第19話 カッパの色は

「……勝手に、おかゆ……変な薬膳にするの、やめてよ」

僕は梅干しがいいんだけど、と思いながら布団の中から起き上がる。ぼんやりとした頭で父親にそう言うと、父はエプロンを白装束の上から着て、おかゆの入った鍋を持ってきた。

「霊一、大丈夫か!」

「僕の名前、俊一郎、だから。変な名前で、呼ばないで」

「むぬぅ」


変に薬臭い粥を口に運ぶと、少し吐き気がする。小さな茶碗の半分程度でうっ、と口元を抑えてスポドリを薄めたもので口の中をゆすぐように流し込み、それから横になった。結が今日はお見舞いに来ると言うので、家のことはほとんどやっていない。

父親は、食事を作ることはできるものの機械類はちょっと持たせられないのでIHにしたら破壊されていただろう。


「し、仕方がない……出かけるからな」

「ああ、うん。早く行ってらっしゃい」

今日は先日の幽霊の話で色々と特番が組まれるようで、僕はこめかみを抑えて頭痛と苦しい息に耐えながら父親を見送った。がちゃん、と鍵のかかる音がしたので布団を口元まで引っ張り上げる。


つう、と額にひんやりした手が触れた。

『風邪をひいているの?』

「ん、問題ないよ。ありがとう」

『死んだ方が楽になれるよ……死んだ方が楽になれるよ……』

ふらふらと踊りながら歌う幽霊に、「まあそうかもしれないけど、今は生きてるからね」と告げてちょっと微笑む。


その後十分程度もせずに、幽霊や妖怪がわらわらと集まってくる。僕の横につまみを広げながら、河童でも呼ぶべか、とわいのわいの騒ぎ始めていた。昔も風邪をひいたことがあったけれど、その時もこんなふうだったなあ、と思い出して少しだけ面白い。

「ふふ」

『やはり医者の往診を呼ぶべきだと妾は……熱があっっっっっつ!』

雪女が僕の額に手をやってじゅっ、と溶けた指先をふうふうと冷やす茶番をやってどっ、と場が沸き立つ。


風邪の時って、これだから結構楽しいんだけどね。


僕は騒がしさの中、比較的いい気分で眠りについた。


ふと『人』の濃い気配を感じて、目を覚ますと僕と同じ顔が目の前に浮かんだ。いや、これは幾分可愛い。

結だ。


「結」

「やあ、兄さん。起きたかい?風邪を引いている兄さんは色っぽいな……ところで、この、何だい?お友達が?」

「……あ、さっきお見舞いに来てたやつだね。冷蔵庫に入れておいてくれる?」

「いや、流石に鮎は……」


ちょっとしたお祭り騒ぎだったのだろう、床一面に薬酒、干菓子、後は人参(お高い高麗人参とかの方である)、米に葉っぱに乗った新鮮な鮎。

鮎は多分川獺カワウソが持ってきたのだろう。まだきゅうりのような香りが漂い、新鮮さを示している。


「鮎ね……鮎は、新鮮なうちがいいから今日焼いて食べちゃうよ」

「そんなにぐったりしてるのにかい?」

「いや、これがあるからね」

河童じるしのドス黒い液体の入った小瓶。これは河童の妙薬であり、こだわりでもあるのか瓶を開けるときゅうりの香りがスッと漂う。

僕はそれを小さじ一杯だけスプーンで取ると、覚悟を決めて口の奥に突っ込んで傾ける。たちまちに青臭さが倍増し、口の奥でとんでもない苦味とえぐみが広がった。なんとか吐き出しそうになるのを抑えてスポーツドリンクをぐぶぐぶと飲み干し、ハァッ、と息を吐く。


「ま……まずい……」

良薬口に苦しとは言うけれど、これは格別まずい。僕のことを見守っていた結だが、心配そうにこう訊ねてきた。

「そ、それ、そんなに不味いの?」

「……まずいよ。でも、効き目は保証する。後数時間もすれば鼻の詰まりも熱も下がるから……後は寝るだけかな」

「そっか。でも、まだ体力は足りないだろうから、家事だけ手伝うよ。鮎の他には……」


そこで玄関のチャイムがピンポン、と鳴った。僕は客を結に任せ、布団の中に戻ることにした。しかし、入ってきたのは宮守である。


「なんで狭霧 結がいるんだ……」

「ああ、プリントね。ありがとう」

「スルーすんな!泣くぞ!」

「だって、妹には興味ないでしょ?」

「ないけど」

勝手に泣いてどうぞ。


プリントとそれから今日の授業のノート。それを取りまとめたやつが枕の横に置かれることに気が重くなりながらも、まだ廊下に立っている人間がいることに気がついて指摘する。

「まだもう一人、いるんじゃないの?」

「さすがシュン。まあ……入ってきてください、会長」


会長?

