第4話 令嬢の悩み

「しかし、悪霊が──」

余計なことを言おうとした父親の脇腹に肘を突っ込んで黙らせると、伴原に向けていた視線をお嬢様へと戻す。

「父さんはちょっと黙ってて。すいませんが、一度詳しい話をお嬢様からも伺って良いでしょうか?いくらご依頼だからといって、住民の方に同意もなく祓う行為ができるわけじゃないですし……それに、年の近い方が話しやすいでしょうから」

伴原は「なるべく早くお願いしますよ」と若干吐き捨てるように言い、父はまだ痛みに悶えている。僕はお嬢様に「良いですか?」と聞くと、俯いた表情は窺い知れないものの、それでもこくりと小さく頷いてくれた。彼女に案内されるまま彼女の私室であろう場所に入ると、扉を閉める。


「それで、ポルターガイストの解決を望んでいないとはどういうことでしょうか?」

「私は……彼が、そこにいるのがわかるのであれば、彼が私に迷惑をかけているだけであれば構わないんです。……伴原さんから、私の身辺警護の方が亡くなったとお聞きにはなっていますか?」

「あ、はい、伺いました。ご愁傷様でした」

「いえ……実は、彼と……松本 義樹まつもと よしきと私は、恋人同士になったばかりだったんです」


それは、また……聞いていた話と全く異なる話にちょっとだけ目を細める。


「身辺警護の方と恋愛とは、お互い気兼ねもあったでしょう?」

「ええ、まあ、それは致し方のないことです。でも、お互いにそういうことには納得していましたし……けれど、彼が突然事故で亡くなってしまって、私……」

どうしたら良かったのだろう、本当に愛していたのに、と大きな瞳に涙を浮かべながら彼女は懺悔する。それでも僕の知る限り、人を生き返らせることなんて、できる道理はない。一人につき命はただ一つ、僕の認識できる限りの命の長さが違うだけの話だ。


「あの、ポルターガイストの内容を教えてもらえませんか?まだ、僕、自分の目でそういう超常現象を見たことはないので」

「あら、助手のようなものではないのでしょうか?」

「実は、普段あまりついていかないんです。今日は食事を奢ってもらえる、という話だったのでついてきたんですけれど……だって、父の風体ときたらまるで胡散臭さの塊でしょう?」

彼女はその言葉にクスッと上品に笑みをこぼした。なかなか雰囲気も戻ってきて、話しやすい状況になったため、彼女の口も滑らかになっていく。


「そうですね、例えばパソコンを使っていたらチカチカと明滅したり、電気なんかも……後はひどい耳鳴り、それに続いて目眩が起こったり、それから戸棚の食器が落ちてしまったり……どうかなさいましたか?」


伴原から離れてきた血まみれの青年は、僕の手を掴もうとしてどこかへ導こうとしている。小さく見えているよ、と呟くと、彼はコンセントを指さしてボソボソと聞き取れないような声で何かを訴えている。それに深く耳を傾け、そしてその状況を理解する。


大きく溜息が漏れた。


押し黙ってしまった僕に彼女が話しかけてきたのだけれど、僕はそれを唇に指を当てることで制止して、スマホを取り出すと調べるべきことを入力して、手を触れないように気をつけながらコンセントタップを抜き取った。

「あ、あの……?」

「コンセントタップ本体にアルファベット……あ、あった。あの、手動ダイヤル式のFMラジオとかはありませんよね?流石に」

「い、いえ……ちょっと流石にありませんけれど……どうかしたのでしょうか?」

「そうですね。少々気になりまして」

話をぼかしつつ、僕はそれをハンカチで包んでポケットに入れる。何か言いたげな彼女のことは一旦置いておくとして、もう一つ聞かなければ。


「耳鳴りというのは、どんな時間帯に起きますか?」

「そ、そうですね……大体は決まった時間に。あ、そろそろです」

一番聞く頻度が多いという私室にて、僕たちはそのまま待機することにした。しばらくすると、キィ──という耳障りな高音が聞こえてくる。僕はむむ、と眉を寄せた。

これ、この音過去に深夜の公園とか、銀行の手前とかでよく聞いたことのある音だ。


「うぅッ……この、この音です……他の人には全く聞こえないみたいで……」

「これ、僕にも聞こえますよ?」

「え!?そ、その、キィーン、っていうような音ですか?」

「ええ。この音、モスキート音っていう若者にしか聞こえない音なんですよ。実際に僕が聞こえているっていうのが、良い証拠でしょう?あまりに長時間聞かされると眩暈とかの健康被害が出ることもあるみたいです。実は僕がさっき取ったコンセントタップですけど、あれはおそらく盗聴器ですね。恐らくですけど、その盗聴データの送受信の時、画面や照明にちらつきが出たんでしょうね。電気工事士の資格があるわけじゃないので、内部に仕込まれたら分かりませんけど……一度専門職を呼んでの検証は必要ですね」

