第5話 やっぱり神様は……

 

 実質的には一分三十秒だが、《神殺し》の呪文詠唱に必要な一分かかるって言ってたし、それを引いて、三十秒……いや、今はもう既に、二十八、二十七……。


「ひとつ、約束する」


 ぼくは、言葉を慎重に選びながら、口にする。

 ここで彼女の機嫌を損ねたら、もうアウトだ。


「約束って?」

「《神殺し》の魔法を使って、この世界がどうなるかは、ぼくにだって分からない。ただし、これは、退屈な日常に飽き飽きしていたきみなら、共感してくれるはずだ。新しいことを始めて、日常のなにかが変わるかも、と期待する高揚感。それを今からやろうよ、ってことだ。きみにとってのメリットは、もう、支払っているんじゃないのか?」

「高揚感がそうだというなら……まあ、そうね。それぐらいの価値は、あるかな」


 あっさりと認めてくれた。


「で、さっきの、約束ってなによ?」

「ぼくがこの世界の主人公だ。そして傍らに立つ、きみをメインヒロインに認定する!」

「あはは、なにそれ、メインヒロイン認定? それはそれは、ありがとーございまーす」

「感謝の気持ちが全然こもってない」

「あんたさっき、言ったよね? あたしが、今日を終わらせてどうするのか、って質問したら、明日へ進むって。フツーに生きてれば、同じような一日を積み重ねる場合はあるかもしれないけれど、自分以外に誰も、一緒の時間を蓄積してくれないってのは、結構精神的にキツイんだよ……だっけ?」


 勢いだけで言った青臭いセリフを他人の口から復唱されると、かなり気恥ずかしいものがあるな……。


「あれ、結構効いたわ。あたしもこっちの世界に来て、どこかそういう気持ち、あったから……。自分以外の誰かが、一緒の時間を蓄積してくれないのが精神的にキツイなら、隣にメインヒロインがいてあげる」

「え?」

「とにかく! さっさと始めましょう、呪文詠唱。仮にこの《神殺し》の魔法を使って、この世界が崩壊しようが、あたしは元の世界に逃げれば無事でいられる話なんだし」

「今までのいい話が台無しだ!」

「その時はあなたを、私の元いた世界に連れてってあげる。で、あたしが主人公ポジションってことで、よろしくっ」


 白い歯を見せて微笑む彼女。ぐう、可愛い。悔しいけど可愛い。

 言い方を変えれば、世界崩壊の首謀者と、可愛い実行犯。

 なかなか愉快な主人公とヒロインじゃないか。


「じゃ、始めるよ」彼女は古文書を開き、ゆっくりと呪文の詠唱を始める。


 古文書のページに記された図形が、光を放ち、宙に浮かび、踊るように彼女の回りで舞い始めた。

 光は強くなり、彼女を包み、広がって、ぼくの視界も真っ白に染めていく。

 古文書から、おそらく科学では測りきれないエネルギーが放出され、熱風となって吹き出す。


 詠唱には約一分かかると言っていた。残り時間は一分以上あっただろうか。


 もしも足りなければ、時間停止の固有結界が途切れて、ぼくはまたリセットされてしまうのだ。

 光の洪水の中で、彼女の声だけが聞こえる。

 目を開けても閉じても変わらない、優しい白い世界の中で、ぼくは手を合わせて祈った。

 

 祈るって、誰に? 


「神様」じゃない、ヒロインにだ。


 彼女の声が消えた。

 瞼の向こうの、眩しい気配が消えている。

 

 いつもどおりの、眼を閉じた暗闇の世界。

 背中と後頭部に柔らかな感覚……ぼくは、横になって寝ているのか。


 ぼくは、ゆっくりと目を開けた。

 

 見慣れた天井。ぼくの部屋のベッド。ジャージ。時計の時刻はまだ早い。

 薄暗い室内に、カーテンの隙間から朝日が漏れる。

 

 まさか……まさか……時間が足りなかったのか? 

 呪文を読み始めたあの時、もう残り時間は一分もなかったのか?

 また、「やり直し」なのか?

