第22話 事件の果て

『人は特に愚かなものです。特にお前』

「どうしたんだい?急に水面を見つめて」

東雲先輩のほっぺたを水かきのついた手のひらでピタピタとしつつ、河童が一匹ガンつけてきている。あまりにも面白い絵面だが、笑いかけた僕にも睨みをきかせてきたため目を逸らすためにじっと水面を見ていると、彼はハァ!と大げさに息を吐き出した。

「川近くだから、何だか生臭いな」

「き、気のせいじゃ……ないですかね」

『お前もだ。筆川から聞いていなければ、この嫌な匂いの男ごと引き摺り込んでやるところだ』

その言葉に、僕は一瞬凍りついた。


「東雲先輩」

「うん?何かな?」

「……いや、何でもありません」

この母親譲りのポーカーフェイスに感謝である。冷や汗がたらりと背中をつたって行ったのがわかるくらい、動揺していた。


思い出す。

思い出す。

そして、一つの引っ掛かりが生まれ、そしてときほぐされるようにして思考が澄んでいく。


僕はポケットからスマホを取り出して、そして文字をしゃがみ込んで打つ。

『今のは本当?』

『嘘なわけがないだろう。こいつからも、あの薬の嫌な香りがぷんぷんとする』


……しくじったかな。

これで報酬はぱあだ、と舌打ちすると東雲先輩は驚いたような顔になる。

「舌打ちなんてするんだな、君は」

「舌打ちくらいしますよ。……先輩、薬物を使っていると言った時、あんまり驚いてませんでしたよね?何か知っていたんですか?」

「……実際、彼は怪しい噂があって」

噂を信じるような人じゃない。そんな確信があったものの、彼を問い詰めたところで何が起こる訳ではないだろう。けれど──これは、引き受けた以上は落とし所を見つけなければいけない。それが、あまりに悍ましい結末であっても。


「東雲先輩はとても冷静沈着ですけど──彼女さんに対しては結構ちゃんとした恋愛感情を持っているようでしたね。恋愛かどうかはさておいて、とても彼女のことを心配されていました」

「何が言いたいのかまるでわかりませんけれど……」

「どうしてあの時、彼女さんが『カッパの人物に襲われた』だなんて話したのか。考えてみれば、そう難しいことじゃない」


これは僕が見える人準拠でうっかり考えてしまったことが原因なのだ。


東雲先輩の彼女には、河童は見えない。

見えないものをいるとは認識できないし、そうそう七海先輩の友人だけが見える人だったなんてこともあるわけがない。

妙な薬で汚したものが女か男かだなんて、筆川はまるで言っていなかったのだ。

そして、薬なんてものは大体が密封されており、粉の状態で捨てない限りはそれが明るみに出ることがない。


「東雲先輩が嘘をついたか、もしくは七海先輩の友人が嘘をついたか。河内先輩もさぞびっくりしていたことでしょう。意識が回復しない、それだけがあなたの気がかりだった」

「何が、言いたいのかな」

「事件は、二つあったんですね。河内先輩が起こした狂言と──七海先輩が本当にの人物に襲われた事件」


その言葉を聞いた瞬間、東雲先輩は観念したように唇を噛み、目を伏せた。


「……君は、知っていたのか?」

「いえ、知りませんよ。推測です」

「そんなわけがないだろう」

「上に聞こえますよ」

「……」

悔しそうな顔をして黙り込んだ彼に、僕は軽く肩をすくめてみせる。


「処す。そもそも私刑を思わせるような言葉です。僕としては処す、なんてことを告げた相手なら闇討ち上等、暗闇に乗じてあり得ないほどボコボコにするでしょう」


カリカリと石でちょっとコンクリートの割れ目に生えていた藻を落としてみる。

「僕の推測はある意味正しく、ある意味間違っていた。七海先輩がカッパの人物に襲われたのがおそらくは先、そしてドラッグを東雲先輩が内田先輩に盛り続け、ある程度を渡した後で全てを川に廃棄。最後に狂言による事件を起こした」

