第23話 アルバイトの誘い
かつてテレビの件が回ってきた時に、連絡先を交換していた鳥羽僧侶から夏休みにこちらに来て少し手伝いをしてくれないか、と言う連絡をもらった。もちろん精進料理であるが食事は出るし、手伝い分の金銭も支払ってくれるのだという。
まだ梅雨も明けたばかりだと言うのに茹だるような熱気の中、僕はその連絡に何と返事するべきか、少し迷っていた。
「どうしたのだ霊一?今日はどうも箸が進んでおらぬようだが?」
「僕の名前は俊一郎だよ、霊一じゃないからね」
目の前のヒゲモジャなごま塩頭のおっさん──実の父親である自称霊能者、中津 俊夫を見つめ返してそう返す。
そう、この父親こそが僕のアルバイトにおける最大の難関なのだ。
おそらく許可自体は出してくれるだろうけど、本人が機械類が致命的に苦手であり、そして放置しておくと料理自体も身清めの断食とか言ってしない可能性がある。そして何より、電化製品を使うと、止まるか暴走するかのどちらかなので使えない可能性がある。
「……」
むしゃむしゃときんぴらごぼうを口に運び、それからそのしょっぱさを白米で中和するように飲み込む。ヘルパーを頼めばきっと金銭が必要になるだろうから、そんなことはできない。結に頼むかとも考えたけれど、学生の身空で忙しく仕事をしている結に頼むことは憚られた。
断るべきか、とはたと考えたところで母親の顔が浮かぶ。
「……」
目の前の男は、母親のような女性を天敵と呼んで憚らない。というか、普通に電化製品に囲まれて科学を崇拝しているタイプが母親であるので、自然派を拗らせたような父親は割と嫌がっていたようだ。
どうして結婚して子供二人も作ったんだろうね、この人たち。
「……」
「先ほどからこの熊谷 禊の顔をチラチラと見てどうしたのだ。尊敬の念を湛えているのならば存分に見るが良い」
「いや、何でもないよ」
あとあんまり尊敬はしていない。
しばらくぶりだ、母さんに会うのは。
それから程なく、七月の連休の初日、夜の9時半。そこでようやく会うことができると言うふうに決まって遅い時間にとあるレストランで待ち合わせをしていた。運ばれてくる料理を輝かせる鳥の巣みたいなランプがテーブルの真上にぶら下がっている。
おしゃれな服を兼ね備えたドレスコードを守れる服なんて持ち合わせていないから、普通に学生服で来たんだけれど……。
そろそろ帰ろうか、と言う雰囲気になっている人が多い中、そこでカツ、と控えめに隣にヒールの音がする。僕が顔を上げると、そこには自分の記憶よりもやや年を取った人物が笑顔で立っていた。
結や僕と同じく色素の薄い髪、それからやわらかい印象の垂れ目。顔立ちからおっとりしていそうな美人がそこにいた。少し目元や口元に皺は目立つけれども、十分綺麗だ。
「シュンちゃん、久しぶりね!」
外見に反してなかなかハキハキとした口調かつさっぱりした性格なのだけれど、見た目の柔らかさから面食らう人も多いらしい。
「母さんも、久しぶり。仕事は相変わらず忙しそうだね」
「んもう、そんなことはいいのよ。久しぶりに息子からお願い事されたら、断れないのが母親ってものなんだから」
ニコニコと笑って目の前に座った母親には大変申し訳ないのだけれど、と前置きをしてそれからスマートフォンに来たメッセージを見せる。
「あら。……そう言うことねえ、わかったわ。ヘルパーを依頼しておくから、あなたは気兼ねせずに行ってきてちょうだい」
「え、いいの?こんなこと言うのも何だけど、アレだよ?」
「かつて結婚していた立場としてはやや気まずい気持ちもあるけれどね」
案外上手くやっていたのよ、と母親は呟いて、それから少し苦い顔をした後で表情を変える。
「さ、今日は好きなもの好きなだけ頼んでいいからね!」
「わぁい」
はむはむと食べていると、じいっと観察される。何となく居心地の悪い気持ちになってくるけれど、きっといっぱい食べているのが何となく楽しいからだろう。結も体重制限なんかできっとダイエットしているから、と言っていたから。
食べ終わった後の金額は見ないことにした。
絶対その方が平和だ。
会計が終了した後、僕と母親は歓楽街を歩いていた。すでに夜もだいぶ更けてきたので僕を送って帰宅する、と言っているのだが僕よりも母親の方が襲われる可能性があるのだから、と固辞して妥協として駅まで送ってもらうことになったのだが。