「そ、そんな……!?」


あまりの事実に衝撃を受けた彼女には申しわけないのだけど、食器棚の方も検証が必要だ。


「あの、何か丸いボールとか持っていますか?ビー玉みたいなものが一番良いんですけれど」

「ビー玉……あ、これはどうですか?」

差し出されたのは丸く磨かれたアメジストの原石のようなものである。これを転がすのはちょっと恐ろしいけれども、彼女はあまり気にしていないようである。

「では、これを持ってお茶の準備と……それから清めの塩、水の準備をしたいので、キッチンの方へ伺ってもよろしいでしょうか?」

そこで彼女も勘付いたらしい。そのアメジストの塊を握りしめて、決意を固めたような顔をしている。さすがお金持ちのお嬢様、婉曲表現でも気付いたようだ。


僕はまあ……お友達とかいないし……たまに話すタイミングでも「はよどっか行け」みたいなことを婉曲表現されることしかないから……。


彼女はそう言って二人の揃っているリビングを通り、そして僕と一緒に台所へと向かう。食器棚の扉に押し寄せていた皿などを押さえながら丁寧に下ろして、それから球形の宝石をことん、と内側に置いた。

コロコロコロコロ、という音と共に、それは勢いよく飛び出て待ち構えていたお嬢様の手の中に落ちる。ナイスキャッチ、という言葉を呟いた瞬間、伴原が現れた。そしてお嬢様の手の中にある宝石を見て顔色を変えて僕たちを睨みつけてくる。


「食器を下ろして何をしているのかと思えば……」

「この家の食器棚は全て積み重ねて置いてますよね、何度も落ちるんだったら滑り止めなんかを敷けば良いのにそれもしないで。一人暮らしにしては食器が多すぎるのも不思議なところです。加えて今、棚が傾斜しているのも把握しました」

乗っていた足場から降りると、僕は伴原の真正面に立つ。


「モスキート音、盗聴器、棚の傾斜……このビルの建設に関わったとあなた言ってましたよね。できますよね?当然──あなたであれば」

伴原は長く長くため息を吐き出して、それから閉じていた目を開ける。そして、にっこりと唇に笑みを浮かべた。

「何を言っているのか、私にはさっぱり分かりませんが……」

「そうですか、では朗報を一つ。実はお嬢様の私室にあったコンセントタップ、これ、指紋取れるんじゃないでしょうか?僕は用心深いので触らないようハンカチに包んで取ってきたんですよ。──どうしましたか?顔色が、悪いようですが?」


じわじわと土気色になっていく彼の顔だが、その手は強く握りしめられて関節が白く浮き上がっている。

「……んぶ……全部、松本が邪魔をッ、したせいだ──ッ!!」

ギラリ、という抜き身の刃のような視線が僕たちを睨みつけた。今までにないほどの邪悪さと毒を含んだその顔つきは、あまりにも強烈だった。お嬢様は僕の横でひっ、と悲鳴を漏らす。その声に父がひょこひょこと現れ、そして呑気に「おい、どうかしたのか?」と声をかけた。


その瞬間、伴原は隙をみつけたと言わんばかりに僕の手の中にある盗聴器めがけて突進してきた。あわよくばこれを奪えれば、という魂胆なのだろう。


けれどそれは叶わない。


僕の体は半身ずれながら、右手が伴原の顎を強かに撃ち抜いて、脳を揺らす。伴原は勢いよく白目を剥き、そしてヒクヒクと痙攣しながらキッチンの床へとくずおれる。慣れた手つきで近くの棚に入れられている結束バンドを手に取り、そして両手の親指を拘束する。

お嬢様は、それを見てただ静かに目を見開いていた。


「お、おいっ!?依頼者になんということをするのだ、このバカ息子が!」

「父さんって本当に鈍感だよね……それに、心霊現象でもなんでもないんだけど、こんなの。まあ、いつものことだから良いけどさ……」

「な、何をぉ!?」

「さっき全部科学的に証明できたから父さんの出番はもうないよ。っと……スマホみっけ」

指紋認証でバッと開けると、彼のスマホフォルダになかなか刺激的な中身があるのを発見してしまい、慌ててお嬢様に手渡した。

「美玲お嬢様、これ、すみませんが確認してください。捜査上消去はやめておいた方がいいと思いますけど」

「は、え、えっと……な、なんですかこれ!?」

彼女の扇状的な裸体の数々が収められた写真や音声のフォルダがスマホの容量を圧迫する勢いで詰められており、お嬢様の顔面は蒼白を通り越して怒りのあまり真っ赤に染まっている。いや、羞恥が原因かもしれないけど、とりあえず、僕らは警察への連絡をして事情を説明しなければいけない。


これ、もしかしなくても夕飯食べられないよね……?


結局夜十一時半まで事情の説明やら指紋採取やらで拘束され、また翌日の寝不足が約束されてしまったのであった。

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