そう頭に疑問符を浮かべたのも束の間、僕ですら知っている人が登場した。生徒会長の東雲直樹しののめなおき、タイの色は一年が緑、二年が青、三年が臙脂と決まっているけれど、彼の首に巻かれているタイは臙脂色だ。苗字の語感が上品そうだな、という理由で投票した先輩もいるようだけれど、それなりに優秀な生徒だそうだ。


で、宮守はどうして僕に、彼の話を持ってきたんだ。


「生徒会長さんが、なぜ、ここに?見ての通りなんですが……」

「あ、いや、宮守君から聞いたんだが、君が一番適任だというものでね。少し話を聞きたいと思ったんだ」

「……僕はお悩み相談室をしてるわけじゃないんですけど」

「もちろん、答えが出なくても一向に構わないし、答える義理がないのもわかっている。しかし、学校で解決するのも、という方針になってしまってね……僕としても非常に申し訳ないと思っているんだけれども、先生方もただのイタズラ、と最初に判断したから」

「僕はタダ働きは嫌ですよ?」

「え、えっと……?」


解決できたら某高級チョコ30個入りを要求すると、割合あっさり受け入れてもらえたのでしぶしぶ聞く体勢に入る。

「事の起こりは、とある奇妙な張り紙が校内の目立たないところに貼られてからだ。保健の先生が偶然見つけたものだが……」


その藁半紙を受け取れば、そこに書いてある、というより貼り付けてある文字。


『河内 翔太

 内田 龍平

 七海 雪

 綾瀬川 遙

 堀 慎一郎


 貴様らを 処す』


古きよき新聞紙切り抜き、ちょっと面白い。しかし、処すというワードセンスが酷い。狙って言っているんじゃなければ本当に何かやる、という気持ちがあるとは思えない。シリアスは裸足で逃げ去っていくレベルだ。

こんな風だから、本当にイタズラだと思われたんだろう。


「しかし、どうやら五人全員その張り紙をしっかり認知していた。次の日、2年の河内翔太が雨ガッパを被り、ガスマスクをした人物に追いかけ回された、というんだ」

「は……?」

「ちなみに彼はその時自分でこけ、ガスマスクの人物の深追いはしなかった。その日、彼は膝を擦りむいたという怪我だけで終わったんだ。ちなみに監視カメラの映像を確認したかったんだけれど、あいにく協力してくれるところはなくてね……彼の前には二度と、ガスマスクの人物は現れなかったらしい」


僕はふむ、と頷いた。


「ちなみに彼が逃げているところを目撃した人は?」

「いる。しかし、彼が必死に逃げているように見えただけで、おかしな人物が追いかけている、とは思えなかったようだ。怪しい人もなく、ただ彼が逃げているだけだったという。幽霊か、はたまた幻覚なのかもわからず、ただ転んだだけ……そう処理されている」

「……なるほどー」


生徒会長はさらに話を続ける。


「次の内田龍平だが、実は……彼もまた捻挫をしたものの、ガスマスクの人物が唐突に背後に現れて、肩を叩いたことに驚いて倒れた時に手首を捻挫した。相変わらずガスマスクの人物は周りからは目撃されず、肩を叩かれた内田龍平のみが目撃した……まあ……ここまで聞いてどう思った?」

「普通に間抜けな話だなあ、って」

「君は歯にきぬ着せないな。そんなことだから、生徒間でのイタズラ行為について警鐘を鳴らすように……先生たちもそんな具合だったんだ」

でも、と生徒会長は続ける。


「実は……七海 雪は僕の彼女でね。組織の私物化と誹られるかもしれないが、僕は彼女のためにできることはしてあげたい、と思っているんだ。それに生徒間での出来事だと学校側が何もしないのであれば……生徒会長はなんのためにいるのかわからない、そうだろう?」