 おそるおそる、机の上を見る。そこにはメモがあった。

 こんな文章が追加されていた。


「ヒロインとのラブコメっぽい会話とかもありきたりだよね。ボーイ・ミーツ・ガールとか、過去作品で誰もがやってることでしょ? 魅力的なヒロイン、禁止」


「う、う、う、うわあああっ!」


 ぼくは叫んだ。

 

 きっと、《神殺し》の呪文詠唱の時間が足りたか足りなかったか、効いたか効かなかったか、そんなことは関係なかったのだ。


 時間を停止させる固有結界という《設定》の都合上、それが終わるまでは待ってやる。

 ただし、それが終わったら、何があろうと、やりたいようにやる。


 ネコがネズミをいたぶって、傷つけて、ひと思いに殺さずに、のたうちまわりながら逃げる様子をニヤニヤと眺めているような、そんな意地の悪さに心底腹が立った。希望を与えてから絶望に突き落とす、その悪趣味に吐き気がした。


「なーにが新展開を望む、だ! やってることは可能性のしらみつぶしだ! 打開策なんて、逃げ場なんて、最初から用意されてないじゃないか!」 


 ぼくはベッドの上から枕を掴むと、叫びながら、怒り任せに部屋中の物に当たり散らした。

 机の上から教科書や文房具が飛び、本棚からは本が舞って、床へと散らかる。

あっという間に部屋がカオスになっていく。


「テンプレ展開の全否定はやめてくれ、神様! 過去作品で誰もがやってること? 魅力的なヒロイン禁止? ぼくにどうしろと? つまらない、味気ない作品が見たいのか!」


 ぼくの頭には、「隣にメインヒロインがいてあげる」と恥ずかしげに言った、彼女の可愛らしい顔が浮かんでいた。

 次に会う時は、また、ゼロからだ! 初対面からだ! 

 むしろ、彼女が魅力的なヒロインになったから……「魅力的なヒロイン、禁止」に引っかかったのか? 

 

 彼女の魅力が招いたのがこの結末だなんて、あんまりすぎる。


「ありきたりなものをすべて排除していけば、新しいものが見つかる? 斬新なものだけが残る? それは違うだろ! 残らない! 残らないんだ! 残るとしたら、それは、誰かが思いついたけど誰もが手をつけなかった、クソつまらないカラッカラの絞りカス、残りカスだ! 前衛的すぎて、シュールすぎて、見向きもされない作品もあるかもしれない! 見たことがないものなら、それでいいのか? いいわけないだろ! 先人たちが試行錯誤を繰り返し、これまでの失敗例から成功例を導き出した、楽しめる要素、面白い展開、エンターテイメントの歴史の結晶……それを踏まえることの、何が悪いっていうんだ!」


 ぼくは、部屋の天井に向かって怒鳴った。

「神様」に届けとばかりに、声を張り上げて。


「ありきたりとかテンプレとか、悪いイメージの言葉を使うのはやめてくれ! ツボを押さえた王道、そう、『王道』なんだ! こうだったら面白いのに、こんな話が見たいのに、そんな要求の、そんな欲求の、ド真ん中ストライクで答える手法! ぼくはそれを否定しない! したくない!」


 目の奥から熱いものがこみあげてくる。


「ぼくだってラノベくらい普通に読むから知ってるさ。確かに……人の心を動かす物語のパターンは使い尽くされて、どれを見ても手垢のついたものに見えるかもしれない! これさえ入れておけばウケるんだろ、そんな安っぽい浅い考えで、とりあえず過去作品を踏襲してみました、なんて輩もいたかもしれない!」


 泣いちゃだめだと自分に言い聞かせ、ぐっとこらえる。


「けれど、新たな物語は、今、この瞬間だって、生み出され続けている。自分ならではのオリジナルのエッセンスを盛り込みながら、方向性を探りながら、過去作品と比較され、こんなの前にも見たことあるなあと悪意に晒されて批評されながら……」


 ぼくは、これまでに出したことがないほどの、大きな声を上げた。


「それでも人は、物語を作るのを、やめないんだっ! なぜか分かるか、神様っ!」


 テンションが上がったぼくは、握りしめた手に力がこもり、枕を力一杯床に投げつけた。

 

 机の上に乗っていた「神様」のメモは、床に散乱した教科書たちに埋もれていたが、その衝撃で舞い上がった。ぼくの目の高さまでふわりと浮いたそのメモは―――


「あれ……」


 メモには、さっき見た、


「ヒロインとのラブコメっぽい会話とかもありきたりだよね。ボーイ・ミーツ・ガールとか、過去作品で誰もがやってることでしょ? 魅力的なヒロイン、禁止」


の文章があったのだが、文字が消えていく。

 

