第4話 禁じられた神殺しの呪文
自分の部屋のベッドで目覚めた。
カーテンの隙間からは、薄暗い室内に朝日が差し込んでいる。
見慣れた天井。
どこか安心できる、嗅ぎ慣れた、自分のベッドと、枕の臭い。
寝巻代わりのジャージ姿。
ぼくはこれから、戦闘服にも等しい制服に着替える。
時計は見なくても分かってる、きっとまだ早い時刻なんだ。
五分間が経過し、魔法で作られた、時間を停止させる結界の制限が訪れ、隙を見逃さない神様によってリセットされた。
自分の部屋の「いつもの」ベッドから目覚めたというのに、「また同じ一日が始まったか、もうウンザリだよ」という気の重さは皆無だった。
大きな変化を起こせるかもしれない。
今、ワクワクを抑えられない、ぼくがいる。
机の上のメモ、一応見てやるか。やっぱり、
「異世界からやってきたけど素性を隠している魔法少女ヒロインとかありがち」
「ヒロインがピンク髪ってベタすぎじゃね?」
ぼくの予想通りの文章がふたつ追加されていた。
これは、ぼくが神様の思考パターンを、逆に予測できるようになってきた証拠なのかなぁ? 楽しくなってきた。
「ある用事」を済ませてから、余裕をかまして登校。
ルーティンワークではあるが、身に降りかかる「主人公が遭遇しがちなテンプレトラブル」を軽快にかわしていく。
何度も経験済みだから軽快にかわしていける。もうすぐこれらともお別れだと思うと、不思議なもので、あれほどイヤだったのになんだか名残惜しい気すらしてくる。
登校途中、「突撃少女」こと「転校生」こと「魔法少女」と遭遇するポイントで、ぼくは物影に身をひそめる。
ぼくとぶつからず、すんなりと進んでいく彼女の後をそっとつけて、少しずつ距離を詰めていく。
妙な気配を感じたのだろう、振り返る彼女。
ぼくが予想以上に近すぎたせいか、
「うわっ近っ。なんですか、ってゆーか誰ですか」
と彼女はのけぞった。
悲しいかな、あの昼休みに交わした会話もリセットされているんだな、と再確認。
わかってたけど。
わかっていたがゆえに、ぼくには準備してきた手段がある。
「これ読んで」
ぼくは登校前に準備しておいた手紙を差し出す。
「え、これって……。あの、わたしたち、初対面、ですよね?」
手紙の中身を、色恋沙汰と勘違いしているのか、ちょっと頬を染めた彼女は、周囲の視線を気にしながら、手紙とぼくの顔を見比べる。
「読めば分かる。学校に着くまでに読むこと。学校に着いたら、きみはぼくのクラスに転校してくるだろうけれど、あくまで他人だ。今朝、手紙をくれた人だよね、とか話しかけないでほしい」
「はあ……?」
「ぼくは、きみの正体を知っている者だ」
「えっ?」
ぼくは決め台詞を残すと、彼女の答えを待たずに、置き去りにして走り出した。
振り返ったら、きっと、今のセリフの意味を考えて、複雑な表情の彼女がぽつんと取り残されていることだろう。初対面の人間から突然こんなこと言われても、面食らうのは分かるけど。
「待ていコラ!」
速えな、彼女、走って追いついてきた。
こんなにアクティブな子だったのか。ぼくは全速力で逃げ出した。
手加減なく走っているはずなのに、彼女は手紙を持ったまま、ぼくの横に並んできた。
「正体って何よ……言ってみなさいよ……はあ、はあ」
「だから、今はワケあって言えないんだって! とにかくその手紙を読んで! はあ、はあ!」
「ぜえ、はあ、なにかのワナじゃないでしょうね」
「ワナ……じゃないって、はあ、はあ、はあ、どこまで並走してくる気だよ! 話ならあとでする! その手紙に時間と場所を指定してある! そこで詳しく話そう!」
「絶対よ! あと、あたしは負けるのがキライなの! うおおおお!」
彼女は雄叫びを上げ、長い髪を振り乱し、ぼくを追い抜いて行った。みるみるうちに姿が小さくなっていく。
追いかけていた人間を追い抜くなよ。
その日の昼休み。
ぼくは、前回と同じように、開いていた廊下の窓を閉めた。窓ガラスの向こうで、かつんとハチがぶつかってくるが、室内に入ってくることはできない。