最初から、東雲先輩による自作自演だったのだ。


「事件の際に全く疑わしくない行動をしていたであろう河内先輩を利用、いや信用して──あなたは内田先輩をどうにか豚箱にぶち込もうと画策した。前回の七海先輩に対する暴行事件では証拠となるようなものがなかったからだ」


しかし、その過程でフラッシュバックを起こしてしまった七海先輩は昏倒、今も意識が残らない。


「ドラッグの入手先なんて、簡単に吐くよ?内田先輩」

「……じゃあ、それ以外に俺は……どうしたら良かった?それ以外にできることなんて、俺にはなかった」

頭を抱えてぶつぶつとこぼす彼に、聞いていた河童と僕はすごく嫌な顔をした。


そこで天から煌めく物体が落ちてくる──スマートフォンだ。内田先輩が投げ捨てたのだろう、僕がはっとした時には東雲先輩があり得ない反射神経で掴み取り、今にも落下しそうになっていた。僕の貧弱アームを伸ばしたけれども踏ん張る下半身も貧弱なので普通にシャツを掴んだだけで落下していった。


ドボン、という水音が響いたとともに、背中を掴むようにして東雲先輩が僕を引っ張り上げようとする。スマートフォンが、と思った瞬間には二人で水面から顔を出して、腰から下ほどの高さで立っていた。


「……理想論だったな」

「スマートフォンがないだけで、彼の家のPCが差し押さえられたわけじゃないですから、油断できないですけどね」

びちゃびちゃと水の滴る中、岸に向かって歩いていくとふっと足元が抜けるような感覚に僕は全身浸るほどに沈み込み、慌てた声が水面越しに聞こえた。しかし、そこで緑色の肌をした何かが僕の頬をまっすぐ、前から掴んでじい、と見つめる。水はあり得ないほどに澄んでいて、そして静かに耳に小さく届いた。


──貸しだぞ


途端、息すらできそうなほどの澄んだ水に濁りが流れ込んでくる。水面がぐんぐんと近づき、僕が顔を突き出すと東雲先輩が驚いたように悲鳴を上げる。

「今前で沈んだのに何で!?」

「ケホッ……細かいことは、後に、しましょ」


陸にほうほうの体で上がると、僕がポケットから取り出したものに東雲先輩が絶句した。

「それ……!!」

「……報酬のチョコレート。期待していますよ」

「……ああ」


びちょびちょになったからクリーニングもお願いしたら良かった、と言うのが後悔ポイントである。






さて、後日の顛末は存外あっけないものだった。


内田先輩にあれこれと画策したのは案外バレることはなかった。と言うのもそもそも家庭内では病気を疑うほど嘘を重ねに重ねまくっていたこと、内田先輩に薬を盛る前に医療用麻薬を持つ叔母からくすねた前科があったようである。

そして叩けば出るわ出るわ、埃の数々。

恐喝、詐欺、万引き、そして婦女暴行。

内田先輩が学校外で非合法ドラッグに手を出したと言う噂が一瞬流れたものの、それ以上に犯罪者だったということが衝撃的だったようである。

噂に縁のないぼっちな僕のところに聞こえてくるほどだから、よっぽど色々していたのだろう。知らんけど。


そして七海先輩はといえば、数日ほどで回復して少し暗い表情であるものの、東雲先輩に色々と気遣ってもらっているようだ、と宮守から聞いた。


「チョコレート……何も盛られてないよね?」

「あの後シュンの話聞いて、ちょっと……いや、だいぶ怖いかも」

「受け取る時くらいは大人しく受け取ってくれないかな」

報酬のチョコレートは僕ですら知っているあのベルギー王室御用達と名高いあそこのやつが、なんか2段になっている。


……2段って何だよ。おかしいだろ。


「宮守も頑張ってくれたから一段ね」

「俺は俺で別に報酬もらうってのはダメっすかね!?だいぶ中津に色々助け舟出しましたけど!?」

「……しょうがない。じゃあ、何か欲しいものは?」

「この毛糸と、それから編み針がいいんですけど」


冬はだいぶ先だが、手編みに挑戦するようでちょっと張り切っている。いいお値段の毛糸に少し引き攣った笑みを浮かべながら、東雲先輩は了承してくれた。

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