんだ?」
「ふふっ……呼んでみただけです」
「ワケのわからないコトを言うな」
「んもーっ、常識は備えてるって言っといて、おいそれとそんなコト言っちゃダメですよ?」
「善処する」
「さて、じゃあお仕事しますか」
ダリアは家の裏手に掛けてあるハシゴを上り、屋根に乗ったのを確認すると、男――ミキも続いた。眼前に広がる景色はやはり煙たい。北東の方角には巨大な搭が見える。地図の中でも目立っていたが、視認性の悪いマスク越しでもよく目立つ。
「ほら、見てくださいよミキさん。仕事場はここですよ、ここ!」
ダリアが小さな正方形の煙突をこれでもかと叩いて強調する。不満を抱いているのがわかりやすい。
「この狭い煙突に入るのか?」
「そうです! ふつうは登りながら掃除するんですけどね、ここの家主は家に入れたくないから、ずり落りて掃除しろって言うんです!」
「危険だな。変わってやりたいが、俺では入れない」
「だからこそ、小柄なわたしの出番ってワケですよ」
「悲しいが、理にかなっているな」
「だーかーらーイヤなんですよ。もっと身長があれば1区で働けたのに、ってそれもイヤですけど……」
ぶつぶつ言いながら腰につけたポシェットの中からワイヤーブラシとスクレーパーを取り出した。
「俺に出来るコトはあるか?」
「落っこちないように見守ってください。あと、話相手にも!」
「わかった」
ダリアは背中と膝を煙突内に密着させて入った。
「この姿勢を保ってゆっくり降りるために、意外と腹筋が必要なんですよ。背中がゴツゴツして痛いですけど」
「大したものだ。この街でも優れた掃除人なのか?」
「キャリアは長い方です。現にこうやって生きていますしね」
この口ぶりからすると、事故など日常茶飯事なのだろう。
「知り合いが?」
「それもありますし、わたしより年下の子だって……。まあ、ありふれた悲劇ってヤツですね。わたしは運がいいだけですよ」
これがありふれてたまるか。ミキは生まれも覚えていないが、静かに怒りを覚えていた。今、こうして一生懸命に働いているダリアに言えないのだけれど。
「……俺も運がいい。お前に出会えたのだから」
少し考えたが、それしか言えなかった。
「そうです。あなたはもっともっと、わたしに感謝すべきなのです。……もちろん、冗談ですよ?」
煙突内から煤が舞い、様子が見えない。こうして会話をするコトでしか安否がわからない。
「……ん? 下からガチャガチャ音がするんですけど」
耳をすませると、たしかに聞き覚えのある音だった。あの
「あっ、だんだん音が近づいてきて、なんだかヤバそうです!」
「すぐに上がってこられるか?」
「さすがにムリですよ!」
どうやら危機が迫っているようだ。咄嗟にミキは、老人から言われたコトを思い出した。
「――それとな、お前さんに新たな装備をこさえたんじゃ。右腕を伸ばして親指を他の指で握ってみなさい。そうすれば、
「俺の構造を理解したのか。では、俺がどこから来たのかも」
「いや、わからん。これ以上の詮索はよしてくれよ。ダリアが呼んでおる。なるべくいっしょにいてやってくれ」
「……俺に任せろ」
あの老人が取り着けたというワイヤーで吊り上げれば、すぐに助けられるのではないか。
「聞こえるか? 姿勢を真っすぐにしてくれ」
「そんなコトしたら落っこちちゃいますよ!?」
「説明するヒマはない。俺とお前の祖父を信じろ」
「……わかりました、信じますよ! わたしを助けてくださいね!」
「必ず」
老人の言う通り、右腕を伸ばしその手で親指を握ると、掌底からワイヤーが飛び出した。ワイヤーは落下する直前のダリアの肩に絡まると、射出は止まった。
「すごいです、今ぶら下がってますよ!」
「引き上げるぞ」
「狭いんですからやさしく引き上げででででッ!」
気の毒に思いつつも、一本釣りをするように腕を上げると、煤まみれで真っ黒になった小さな身体が宙を舞った。もう一度親指を握るとワイヤーはダリアに絡まったまま、腕に収納されていく。
「ありがとうございます。煙突の中でぶつけまくって痛いですけど……」
「すまない。これしかやりようはなかった」
ダリアを抱きかかえ、ワイヤーをほどいてまた収納した。
「でも、やっぱりわたしも運がいいです」
ダリアと煙突に向き直ると、それは現れた。爬虫類のような短い四肢で地を這い、身体にこびりついた血痕がウロコを目立せている。まるであの川のような赤い色だ。
「あなたがいなければ、『
「あれも『
「はい、あの様子だと、家主さんたちはもう……」
ヤツはこちらを見つめながら、縦長の瞳孔を模した歯車を回すと、鼻頭から鋭利なツノが蒸気を噴き出しながら生えてきた。
「やはり、この街はろくでもないところのようだ」
ミキは本心からそう思った。
「……ところで、降ろしてもらえませんか?」
「危険だからダメだ」
「んもーっ、恥ずかしいです……」
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