432話 なにも知らなくても



「皆さん、お元気で! さようなら!」


「そっちも元気で! またね!」


 クロガネが飛び立ち、私たちは別れを済ませる。

 バサッ……と翼をはためかせ、前進するクロガネに掴まり、私は見えなくなるまで、ガローシャたちを見ていた。


 彼女は最後まで、手を振っていた。

 そしてラッヘもまた、見えなくなるまで手を振っていた。


「ふぅ……なんか、長かったような、あっという間だったような」


「壮絶でしたもんね」


 ガローシャたちとの別れを済ませて、私たちは進む。

 目指すは、魔大陸を出て……私たちがいた、大陸。そして、その中のベルザ王国へ。


 クロガネに乗っていると、景色があっという間に流れていく。

 ただ、これでもクロガネは、背中に乗せている私たちに負担がかからない速度で、飛んでくれているのだ。


「わぁ、たかいたかーい!」


「微笑ましいけど、素直にそうは言えない……」


 クロガネの背中から身を乗り出し、下を見ているラッヘ。

 そのはしゃぎようは、まさに子供といった感じ。物を知らない、小さな子供。


 挙動だけ見ると、微笑ましさがあるんだけど……以前のラッヘを知っているから、その様子は複雑でしかない。


「おい、本当にどうしたんだそいつは」


 そのラッヘの様子に、エレガたちは困惑の色を浮かべていた。

 以前は、あんなに勝ち気で強かった子が……今では、こんなにもか弱く、かわいくなっている。


 私だって、事情を知らなかったら唖然となる。

 いや、事情を知っていてもなっている。


『契約者よ』


「なぁにクロガネ」


『ワレは、この者のことを深くは知らぬ。が、契約者にとっても、深い関係というわけでもないだろう』


「それは、そうだね」


 クロガネの言葉に、私は答える。


 ラッヘとは、魔導大会で戦って以降の付き合いだ。考えてみれば、彼女と出会ってからまだ一週間も経っていない。

 話した日数に至っては、その半分にも満たないんだ。


 人付き合いの深さは時間の長さで決まる……なんて、言うつもりはないけれど。

 私とラッヘの関係は、人に語れるほど深くはない。


『契約者は、そのエルフの記憶を、戻したいと思っているのだろう。それは、なぜだ?』


「……なぜ、か」


 私は、ラッヘの記憶を戻してあげたい。そう、考えている。

 ラッヘとは、お世辞にも仲良くなったとは言えない。むしろ、恨まれている関係だ。


 ラッヘの親である、グレイシア師匠……師匠は、かつて自分の名前に『エラン』と名前を付けた。それが、ラッヘの本当の名前。

 ラッヘの名前は、『エラン・フィールド』だった。本当なら。


 でも、事情は分からないけど、ラッヘが死んでしまったと思った師匠は……娘の名前を、後に拾った私に付けた。

 師匠にとって、私を本当の娘と思ってくれていたんだ。でも、それは同時に、私がラッヘから師匠の子供という立場を、名前を……奪ってしまったことになる。


 だから私は、恨まれて当然だ。殺されそうにもなった。

 それでも……


「記憶がない不安って言うのは、私はよく知ってるからさ」


 私も、師匠に拾われる前の記憶がない。

 当時は気にしたけど、今はもう、無理に記憶を思い出さなくてもいいと思っている。

 ……だけど。


 もし、明日目覚めたら、今日までの記憶が無くなっていたとしたら。

 そんなことを考えてしまうことが、これまでもあった。


 全部忘れてしまった私は、本当に私なのだろうか。

 いや、そもそも記憶を失う前の私は……


「……私は、ラッヘのことはなにも知らない。

 でも、ラッヘにだって友達とか、知り合いとか……ラッヘを大事に思ってくれている人が、ラッヘが大事に思っている人が、いるはずなんだよ」


 もし、今の私がまた記憶を失ってしまったら。

 ルリーちゃんたちは、いったいどう思うだろう。ひどく、心配するだろう。


 ラッヘにも、そういう存在がいるはずだ。


「だから私は、ラッヘの記憶を戻してあげたい」


『……そうか。だが、あてはあるのか?』


「全然。どうしようね」


 記憶喪失の人間なんて、これまでに会ったことがない。

 強いて言うなら私自身だけど。


 ただ、自分が記憶を失ったなんて自覚は、実のところない。

 十年前なんて、まだ子供だったし……その頃、自分の記憶がしっかりしていたかも、曖昧だし。


 その後、師匠は私を知っている人を捜してくれたみたいだけど、逆はなかったみたいだし。

 ……あれ、ひどくない? 私、黒髪黒目なんだよ? こんな特徴的な人間を捜そうとしている私の身内がいないって、おかしくない?


「ひどいよねぇ!」


「えっ? あ、はい、そうですね?」


 あ、しまった声に出てた。ルリーちゃんをびっくりさせてしまった。

 こほんと、咳ばらいを一つ。


 まあ、なんだ。いろいろ理由をくっつけたりはしたけどさ……


「なんだかんだ言って助けられたし……ルリーちゃんのために、体も張ってくれた。

 そんなラッヘを見捨てられれるほど、私は冷たい人間じゃないつもり」


『……はは、そうか。我が契約者は、そうでなくてはな』


 私の言葉に納得してくれたのか、クロガネは笑った。

 ラッヘが記憶を失った理由は、ひとまず後回しだ。まずは、記憶を取り戻す方法。


 そういうのを知ってそうなのは、長生きしているエルフ族だろうけど……ルリーちゃんから案が出てこなかったあたり、知らないのだろう。

 長生きはしてても、人から隠れて生きてきたダークエルフ。あまり知っていることは、少ないのかもしれない。


 じゃあ、なんかいろいろ知ってそうなエレガたち……に聞くのはなぁ。

 こいつらに弱みを見せるのは、なんかやだな。


「……どうしたもんかな」


 移動中に、風を全身に浴びながら。私はぼんやりと、空を見上げた。

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