第2話 僕の日常

「おーっす、シュン。調子どうよ?」

「格別にいいよ。今日は父親が仕事があるみたいでね、ご飯を取引先の人に奢ってもらうって言うから、タダメシをたかりに行こうと思って」

「言葉の端々からものっそいトゲを感じるんだけどォ……?」


学校に到着するなり話しかけてきたこの少年は、宮守 梓みやもり あずさ。彼は学校中の人と話をしていて、今日は偶然話しかけられただけである。あだ名もひっきりなしにつけ歩いているような人物で、はっきりいえば今日はたまたま話しかける先に選ばれたというだけだ。


「んじゃーな!」

ほら。

秒で去っていったしあいつ。僕と一分くらい当たり障りのない会話だけしていくだけだからただのクラスメイトでいいだろ。


そして僕は窓際のいつもの席に座り、イヤホンで大音量のハードロックを流す。ヘヴィメタルはあまり好みではないけれど、ハードロックはかなり好きだ。普通のロックだと物足りない。

今時は何かと便利で、スマートフォン一つあればなんでもできる。もちろんある意味では先行投資で、父親も苦手ながら持ってはいる。パソコンが一つあればホームページで人を呼び込んだり、またスマホがあればSNSで簡単に宣伝もできるからという建前で買ってもらった。別段、僕は宣伝しているわけじゃないのだけれど。


父、ちょろい。


というか、宣伝しないのは僕の配慮のためである。偽物だし、本格的な被害をこうむる前に手を引くべきだ。僕みたいな本物の、別の霊能力者に嘘を看破される前に、とりあえず黙ってもらいたいところである。


「ふ、わぁあ……」

耳元でかき鳴らされているエレキギターの音が心地よくてうっとりと眠りに入っていくと、ふ、と無音になった。耳からイヤホンが引き抜かれて取り上げられ、上で教師である馬瀬 宗治ませ そうじが苦々しい顔をして立っていた。

「起きろ、中津」

「あ、すいません……昨日の夜遅くに出かけてたもので」

「今し方その話で生徒指導室に昼休み、来るようにと言ったんだ。全く……生活態度があまりにも悪いと俺の評価にも差し支えるだろうが。来年は学年主任狙ってんだからよ」


あけすけな馬瀬の言葉に生徒の何人かが笑い、僕はその言葉に曖昧に頷いた。昼休みが来て生徒指導室へ向かうと、馬瀬先生はまた苦々しい顔をしている。そんなに昼食を持ってきたことが気に入らないのだろうか。

「なんでお前……昼飯を持ってるんだ」

「生徒指導室の椅子って、すごくふかふかですよね。ここでお弁当食べたいと思って」

「はあ……まあ、いいけどよ。で、なんで昨日の夜十一時にもかかわらずあんな場所にいたんだ?」


昨晩の僕は、とある幽霊のお願いによってメッセージカードと一緒にバラを一本女性に渡すため、夜の繁華街に繰り出していた。その女性は水商売の人であり、最初は訝しげな視線を向けられて帰るように促されたのだけれど、帰るところを待ち伏せしてようやく夜の一時半に受け取ってもらえたというわけだ。


「知り合いに頼まれたことをしなければいけなくて……」

「知り合いだぁ?あんな場所に用事があるなんて、どう考えてもカタギじゃねえだろうが。もしカタギであっても高校生がなんか事件に巻き込まれて、そこを責任取れなきゃいけねえだろうが」

「いや、ただのめんどくさい恋する男のお使いだったんですけど」

「……あ、そう?んでもって、結局何をしてたんだ?」

「薔薇の花束の百本目を届けてきたんですよ」

「予想以上に乙女なお使いだった!?」


今日の唐揚げはとても美味しくできたなあ、と思いながら噛み締める。


その薔薇は毎日、一日一本ずつ届けていたのだという。男が百本目を届けに行こうとしたその時、彼は不幸にも事故に遭ってしまった。生死を彷徨う中それだけが心の中に残りながら、彼は三ヶ月後に治療の甲斐なく死亡した。

そして、彼は幽霊になった。

けれど女性は彼のことを一切相手にしなかった。


当然である。

彼は死んでいて、もはや誰に視えることもない。


彼は慟哭しながらあちこちで誰か見えないのかと臆面もなく助けを求めたけれど、やはり誰も気づかない。最後の花をどうか彼女に届けてやりたい、その一心で手段がないかと探し回り、そのうち幽霊同士の噂を聞きつけて、僕に巡り合った。


女性は疲れ果てた顔をしていたが、薔薇の花を見て体を固くした。なんのようだ、その花を代理で渡すつもりであるなら直接来てくれないのはなぜだ、と吐き捨てた。

しかし、僕が彼が死んでしまったことを告げると、彼女は地面にへたり込み、そして彼が僕に憑依して書いたメッセージカードを見て、涙をこぼした。そして、深々と頭を下げて薔薇の花を胸に抱きしめた。

