第一話 出会い

「おい、なに寝てんだ! てめえたきぎになりてえのか!」


 こもったような乱暴な怒鳴り声で男が目を覚ました。男は仰向けになったままで、今ここに置かれている状況を把握しようとした。


 周りには赤錆に塗れた煙突群の、そこから吹き出す蒸気で空は閉ざされている。暗い空は色すらもない。


 横を向けば、えんじ色のコートとブーツを履いた異形の顔の人の群れ。淡いガス灯の光に照らされた錆色の道を、みんなそそかしく歩いている。


「往来の場でおねんねとは、気でも触れたか? まあ、こんな世の中だ。気持ちもわかるがね」


「その顔面はなんだ?」


 男は無表情で訊くと、尖ったクチバシが目立つ不気味な顔を小突いた。


「マスクに決まってンだろ。コレがなきゃ身体がダメになっちまう。逆に訊くが、てめえは平気なのか?」


「恐らくは」


「どこから来た?」


「わからない」


「そうかい、まあどうでもいい。どうせ薪になるだけだ。そのうち憲兵の世話になるから、気の済むまで寝てりゃいい」


「ワケのわからないコトを言うな」


「なんだテメェ、気にいらねえ態度だな! つまらねえ口をそっと閉じて、ずっと眠っちまえ!」


 大男は怒りをあらわにして去っていった。


「たしかに、それしかできないな」


 現に男は非常に無気力であった。不気味なマスクの群れは依然として素顔を晒している男に向いているが、その顔色はわからない。無関心か、嘲笑か、憐憫か――あるいは、好奇の目を向けるか。


「あ、あの。大丈夫ですか?」


 突然現れた、視界を覆い被さるこの小さな子供のように。態度こそおどおどしているが、しかし男を頭から足の先まで、じっくりと大きな丸い耳を模したマスクを動かしている。


「問題ない」


「そんな……蒸気でしょう。素顔で寝て平気なんて。あっ、きっと新型のマスクなんですね! 顔、触ってみてもいいですか?」


「問題ない」


「ありがとうございます……。って、冷たい!」


 子供は手袋をとって、男の顔を触るとすぐに引っ込めた。


「ほんとうにマスクなんか、被っていないみたいですね……。苦しくも、寒くないんですか?」


「平気だ」


 生返事をした後は、再び大男にされたような質問をされた。これも最低限に返した。


「では、あなたは記憶喪失と?」


「そのようだ」


「ここでは見ない格好ですし……。まさか、あなたが『救世主テンシ様』ですか!?」


「テンシ……? なんだそれ――」


「いやまさかですよねーっ。あり得ません。ごめんなさい、聞かなかったコトにしてください」


 訊こうとした途端、子供はすぐ否定してから、男の腕を引っ張った。子供は声色からして少女のようだった。


「わたしはですね、あなたを然るべき連れて行きたいんですよ。安心してください、悪いコトはしませんよ。どうです、立てますか?」


「お前の言ってるコトは漠然としていて怪しいな」


「そりゃもう、大きい声で言えませんからね、記憶喪失の人を迎えるなんて。……って、重くて動かないです!」


「どうにも動く気にならない」


「んもーっ。ちょっと、立つ努力をしてくださいよ!」


 少女はぐいぐいと男の袖口を引っ張っていると、突然、けたたましい音が街中に鳴り響いた。無表情な人の群れも慌ただしく動き回っている。


「やかましいな」


「やばっ、このサイレンは警報です、すぐに立って下さい!」


「なにが起こるんだ?」


「襲われちゃうんですよ、『歯狂魔ハグルマ』に!」


「それはなんだ?」


「人を見境無く襲う金属生命体です!」


 由々しき事態というコトはわかったが、やはり男は動かなかった。


「なーんーでー逃げないんですか! もういいです、死んじゃっても知りませんよ!」


 その言葉とは裏腹に、少女は男の腕を肩にかけ、いっしょに逃げようとしている。


「言っているコトと矛盾しているぞ」


「わたしが後味悪いからですよ! 今までに倒れている人をいっぱい見てるのに、助けられた試しはないんだから……!」


「構うな。俺を放って逃げろ」


「んもーっ、じゃあそうしますう!」


 少女は男の腕を地面に振り払った。地面に腕が着くと、甲高い音がした。


「え? なんです今の音。金属?」


 少女が驚いていると、すぐ近くで音も無く黒い線が降り、地面を穿った。


「ひいっ!?」


 人を潰せるくらい大きく太いそれは、蒸気と煙に閉ざされた空から引っ込んでは降ってを繰り返す。


「あ、あ、もう逃げられない〜ッ!」


 やがて、黒線が空に戻ったかと思えば、すぐにその主が黒線からぶら下がり、ゆっくりと少女の目の前に降りてきた。8つの目をギョロギョロと動かし、8つの脚で地を這うその大きな影は、少女に絶望をもたらした。


