第274話 なくしたもの



「ふ……ぬぅ……!」


「……っ」


 白い獣の頭に、魔力を込めた踵落としをおみまいする。メキメキ、と凄まじい音が響いたのを聞いた。

 獣の額には角が生えていたけど、私が蹴ったのは角が折れている方の顔だ。この二つの顔は、感覚が繋がっているのだろうか。


 ただ、踵落としを食らった方はもちろん、もう片方の顔も苦しそうな顔を浮かべている。感覚は、繋がっているということだろうか。


「とりゃ!」


「!」


 踵落としを食らわして、それで終わりではない。一瞬でもふらつき、隙ができた獣を逆側の足で蹴り飛ばす。

 獣は小さなうめき声を漏らし、吹き飛んでいく。


 魔法は吸収されるけど、打撃は普通に通用する、か……


「グァアァ、ガルルルァ!」


 しかし、獣は吹き飛んでいる状態から無理やり体勢を立て直す。足が八本もあるんだ、地面に着地するのもそう難しい話じゃない。

 着地し、獣は怒りの形相を私に向け、またも突進してくる。でも、その体が少しおかしい。


 赤色に変色していた体……それがだんだん、燃え盛っていく。メラメラと燃える火に包まれた状態で、突進しているのだ。


「! なにあれ……」


 自ら燃えながらの体当たり。だけど、捨て身の攻撃というわけでもなさそうだ。

 なので私は……


「えい!」


 地面に手を置き、自分の前に壁を作る。ただ、さっき出した土の壁とは違って、今度は水の壁だ。

 魔法を放っても、吸収される。だったら、これならば吸収されないだろう。


 獣は途中で止まれないのか、燃え盛る体のまま水の壁に突っ込む。ドボンッと大きな音がして、水の中に包まれた。

 分厚い壁だ、自力で抜け出すことはできない。燃える体は消化され、燃えていなくても生物である以上、水の中で行動は限られる。


 このまま、窒息させるまで待って……


「ん……あれ?」


 なにか、おかしい……なにがおかしいのか、考える前に答えが出る。

 分厚い水の壁、それが蒸発しているのだ。ジュワッと音を立て、水分が消えていく。


 今の状態で、水の壁を蒸発させるって、いったいどんな火力だよ……!


「ジェルルルル……!」


 水の中から脱出した獣は、二つの顔で笑みを浮かべていた。いやらしい感じだ、次の狙いは私のもう片方の腕か、それとも足か。

 獲物を前に、笑っている。この獣にとって私は、ただの餌……


 ……冗談じゃない! こんな、わけもわからない獣に腕を千切られて、そのまま殺されろって? ふざけるのも大概にしろって話だ。


「ふぅ……」


 体を振り、水分を飛ばす姿はただのモンスターのようにも見える。でも、その実態は凶悪な獣だ。

 なるほど、全身燃えていれば触れれもしない。考えた……のか? やっぱり、知性がある?


 魔法は吸収される、魔術は使えない、体術も限られる、おまけに腕一本ないし魔導の杖も同様だ。

 まさに絶望的な状況……腕がなくなった右肩が、痛い。痛み止めの魔法はかけている。


 向かってくる獣を見ながら、獣を倒す方法を考えていた。だけど、そんなこと簡単には思い浮かぶわけもなくて。


「ガルァアアアア!」


「! ぁっ……!」


 目で追える程度の速さだった獣は、急激にその速度を増し……次の瞬間には、私の左腕に噛みついていた。

 右腕みたいに、気づかないうちに食い千切られなかったのは、無意識にも警戒していたおかげだろうか。


 だけど、肌に牙が食い込む。痛い。それに、二つあるうちの顔の一つは腕を食い千切ろうとしているけど、もう一つは私の首へと向かっている。


 こいつ、抵抗できない私を本格的に食い殺そうとしているのか……両腕が自由にならない、痛みで魔力にも集中できない。

 こんな……


「ぐ、ぁ……は、な、れろぉ!」


 このまま、なんの抵抗もできずに殺されてしまうのはごめんだ。迫る牙を前に、私は精一杯もがき、首を振り、左腕に噛みついている獣を……"右手"で掴み、無理やり振り払った。

 腕に食い込んでいた牙が無理やり抜かれ、激痛が走る。けど、刺されていた痛みがあるってことは、左腕は繋がっているってことだ。


 よかった、食い千切られる前に獣を引き剥がせて。この"右腕"でうまく……


「……右腕? あれ?」


 感じた違和感。それを確認するために、私は右肩から生えている右腕に視線を落とした。

 ……さっき獣に食い千切られてしまったはずの、右腕を。


 そこに、あって当然のはずで、でもなくなってしまったはずのものが……何事もなく、あった。


「どうなってんの……なんで?」


 もしかして、右腕を食い千切られたのは私の夢か妄想ではないのか。そう思ったけど……

 右腕の……袖の部分が、ない。これは、さっき右腕を食い千切られたときに、一緒に千切られたものだ。


 服の構造として、右側にだけ袖がないのはおかしいし、私はそんな服を着たこともない。毎日のように見ている制服が、そんなであるはずもない。

 つまり、右腕と一緒に食い千切られた袖の部分だけが、なくなっているわけで……


 右腕が食い千切られたという事実を、立証しているようだった。そして、千切られたはずの腕が元に戻っているということも。


「……っ!?」


 ならば、千切られたはずの腕は、どこにいった? 獣が投げ捨てたはずの場所に目を向けるけど、そこに右腕は影も形もなくて。

 おまけに……腕だけではない。手に持って一緒に持っていかれたはずの魔導の杖も、右手の中にあった。

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