「なるほど。前のあたしは、まるでハチが飛びこんでくるのを、知っていたみたいね、とか言ったのね」
近くにはいつの間にか彼女が立っていた。
手の中に魔法のステッキを出現させ、例の呪文を唱えると、変身した。
フリフリの《魔法少女》衣装ではない。
ボディラインがぴっちりと出るようなマリンスーツのようなフォルムに、各部にごてごてと装置がついた、SFっぽいデザイン。
さらさらとなびく長い髪の色も、ピンク色ではなかった。CDの読み取り面を思わせる、光を反射して虹色に光るシルバー、という奇抜なものだ。
「どんな格好にも変身できるけれど、なんでこういうのを……」
着てる本人は恥ずかしいものらしい。お尻や胸元のラインが出るのが気になるのか、自分で指先でなぞって確認している。
「今はもう、時間を停止させる固有結界、発動しているんだよね?」
「ええ。あと四分四十秒。三十九、三十八……」
「カウントダウンしなくていいから。時間が勿体ない。アレは持ってきてくれた?」
「ええ、古文書。言われたとおり、《神殺し》の究極魔法が書いてある……」
彼女に送った手紙の中身は、ざっとこんな感じ。
きみが異世界から来た、魔法少女だと知っているぞ、なぜならぼくは「今日」を何度もやり直している特別な能力があり、前回きみの正体を見たからだ。ピンクのロール髪、リボンやフリルで飾られた衣装、星や翼やハートがちりばめられた魔法のステッキ。このステッキに関してはわざわざはイラスト入りで説明して……という感じのアピール。
その後も、この世界は「小説の世界」であり、ぼくもきみも「登場人物」であること、「神様」から監視されていて、特定の状況下でループする、などの《設定》説明。
続いて、「神様」を倒さないとこのループからは抜け出せない、きみが使える時間停止の固有結界が必要だ、そこで今日の昼休み、西棟の廊下で話をしよう、というお誘い。
ハチが窓から飛び込んでくる、あの廊下だ。
ただし、「ピンク髪」、「魔法少女」という設定は、「神様」が既に禁止しているので、伏せることにして、別ジャンルのSFっぽい姿に変身してほしい。たとえば髪の色は虹色に輝く銀色で、スーツはこんな風に……と、ここでもイラスト入りで己の願望を余すところなく説明。
《神殺し》の魔法があるかと聞いたら、きみは「古文書を調べればわかるかも」と言ったので、その古文書も持ってきてほしい、と付け加えた。
どうやら彼女は、ぼくの手紙に書かれていたことを信じてくれたようだった。実際に見た者でないと知り得ない情報をちりばめたのが、功を奏したらしい。
「で? どうして《神殺し》の魔法が必要なのか、まだ聞いてなかったけど」
「どうして? どうしてって、ぼくは何十回もこの世界を、今日という一日を、ループし続けているんだよ? 終わらせるために決まってる」
「終わらせてどうするの?」
「どうするって……明日へ進むんだよ! フツーに生きてれば、同じような一日を積み重ねる場合はあるかもしれないけれど、自分以外に誰も、一緒の時間を蓄積してくれないってのは、結構精神的にキツイんだよ」
するりと、そんな言葉が自分の口から出た。これまではっきりと言葉にはしなかったけれど、これがぼくの本当の、心の奥の本音なのかもしれない。
「あなたの事情は分かった。それで、あたしが、あなたに協力するメリットは?」
「メリットなしじゃ、協力してくれないのか?」
「誰だってそういうもんでしょ。ループしているのを認識しているのはあなただけで、言ってみれば、あなたがこの先何百回、何千回と繰り返しても、こちらは気付かないし。ってゆーか、気付けないんだし。逆に、このままにしといても、あたしに何か問題あるの?ってことよ。だから、あたしが手を貸して、こっちに何かプラス要素があるのか、って確認しときたいの。……あと三分三十秒。ちなみに、《神殺し》の呪文詠唱には約一分かかるから、実質的にはあと二分半未満ね。どうする? あなたの側に加担することで、あたしの利益とか、得とか、あるわけ?」