その薔薇についている銀の指輪に気づくのはそう長くかからないだろう。


そんな感じで僕はその幽霊の所持している骨董品を一つ二つもらって、彼が成仏するのを見届けた。気づけば夜中の三時である。

つまり僕は今果てしなく眠い。


「馬瀬先生も僕にキューピッド任せてみませんか?うまくいきますよ、早坂先生と」

「ゲブッ!?って、テメェ、なんで知ってるんだ!?俺がど、どうしては、は、は、早坂先生を……」

げっほげっほと勢いよく咳き込む先生。かろうじて片手に持っていた湯呑みを落とさずに済んだようでなんとか保持していたそれをテーブルに叩きつけるように置いた。そしてじろ、と僕を睨みつける。

説明しろ、というわけらしい。


「別に先生がバレバレな態度をとってたわけじゃないですよ?ただ、僕がまあ、ちょっとばかり鋭いだけなんです。……あ、ごまあえしょっぱい……」

お茶を吹き出した先生が微妙そうな顔になったが、すぐに合点がいったように手を叩いた。

「そういやお前あの、熊谷なんとかってのの息子だったか!」

「いや、それ全然関係ないんで。色恋沙汰にめざといのと霊能力者の息子であることって、全然関係ないんで」

大事なことなので2回言った。


「なんだよそういうわけじゃあねえのか?まあ、いいや。キューピッドはいらねえよ……それに教員同士なんざ碌なもんじゃねえ。相手の早坂先生はいいとこの出だし……それに、だし」

「……まあ、アタックしてみて損はないんじゃないんですか?僕としては二人、とてもお似合いだと思いますけど」


BLなのはさておいて、早坂先生も馬瀬先生のことを好きだというし、好き同士でくっついてくれれば世界は平和になる。具体的には僕にくっついている腐女子の幽霊がキャアキャア悲鳴をあげているので、早々に馬瀬先生にくっついてくれれば僕の世界がひとまず大変平和になってくれる、というのが本音だけど。


「ごちそうさまでした。それじゃ、僕はこの辺で」

「お、おお。そんじゃな」


僕がさらりと指導室を出て行った後、廊下に「そういや説教するの忘れてた!?」という声がこだました。

哀れ、馬瀬先生。


僕が帰りしな歩いていると、尻尾が二又に分かれている猫がすうっと足音もなく近寄ってきた。

近所のお姉さんがたいへんに可愛がっているにゃんこであり、見えるタイプの妖怪である。長く年数を生きたために妖怪になったタイプで、付喪神も含めたこのタイプは人から姿を隠すことができないのが特徴だ。


僕はその白い腹を撫でまわし、にゃんにゃんと要求する首元に洗い上げてあった手拭いを巻いてやった。ちょっと可愛い金魚柄である。

「ありがとうな」

ダンディな声が響き、にゃんこはそれをきっちりと結んで位置を調整し、真面目な顔でふふんと髭をピンと伸ばす。最初に手拭いを要求された時はびっくりしたのだけれど、これを被って月イチで踊りに行くのだと言われ、ある昔話を思い出した。気になる人は猫 手拭い 昔話とかで検索すると出て来ると思う。


あれはメスのにゃんこだったけども、そのひいひい孫であるこのダンディなお声の猫ちゃんが今も師範として踊りを教えているそうだ。手拭いは今やしまっておく場所がなく、さりとて洗わないと体裁が悪いということで僕のことを頼ったようだ。代わりにさるなしのお酒をもらったのだけれども、未成年だし確実にいらないので今回の取引先には次回もよろしくお願いしますと媚を売るためにそれを持っていくつもりである。


ちなみに、さるなしはキウイ、またたびと同じ樹木の系統であり、猫ちゃんはめろめろに酔っ払ってしまうらしい。


家に帰ると、白装束に来ている父親を尻目に一升瓶に入っている綺麗に漉いた和紙のラベルが貼られたそのお酒を取り出す。ラベルには猫の足跡が残されており、まあ可愛らしいものであるがそれなりに度数はあるそうだ。

それから制服を脱いで、普段着よりもちゃんとした学生服でないシャツと、緑のループタイ、黒のベストとスキニーズボンに着替える。髪は別に乱れるような長さもないのでそのまんま。


「おい、霊一も白装束に着替えろ!」

「やだよダサいし。せめて柄の着物にしたら?」

「ダサいとはなんだ!幽霊との交信には白が最も適切であるのだぞ。我が著書にも──」

別に白じゃなくてもいいんじゃないかな。僕がそれを証明できるんだけど。


「早くしないと約束の時間が迫ってるよ。現場に向かったほうがいいんじゃないの?」

「あ、ああ、迎えが来ることになっているので問題な……って、やっぱり着替えない気だな、お前!!」

僕は胡散臭い仕事道具を父に押し付けると玄関へと押しやった。父の髪は後頭部でお団子にされており、若干ごま塩のような色になっていて縮れている。僕の髪は茶髪に近く、母に似てかなりまっすぐだというのに。


チャイムがなると、父は一呼吸置いてから扉を開けた。

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