「ダメです、もう終わりです。ああ、なんて儚い人生だったんでしょう! こんなところで『機械蜘蛛メカラクネー』に出くわすなんて!」


 機械蜘蛛メカラクネーは尻もちをついた少女に対し、金属の光沢が眩しいハサミのような鋏角を開いた。古い扉をこじ開けるような軋みが、恐怖を誘う。


「今日までずっと働き詰めだったのに、こんなのあんまりです! せめて缶詰くらい食べたかったのにーっ!」


 あれでは簡単に食べられてしまうだろう。しかし死が迫っているのに、その言葉はどこか軽い。


 助けられるか? 男はそう思った瞬間、なにかがよぎった。



『お前の力はお前のものだ。その力の使い道は、自分で選べ』



 覚えのない記憶が疾駆する。割れたガラス越しから聞こえる声は、強く語りかけてくる。そして、次にこう言われた。



『――決して、絶対に、後悔はするなよッ!』


「後悔、か」


 記憶がないのだから、今のところ後悔などないが、恐らくこれから作られていくのだろう。男はそう直感した。


 ならば、やるべきはひとつだ。男もひとつ思い出した。自らの鋼鉄の身体の動かし方を。


「おじいちゃーん! ひとりにさせてごめんなさーい! こんな不肖の孫を許してーっ!」


「――ワケのわからないコトを言うな」


 男は叫ぶ少女の前に立ちはだかり、機械蜘蛛メカラクネーの鋏角に挟まれた。耳をつんざくような金属音が響く。


「えっ? き、金属?」


「さっき思いだした、身体の動かし方もな。俺は造られた存在のようだ」


「あ、あなたは人間……?」


 機械蜘蛛メカラクネーは食えないと判断するや否や、男から距離をとった。


「俺も、歯狂魔アイツと同じようなモノなのかもしれないな」


「あ……いや、でも危険ですよ!」


「戦い方は身体に染みついている」


 男は首を鳴らした。すると衣服を突き破り、左肩から棒状のモノが出た。


「骨!? 骨が飛び出ましたよ!?」


 肩から手首にかけて伸びる一本の骨、これこそが男の得物だ。それをゆっくりと引き抜いた。


「俺が気を引いているうちに逃げろ」


「ごめんなさい、腰抜けちゃって……」


「もし立てるようになったら、すぐに逃げろ。それまでは俺が守る」


 得物と化した骨を肩にかけ、ぶらんと力の無い左腕に引っ張られるように上体を下げた独特の構えは記憶に無い。だがしかし、身体がそれを覚えていた。


「ワケのわからない生物だが、この人間に襲いかかるのであれば、容赦はしない」


 その一声を皮切りに、機械蜘蛛メカラクネーのふくらんだ透明な腹部の中から見える歯車が回り始めると、全身に散りばめられた小さな管から蒸気が吹き出た。


 やる気になったかと思うと、急に後ろを向いた。


「き、気をつけてください! あの黒い糸を出してきますよ!」


 少女が腰を抜かしながらも警告する。


「だったら、余計に逃げられないな」


 その通りに、あの地面を穿った黒線を腹の下から吐いてきた。もしも避けようなら、少女に直撃してしまう。男は自らの骨でそれを弾いた。


「すごい……。生身であの機械蜘蛛メカラクネーと戦ってる」


 少女は感嘆するも、男の方は余裕は無い。ムチのようにしなやかかつ、鉄よりも強度のある黒糸は、硬い身体をもってしても苦労する相手だ。


「あっ立てた! 逃げます逃げます、逃げました!」


 少女が叫ぶ。マスク越しでも、よく通る声だ。


「もう、遠慮はいらないな」


 男は一瞬の隙をつき、得物を顔に目掛け、投てきした。狙い通りそれは突き刺さり、機械蜘蛛メカラクネーはどこからか甲高い金属音を発している。悲鳴のようだ。


「アレだって鋼鉄でできてるのに、どうして刺さるんですか!?」


 少女は誰に言うでもなく、ただひとりで驚いている。


「まだまだ」


 男は怯んだのを見逃さない。目と鼻の先に詰め寄り、刺さっている骨を掌底で叩いて、更に深く刺した。


 機械蜘蛛メカラクネーは壊れた弦楽器のような聞くに堪えない悲鳴を上げ、後ずさりしたが、すぐに動けなくなった。機械仕掛けの細い足が、地面の穴にはまったのだ。


「忘れたのか、お前がさっき空けた穴だ。これで――」


 男は骨を引き抜き、頭部と腹部を繋ぐ接合部をそれで切り離した。


「俺の勝ちだ」


 完全に動かなくなったのを確認すると、刀を鞘に納めるように、骨を左腕に戻した。


「や、やっつけちゃいましたね……」


 少女がやってきた。


「まずいか?」


「いえ、ただ驚いてるだけです……」


 突然、地面が揺れた。男は少女を支えた。


「た、たびたびありがとうございます」


「次はなんだ?」


「あーっ! あれ!」


 少女の指さす方を見ると、どこに避難していたのか、どこから現れたのか、人の群れが走って現れた。


「動かなくなった歯狂魔ハグルマの部位は貴重なんです、あの人たちに持ってかれちゃいますよ! な、なにか持っていけませんか!」


「俺はこれを持っていきたい」


 男はふくらんでいる腹部を両手で持ち上げた。人の背丈よりも大きい金属の塊だが、重さは感じなかった。


「わたしは……あなたを持っていきます!」


 少女は男に抱きついた。


「行くあてが無いんでしょう? ならわたしに着いてきてください! 最初からそうしたかったんですよ!」


「ワケのわからないコトを言うな」


「なんと!?」


「冗談だ。名前はなんという?」


 ダリアはマスクの下であっけにとられた表情をした後、声を上げて笑った。


「わたしはダリアです! あなたとは仲良くなれそうですね!」


「ダリア、案内してくれ」


「はい、いっしょに行きましょう!」


 記憶の無い不思議な男と、街に住む少女ダリアはともに駆け出した。



 これが全ての始まり。彼らが街に奇跡を起こすのは、まだ先の話――

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