主人公の危機には、メインヒロインは無条件で協力してくれるものだとばかり思っていたけれど、こいつ、がめついな……。
「なんてったって世界崩壊の呪文だもんね……あんたにとっては、小説の世界だっけ? そうかもしれないけど、ここにいるあたしにとっては、リアルそのものなんだから。この世の終わりを自ら招く、ってことになるのかもしれない。言っとくけど、あたし、自殺願望とか無いから。あんただけが一方的に得して幸せな、その状況になんの意味があるのか、なんの価値があるのか、そういうコトを言いたいワケよ、あたしは。さて、残り二分を切りましたけど」
「うわー! なんでもします! 成功の暁にはなんでも言うこと聞きますから!」
「ん? 今、なんでも、って言ったよね」
「言いました言いました! ホントーになんでも聞きます! あと何秒?」
「一分四十五秒」
「ひぃー! あ、あの、土下座すればいいですか?」
「ヒクツすぎる……あんた、それで自称・主人公なの?」
「どうすりゃ言うこと聞くんじゃー!」
「逆ギレした! 襟首掴まないで、まったく、人に物を頼む態度じゃないよね、それ」
「ごめんなさいごめんなさい! テンパリまくってて! あの、あと何秒ですか?」
「一分三十秒切りました」
「じゃあ、質問するけど……きみの、望みって何?」
「……望み?」
「ぼくみたいに、よくわからないヤツの手紙に呼び出されて、話を信じて、こうして《神殺し》の呪文が書かれた古文書も持ってきてくれた。それって、頼みを聞いてやる方向に考えが動いている、とぼくは思うんだけど。何かを変えたくて、来てくれたんじゃないのか?」
「まあ……そうね。変えたい、ってのは、あるかもね」
さっきまでのツンツンした態度が、弛みだした。
ここだ、ここがチャンスだ。ギリギリまで攻めてやる。
ヒロインがしんみりと自分の過去を語る、長ゼリフのシーンに突入しようとも、そこに突破口があるはずだ!
しかし、間に合わなければすべてがやり直しになる。あと残り何秒だろうか、それだけが気にかかる。
焦りと緊張で、口の中が乾いてきた。
「あたしは、向こう側の世界……魔法というのが当たり前にある世界から、こっちの世界に来た。それは、人間の世界で修行とか、悪い魔王がこっちの世界を狙ってるから救いに来た、とかそんな重い使命があったんじゃなくて、んー……ただの、逃避? 世界の境界線を超えちゃうレベルの、家出みたいなもので」
「家出?」
「そう、家出。変化のない日常。同じようなことの繰り返し。それが今だけじゃなくて、この先もずっと続くかもしれない。それに退屈して、絶望して、全部イヤになったのね、きっと」
「……それはぼくも、似てるかも」
「うん。あんたの気持ち、少し分かる。だから、こっちの世界に来てみたの。最初は楽しかった。なにもかも知らないことだらけ。魔法文明で考えられない、科学の生活。新しいこと、未知のものばかり。それが本当に、本当に楽しかったの。でも、最初だけ」
彼女はそこで、天を仰いで、ため息をついた。
「退屈していた場所とは、違う位置に立っている。目に見える視界は、世界は、別モノ。確かにそうなんだけど。でもね、元の世界から、変わった世界でも、そこに住むあたしが慣れてしまえば、飽きてしまえば、結局、元の世界と同じように、濁ったような、くすんだような、そんな薄い膜に覆われて、生きることになるのかなって、最近、諦め始めたところなの。もっと、さらに新しいことを探そうとはしてみたんだけど」
「それで、転校生として、こっちの世界の高校にでも通ってみるか、って考えたのか」
「うん、そうしたら、なにかまた、違ってくるかも、って。あんたに手紙を渡された時は、正直、ときめいたのよ。ほらキタキタ、始まりだ、って」
じゃあ、協力してくれよ……と言いたいのを、ぐっと堪える。
焦る気持ちを態度に出さないように注意しながら、彼女の腕時計をチラッと盗み見る。
残り三十秒!
(続く)
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