案外浮ついた理由だけれど、それなら生徒会長がわざわざ顔も知らない人間のところに押しかけてくる理由もわかるというものだ。


「……じゃあ、僕の見解から言いますね。まず、カッパのガスマスクの人物ですけど……実は最初の二人が嘘をついている、としたらどうします?」

「う、嘘?二人はだって、怪我までしたんだぜ?シュン」

「そう。でも、正直なとこ、転んだ、捻挫した……って言っても、普段する怪我の類でしょ。だから、ガスマスクの人物について一つ、同時に別の部屋で聞いて見ればいい。ガスマスクの人物が、何色のカッパを着ていたのか、ってね」


なるほど、と二人は頷いた。

「そこまですり合わせしているんなら、背丈や体格なんかもはっきり聞いておいた方がいいかもしれないね。余計なボロが出てくるだろうから。というか、七海さんは放置してきてよかったんですか?会長」

「あ、いや、……実は友人に任せてきているんだ。だから、気にしてはいるが……」


会長の携帯電話が鳴り響いた。


「どうぞ」

「すまない、少し出てくるよ」

そう口にすると彼は画面をみて少しだけ表情を緩める。どうやら例のねんごろな仲の彼女さん……名前なんだっけ。登場人物多すぎると覚えられないんだよな、僕。

「……それで、どうしたんだ?」

急に声のトーンが低くなって、僕やその場にいた全員が耳を傾ける。会長はぐうっと唸ったあと、静かに目を伏せた。


「……すまない、今日は帰らせてもらおう」

「会長、どうしたんっすか……?」

不安を帯びた宮守の声に、重苦しい空気が立ち込める。ただでさえ喉を休めるのに加湿器つけてるから余計重たい。

「七海が襲われた。しかもに、だそうだ」

その言い方にわずかに引っ掛かったが、ここで追求することはしなかった。顔色の悪い生徒会長を見送りながら、僕はそっと背後を見る。緑色にぬめついた手がひらりと振られている。

僕はだいぶ体調も良くなってきたから、と結には帰ってもらってそれからその人物と向き合った。人物って言い方はあんまりあってない気もするけど。


「もしかして、七海って人、カッパの関係者だったりするのかな?」

まだがじがじと思ったよりも鋭い牙が生えている口で僕のところに届けられた見舞いの品である干しだらをかじっている緑色の客人──筆川。


彼はぬめついた体をちょっとよじって笑った。


「いやいや、顔もわかりませんのでね、なんとも」

「それはそう。僕も七海さんとかの顔わからないや」

「ただ、最近妙な噂を聞きましてな」

カッパが住む河を妙な薬で汚した者がいるのだという。筆川もまたそれに憤っていたが、すみかを汚されたものは特に憤り、復讐の計画を立てていたという。筆川は止めはしたものの、彼らの怒りは収まらなかったという。何しろその河に流された薬で子が一人、病魔に犯されたのだという。


「今日は河童の薬の補充でもありましたがね、その薬の治療法でも伺えないかと。ええ」

「うぅーん……正直ちょっとわかんないよね、その情報だけだと」

「ええ、どうやら幻覚をみているようでね、なんだかおかしなことを呟くようになってしまったんですよ。そしてそのおかしな薬に犯された水を求め出す始末でしてね。手に入らないとなると狂ったように暴れだして、与えても違うと言い始めて……もう、何がなんだか」


まるで違法ドラッグに犯されたような症状だ。

「それってもしかして、阿片の類いじゃないかな」

「ああ、あの」

河童はものすごく嫌そうな顔をした。あれもまた、育てるときに独特な匂いがするのでその匂いのついた水が流れ込んでくることがあったそうだ。

「そうだとしたらば、少し長期的に治療を見なければ」

「うん。僕からの助言はこれくらいだ」


河童は軽く頭を下げてそれから落ち着いて去っていった。結には悪いことをしたけれど、僕のお世話よりよほど結にとっては有意義なことってあると思うんだよね。


事件の手がかりはつかめたけど……なんでチョコ30個程度で引き受けちゃったんだろう、僕。

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