 一文字ずつ紙から離れ、光の粒になって、砂のようにさらさらと崩れて文字が空中に溶けていくその光景は、「ヒロイン」の古文書の呪文の詠唱シーンを想起させた。


 ぼくの目の前で、長い長い禁止事項がすべて消滅し、メモは白紙になった。


 そして、文字が消えたそのメモに、一文字ずつ、ゆっくりと浮かび上がり、文章が追加されていく。


「でも、よく頑張ってくれた。懸命に模索する、その過程を見せてもらった。きみの行動は、評価に値する」


 更に、文字は続いていく。


「テンプレ展開を避ける道も自分なりに見つけたことだろう。もう、解放してやろう。今日一日は普通に過ごし、明日に進むがいい」


 え?

 

 神様からの「明日に進むがいい」宣言?


 ぼくはもう、解放されるのか?


「しかし、神様を尊敬する気持ちを忘れないように。いつでも見ているぞ」との文章を最後に記し、文字の動きが止まった。


 すべて、終わった。

 大きなため息をひとつつくと、ぼくはベッドに倒れ込む。

 

 遠足や体育祭を終えた一日の終わりのような、疲労感がどっとやってきた。

 今日は「神様から評価してもらった記念日」と勝手に決めて、学校を休んでしまおう。

 ぼくは目を閉じ、二度寝を決め込んだ。

 もう疲れた。本当に疲れたんだ。


 考えてみれば、朝起きて、朝食を食べて、学校に行くという、当たり前の生活サイクルをベースにしているから、これまで「テンプレ展開」にぶち当たって、苦しんでいたのかもしれない。


 一日中、部屋に引きこもってベッドでゴロゴロしている主人公ってのも、斬新じゃないかな?


 なんて、「斬新」という言葉に縛られ、「新展開」を心配する必要も、もうないんだけれど……。


「早くご飯食べなさい、遅刻するよー」

 と階下から母親が呼ぶ声がする。


 仮病で休む主人公が、ベッドから動かずにモノローグだけで終始する物語。

 いいんじゃないの。目新しいよね。主人公のぼくとしても、すごくラクだし。

 これくらい、いいでしょ、「神様」? 

 ぼく、さんざん苦労したんだから。


 ぼくがベッドから出ずにいると、階段を昇ってくる足音が聞こえた。

 一段、また一段、近づいてくる。


 きっと母親だ。うざい。起きない理由を訊かれたら、なんて言おうか。腹痛? 頭痛? どっちでもいいか。医者に行けとか言われないかな。

 

 ぼくは小説の主人公で、あなたは主人公の母親なんだよ、なんて正直に話したら、アタマの医者に診せられるかも。

 

 頭まで布団をかぶる。厚手の布を通して、部屋のドアを開ける音が聞こえた。


「うわ、部屋、きったない。もう、こーらー、なんで起きないのよ」


 この声は、母親ではない。女性ではあるが、もっと若い。この声は……。


「べ、別に、あんたが心配なワケじゃないんだからね。おばさんに頼まれたから、起こしに来てあげただけ。遅刻なんてされたら、あたしの監督責任になっちゃうじゃない? いっつも寝坊して。まったくもう……」


 あ、なんかイヤな予感がする……おい、その先のセリフは言うんじゃない!


「せっかく、あたしという幼馴染が起こしに来てあげたんだから、早く起きなさいよね!」


 朝、幼馴染が起こしにくるなんて「ド定番」なパターンやりやがって!

 ああ、待って下さい、「神様」!

 機嫌を損ねないで! これは違うんです! 戻さないで! 戻さないでー!


 ぼくは幼馴染の口を押さえるために飛び起きたつもりだったが、そこには幼馴染はいなかった。


 錯乱したぼくが散らかしたはずの部屋も、元通りに片付いている。

 カーテンを開けていない部屋はまだ薄暗く、早起きとも言える時刻で、ぼくはジャージ姿で……。


 思わず机の上を見てしまうのだった。


                                   (了)

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神様は小説の主人公であるぼくに何を望んでいる? 雲条翔 @Unjosyow

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