第8話 頭隠して
彼女の人生は実に順風満帆、容姿端麗で実家もそれなりの財を成しており、また勉強もできて運動もそれなりにできた。生活する上ではほとんどのわがままが通るくらいだったけれども彼女自身も何をしたいという欲もなく過ごしてきた。大学生になってからも特に恋人を作ることはなかったが、いずれ見合い話でも持って来られるだろう。大体親の言うとおりにしていれば、人生に困ることは一切出ないのだから。
そして、社会に出てからその優秀さで一流企業に勤め始めた頃に、とあるマンションへと引っ越すことになって、隣人へ挨拶に行った時のことだった。
「こんにちは、本日から隣に住むことになった高橋 光希です。色々とご迷惑をおかけするかもしれませんが……」
「あ、どうも!俺、宮守 梓って言います。うち、妹と弟がいて、結構うるさくなっちゃうんで迷惑かけるかも知んないっすけど、うるさかったら壁ドンしてくれていいんで。あ、そうだ!もしよかったらプリン持ってってくださいよ!」
「え?あ、あの、」
「遠慮しないでいいっすよ!なんかプリン安売りだから買って帰ったら、親も安売りだって思って買ってきちゃったらしくてめっちゃいま家にプリンあるんすよ〜!」
彼はそう言って奥へと引っ込んだ後、彼女にプリンともう一つ、キーホルダーを手渡してきた。
「あ、あの、これは……?」
「ああ、家の鍵無くさないように俺からのプレゼントです」
妙な愛嬌のある、ちょっと不細工な犬のキーホルダーだ。光希はそれを見て若干苦笑する。
「めっちゃ可愛いですよね!よかったら、使ってください」
「あ、ありがとうございますね。大事にします」
じわり、と閉じた扉の中から手を振る彼の姿に、心の中で何かが芽生えた気がした。
「ど、どうしよ……プレゼントって、もしかして……あの子、私に一目惚れしたのかしら!?」
彼女の男性経験のなさが災いし、挨拶をした時にプレゼントをくれると言うことは自分に惚れたのだろうかという結論に陥ったのである。とんでもない理論だ。
今、彼の愛を確かめる術はない。淫行条例に引っかかってしまうから、と彼との帰宅時間、出発時間を合わせて行動するようになり、かなりの頻度で顔を合わせることに成功していた。またたまに持っている袋から行っている書店を割り出し、購入している雑誌を調べ上げたりもして好みのファッションに身を包んでみたりもした。
それから、隣人であることを利用して家に上がった際、盗聴器を彼の部屋に仕掛けてしまい、背徳かんはあったものの彼が自分のことを好いているのだし、彼が自分を好きなのだからいいか、という思いで仕掛けたのだった。
そこからは全てがエスカレートしていった。
宮守の私物を取り替えて新品にし、古いものは自分のものだとしたり、ゴミのチェックを行なって全てのものを丁寧に保管してコレクションしたり、彼の部屋の盗聴器から全ての行動をチェックしていたようだ。携帯電話に非通知で大量の着信を入れたりしたため、ここまでになると流石に宮守自身も気づくのか、だんだんと行動は不審になり、時折布団の中にくるまったり、夜中に唐突に出かけるなど奇行が目立つようになったらしい。
「……と、ここまでが宮守さんの見た光景だったわけですね」
こくりと幽霊は頷いた。しわくちゃのおばあちゃんである彼女だが、どうやら宮守 梓の祖母ではなく、孫を先に亡くしたただの他人らしい。彼女は宮守を孫の代わりに見守っていたのだが、宮守が危険だと判断してずっと話せる人物を探っていたのだという。
本当にありがとう、とひたすら礼を言っているのだけれど、僕は正直解決策がパッと思い浮かぶような人間ではない。
そもそも僕が生きている人間にできることなんて、ほとんどないのだから。
高橋さんには申し訳ないけれど、河童にでも頼んで尻子玉を抜いてもらい廃人になってもらうか……とも思ったけれど、それでは私刑と変わらないし反省しているわけでもない。殺人もごめん被るし。
とりあえずはお嬢様に大体の事情を報告してみるしかないだろう。
お嬢様は僕の話を聞いた後、小さく唸った。
『結論から言いますけれど、正直早く逮捕された方がいいのでは?』
「まあ、そうですよね。僕がなんとかできない範囲のことみたいですし。でも……」
『どうかしたのでしょうか?』
「いえ、なんとなく、何かが……」
そう、引っかかる。
何が引っかかっているのか、わからない。
ふと、おばあさんの話を全て紙に書き出してみる。すると、一箇所だけどうしても納得のいかない部分があることに気がつく。
なぜ、『お互いに通じ合っている』と思い込んだ光希は、宮守に対して『非通知で』電話をかけたのだろうか。それに、宮守の態度も気にかかる。
宮守は多少今回の件で落ち込んでもいいはずだ。なにしろ、隣人を自ら『警察のご厄介になるよう』導いている。仮に擦り付けが成功したのであれば尚のことだ。加えてお嬢様に惚れているのが嘘だとするならば、お嬢様に対しても多少は罪悪感を感じはするだろう。しかし、彼はあまりにも平然としていた。
開放感も、何もかもを感じさせなかった。
では一体なぜ、彼は……。
「すみませんが、もう少しだけ調べさせてください」
『緊急で危ない事態になる可能性もあるんですよ。もう少し、と言うのがどれほどかはわかりませんけれど』
「いえ、明日中にはなんとかなるようにします」
お嬢様にはそう言い含めて、電話を切る。
さて、また今日も眠れないかもな、と苦笑いしながら僕は宮守の家を少しだけ睨みつけた。
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