「……中津?なんで、こんなところに……」
覚えているだろうか。
僕のクラスの担任で、馬瀬先生という、ちゃらんぽらんに見せて割と真面目な教師であり──同性愛者である先生を。
一話で出てくるキャラの濃さじゃない。
そしてそんな先生は意中の早坂先生と仲良くお手手を繋いで歩いている。
「おめでとうございます」
「高校生がこんな時間にここを歩いてる方が説教もんなんだが何も言えねぇ……」
「デートならもう少し雰囲気のいいところをお勧めしますけど」
「ばッ!?」
僕が生徒だと気づいた早坂先生はカクンカクンと壊れたロボットみたいな動きで馬瀬先生との手を振り解こうとしているが、馬瀬先生は動揺してその手をぎゅっと握りしめているので全く振り解けない。
「シュンちゃん、担任の先生かしら?ご挨拶してもいい?」
「あ、うん。紹介するね、こっちの背が大きくてがさつそうな方が僕の担任、馬瀬……先生。それからこっちは現代文の早坂先生」
「あらぁ、どうも。いつもシュンちゃんがお世話になっております」
母親なら大体特有のちょっとハイトーンボイスでそう母親が言うと、馬瀬先生は少し怪訝そうな顔をした。
「あの、すみませんが中津とはどういうご関係で……?」
「あら、やだ。私ったら自己紹介が遅れまして、申し訳ありません。私、狭霧
「あ、そうだったんですね。てっきり……」
若い男をツバメにする、という感じだと思っていたようで動揺していた心が落ち着いたのかふう、と息を吐く。それからカクカクした早坂先生の動きに気づいてバッと手を離した。
遅すぎる。
「先生方は見回りの最中なのかしら?もうすでに勤務時間外の時間でしょう、私弁護士なので職業柄どうしても気になってしまって──」
多分デートだよねえ、という言葉を飲み込んで、僕はようやく落ち着いた早坂先生をじっと見る。彼は胸を押さえ、それから数度息を吸ったり吐いたりして、ようやく震える唇で告白した。
「実は……デートなのです。内緒ですよ」
「あらまあ!それは悪いところにお邪魔してしまったかしら。ごめんなさいね」
母は何も思わないような感じで、さらりと別れを告げて僕を連れて、駅まで歩いていく。それでも少しだけ早足で歩いているのは、やっぱりちょっと動揺しているからなのだろう。
「母さん、びっくりさせちゃった?」
「えっ?」
逆に何を、とでも言わんばかりの態度だが、さっきのことかと思い至ったようでああ、と手を打った。
「違うのよ。何だか、嬉しくなっちゃって」
「うん?」
さては母親も腐女子か、と思ったのだが話を聞くとどうやら今抱えている案件の中にも、結婚を認めてほしい同性カップルとかがいるようで自治体に働きかけているのだとか。
「大変だね」
『普通』の枠から弾き出されたら、大変な思いをする。それは僕も常々身に染みているからこそ、だ。
「大変よ。でも、やっぱり依頼人の喜んだ顔が一番励みになるわね」
「弁護士って刑事訴訟ばっかり担当しているのかと思ってた」
「意外と日常の相談事も持ち込まれるわよ。離婚調停、財産相続、後は夫婦間トラブル、御用聞きみたいなものね」
僕は公務員とか安定したものを目指しているけれど──それはあくまで、キラキラとした夢とかではなく、ただ父親のようにはなりたくない、それだけなんだろう。
「……僕も、やりたいこととかできるかな」
「みんな決めるの早くて、ちょっと焦るわよね。でも、六十を過ぎても夢が見つからない人だっている。だから、焦らず、じっくり自分のことを大事にするといいわ。お母さんも、結も、いっぱいあなたのことを応援しているわ。……お父さんはどうか知らないけど」
じゃあね、と軽やかに別れて、僕は食べた料理のことを反芻する。半分くらい聞いたことのない料理名だったけど、鴨のローストの皮がパリパリとしていて香ばしいのに、したたり落ちる脂が甘く感じられるほどジューシーで美味しかった。牛肉を選ばなかったのはカカオソースというのが気になったからだけど、思ったよりもビターで、なおかつ不思議な酸味があって美味しかった。
僕は鳥羽僧侶に良ければお世話になります、と返事をして携帯をポケットにしまった。
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