393話 それは夢か未来か



 ……暗い意識の底で、ぼんやりと光が差してくる。それは徐々に大きくなって、やがてなんらかの景色を形作った。

 眠っていたはずの意識が覚醒……したわけでは、ない。ただ、わかることがある。


 これは、夢だ。


 なんでそう思ったのかは、わからない。でも、わかる。

 これは、夢だ。寝ている間に見る、夢だ。


 夢とわかっているのも、なんだか変な話だ。でもこの感覚には、覚えがある。

 いつだったか……夢を通じて見た、ルリーちゃんの記憶。あのときの感覚に、似ている。


 でも、あのときとは、違う。


『はっ、はっ、は……!』


 辺りは、薄暗い。夜だからか、それとも深い森の中だからか。

 そして、"私"の前を誰かが走っている。顔は見えない。


 顔は見えないけれど、走る度に揺れる銀色の髪は、それが誰であるか教えてくれるようだ。薄暗い中でも目立つ、輝くような銀髪。

 それに、髪の間からチラチラと、尖った耳が見えている。


 その特徴を持っているのは、ダークエルフしかいない。


『はぁ、はっ……けほ、っはぁ……』


 その子は、懸命に走っていた。なにかその先に、大切なものでもあるのだろうか。

 あるいは……なにかから、必死に逃げているのだろうか?


 ガサガサと、草をかき分ける音。走っているせいで、荒れる吐息。周囲ではりんりんと、虫が鳴いている。

 時に咳き込みながら、その子は走っていた。


『うっ……こ、来ないで、ください!』


 ついにその子は、吐息以外の言葉を叫んだ。それによって、わかったことがある。

 それは、女の子の声だった。それも、私もよく知っている子の……


 彼女が叫んだのは、来ないで、という拒絶の言葉。

 それはつまり、彼女が走っている理由が……なにかから、逃げているからだとわかる。


 彼女は……ルリーちゃんは、いったいなにから逃げているのだろうか。


『あっ……っ……!』


 不意に、ルリーちゃんの体勢が崩れた。なにかに足を取られ、転びそうになったのだ。

 だけど、とっさに足を踏ん張り、転ぶのを阻止。崩れたバランスを素早く直し、そのまま、再び走り出した。


 目が、慣れてきた。夢なのに目が慣れるっていうのも変な話だけど、景色がだんだん、よく見えるようになってきた。

 ルリーちゃんは、学園の制服を着ている。けれど、それは泥まみれだ。体も擦り傷だらけ、見ていて痛々しい。


 それほどまでに、逃げている"なにか"が、彼女にとって恐ろしいのだろう。

 あぁ、これが夢なのが歯がゆい。夢じゃなければ、手を伸ばして、ルリーちゃんを助けることができるのに。

 そう、こうやって、手を伸ばして……


 ……あれ……?


 視界の中に、手が映る。これはまるで……私が、手を伸ばしたような形だ。

 どういうことだろう? これは夢なのに、なんで私の考えたとおりに、手を伸ばすことができているんだろう?


 それに、だ。伸ばした私の手は、なんだか、黒く汚れて……? ……これって、もしかして……


『ひっ……!』


 なにかの気配を感じたのか、ルリーちゃんは振り向いた。走りながら、それでも背後を確認するために。

 ようやく見えた、ルリーちゃんの顔……その目には、大粒の涙が溜まっていた。恐怖と苦痛に、歪んでいる表情だった。


 ルリーちゃんにそんな顔をさせた奴を、ぶっ飛ばしてやりたい。そんな思いを、抱いている間にも……「来ないで」とつぶやきながら、ルリーちゃんは背後の人物を……

 ……"私"を、見た。


『来ないでください! エランさん!』


 恐怖に染まった声で、私の名前を呼ぶその口は、震えていて。血に染まった私の手を見る緑色の瞳は、これまで私に向けたことのないものだった。


 ――――――


「……っ、は……!」


 私は、目を開けた。今度は、物理的に……眠っていたまぶたを開いた。意識の中の話ではない。

 目の前には、見知らぬ天井……魔族の塔の一室、そこに泊まらせてもらったのだ。


 大きな部屋で、三人分のベッドが用意されている。

 私と、ラッへと、ルリーちゃん……ラッへは一つのベッドを占領しているけど、ルリーちゃんは私の隣にいる。


 一人だと心細いから、という理由で、一緒に寝ることにしたのだ。


「はぁ……っ、夢、だよね……?」


 今見た、景色……あれは、なんだったんだろう。

 誰かの記憶、という線も考えた。以前、ルリーちゃんの過去を覗いてしまったときのような。


 でも、今回はルリーちゃんと……はっきりと、私の名前を呼んでいた。

 当然、私の中にあんなことをした記憶なんてない。まあ、記憶喪失の私が言うのもなんだけど……

 夢のルリーちゃんは、今と同じ姿。エルフ族は、外見で年齢を図るのはあてにできない。


 ……もしかして、私が知らない間の記憶? 私の、十年以上前の記憶……

 ……いやいや。だとしても、ルリーちゃんは私と友達だ。あんな経験があったら、その相手と友達になろうとは思わないだろう。


 可能性として、記憶を失う前の私の記憶……も、なくはないけど。そうでないとしたら…… 


「もしかして、未来……?」


 見たことのない映像……誰の記憶でもない、もの。それが夢として、出てきた。

 それを思うと、一つ思い浮かぶことがある。


 ガローシャが見るという、未来予見。夢に、未来の出来事が出てくると、言っていた。

 それが、今の私の状況と同じなのだとしたら……


「私がルリーちゃんを? ……ないない」


 私がルリーちゃんを追いかける? キャッキャウフフな追いかけっこって意味なら、それもありうるだろう。

 でも、あれはそんなもんじゃなかった。


 私から必死に逃げている、恐怖に染まったルリーちゃんの表情。血に染まった私の手。

 あんな未来が……訪れるって? そんな馬鹿な話、ないだろう。


 ガローシャも言ってたじゃないか。未来予見で見る夢はいくつかある、って。私たちがガローシャたちに協力して戦争に勝つ未来。私たちが協力せずに戦争に負ける未来。

 どっちのパターンもある。必ずしも、夢の通りになるわけではない……けど。


「……あの未来になる可能性がある、って、こと……なのかな」


 絶対にあの未来になるわけではないけど。ああなる可能性があるってことは、確かなのかもしれない。

 そんなこと……絶対にない、と言いたい。私が、ルリーちゃんを怖がらせるなんてこと、ない。


 なんで、あんなものを見てしまったんだろう。その理由は、わからない。

 まだ、外は暗い。まあ元々暗い大陸ではあるけど……


 もう少し、寝よう。今度はきっと、いい夢を見よう。

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