第162話 ルリーの過去⑨ 【人間】



「お母さん!」


「ルリー、よかった無事だったのね!」


 ラティーアたちを見送ったルリーたちは、一旦別れてそれぞれの家に戻った。

 ルリーは家の扉を開けると、中にいるはずの母親へと言葉をかける。すると、すぐに大好きな母親の声が返ってきた。


 母ルールリアは、玄関にいるルリーへと駆け寄り、その小さな体を抱きしめた。ぎゅっと、力を込めて。


「お、お母さん、痛い……」


「あ、ご、ごめんなさい」


 ルールリアは抱きしめる力を緩め、体を離すが……その顔には、安堵が浮かんでいた。

 それだけ、ルリーが心配だったということ……そしてそれは、それだけ外の状況が緊迫しているということだ。


 母の慌てようを、大げさだ……とルリーは笑い飛ばせない。


「……お父さんは?」


「魔獣討伐に向かったよ」


 家の中をキョロキョロ見回し、いない人物についてルリーは首を傾げた。今日は、休日……昼間でも、家にいたはずだ。

 そのルリーの問いに、答えを返すのは……ルールリアの後ろから姿を現す、ルランだ。


 自分たちが家に戻された以上、兄たちも家に戻っている可能性は高い……

 そう考えていたルリーの推測は、正しかった。


「村の男連中は、一部除いて魔獣討伐に向かってる。

 俺も、行こうとしたんだけど……」


「だめよ、あなたはまだ子供じゃない」


 ルランが村の状況を教えるが、後半の台詞に母からのストップがかかった。

 男連中……要は大人たちだ。それに、全員が村から離れるのはそれはそれで危険なので、一部は防衛のために残っている。


 今この村に残っているのは、一部の男を除けば女子供老人だけだ。


「さっき、連絡があったわ。残っている者は、一箇所に固まって屋内に居るようにと」


「それって……」


「急いで支度を整えろ、移動するぞ」


 それぞれが家の中に隠れているより、ひとかたまりになって隠れていたほうが安心……その考えである。

 それ以上に、防衛しやすいというのもある。バラバラの場所にいるより、一箇所に固まっていたほうが守る方も、守りやすいのだ。


 それを聞いて、急いでルリーも準備をする。

 準備とは言っても、持っていくものはほとんどない。もしものことを考えて、水分補給できるものを。

 そしてそれは、すでにルールリアが用意していた。


 三人は、家を出る。そして、集合場所となっている建物へと向かう。

 そこは、大人数が入れる大きな建物。誰かの家と言うわけではない、集会などで使っているところだ。


「リーサ、ネル!」


「アード、マイソン!」


 建物の中に入ると、そこにはすでに知った顔がいた。まあ、村の人間はすべて知った顔ではあるのだが。

 ともかく、先ほど別れた彼女たちも、やはりここに集まっていた。


 他にも、老人や女性……さらには怪我をして戦いに不向きな男性など、結構な人数がいた。


「だ、大丈夫よ。村の大人は強いもの」


 ルリーの不安を察してくれたのだろうか、リーサが励ますように言う。しかし、彼女の声はいつものものとは違い……震えていた。

 リーサも、不安なのだ。外の状況はわからない……


 それに……



 ドォン!



「きゃあ!」


 突然、爆発でも起こったのではないかと思えるほどの、巨大な音が建物内に響いた。

 これは、魔獣との戦闘のものだろう……だが、おかしい。


 つい先程まで、魔獣は森の中にいたはずだ。見張りの高台からようやく視認できる位置に。しかし、今の音はとても、そんな遠くで起こったとは思えない。

 それほどまでに激しい戦闘が行われているのか……それとも……


 怯える村人を、落ち着かせようとする者も中にはいた。


「みんな! 急いでここを離れろ!」


 ダンッ、と扉を開け入ってきたのは、防衛に残っていた一人の男性だ。

 彼は額から血を流している。その姿を見るだけで、察した……もはや、戦闘が起こっているのは森の中ではないのだ、と。


 緊張が走る……しかし、その僅かな時間さえ、余談を許さない。

 必死にみんなに逃げるように叫ぶ男は、苦悶の表情を浮かべて血を吐いた。べちゃ、と赤黒い血の塊が床に付着し、ゆっくりと視線を下に下げる。


 男性の腹からは、刃が飛び出ていた……それは本来、銀色に光っていたはずの刃。その刀身は、血により赤く染まっていた。

 振り向いた男性は、自分の後ろに誰かが立っているのを見た。その何者かが、男性の背中から刃を突き刺し……それが、腹部を貫くほどに貫通したのだ。


「イヤァアアアアア!?」


 刃が抜かれ、男性が倒れる。その光景に、建物内では次々と悲鳴が上がる。

 ぶしゃっと吹き出る血は、床を、壁を……背後に立つ人物の体をも汚していった。しかし、その人物は自分の体が血で汚れるにも関わらず、不快そうな表情は浮かべない。


 手に持つ刀を振り、刀身についた血を払う。

 その人物は……男は、ダークエルフでも、エルフでもなかった。耳は尖っておらず、なにより髪も瞳も黒い。


 そして、彼の体内に流れる魔力……それは……


「にん、げん……?」


 ぽつりと、誰かが呟いた。

 その魔力は、エルフと人間のハーフであるリーフェルのものとそっくりだった。正確には、エルフとは別のもう一種の魔力に、だ。


 エルフの魔力の流れは、もちろんわかる。対して、リーフェルの中には見慣れない魔力があり、それが人間のものだ。

 目の前の男に流れる魔力は、確かに人間のものであると表していた。


「あ〜あ、ちょっとー。無駄に殺さないでよー、まだ試してないんだから」


 一瞬、それは男の声かと思ったが……違う、女の声だ。男の背後から、新たに女が、姿を現した。

 彼女もまた、見慣れない黒髪黒目をしており、長い髪を後ろで縛っている。彼女は見たところ武器は持っていないが……


 その手は、赤く染まっていた。


「いいだろー、まだ資源はたくさんあるんだし」


「だから無駄にしていいってわけじゃないのよ。ただでさえ、外ではアルファが暴れ回って数を減らしてるのに……」


「あーはいはい、わかったわかった。

 ったくうるせえなぁ」


 怯えるダークエルフたちとは裏腹に、惨状を作り出した若き男女は、まるで冷静だ。いつも、ルリーやリーサたちがしているじゃれ合いみたいな、ものだ。

 それが、こんな状況下で行われることが異常だ。


 人間族は、見た目が若いからといって中身は年を取っているエルフ族とは違う。順当に、歳を重ねている種族だという。

 まだ、せいぜいが二十年前後しか生きてないであろう人間。それが、顔色一つ変えずに、生命いのちを奪ったのだ。


「あ、あなたたち……いったい、何者なの……!」


 震える声で人間に話しかけるのは、村の若者であるエーテラだ。彼女は、強い瞳で人間を睨みつけている……ただし、その足は震えていた。

 普段から気の強い彼女は、正義感に熱く、村人と衝突することもしばしあった。


 しかし、今こうして、怯える村人を背に庇うように、立っている。先ほど村人を落ち着かせようとしていたのも彼女、本来は仲間意識も強いのだ。


「お、粋のいいがいるじゃん」


「っ」


 そんな正義感あふれる女性の姿に……男は、ニタリと笑みを浮かべた。

 それがどうにも気持ち悪くて、エーテラは背筋を震わせる。


 だが、それがどうした。ここで引けば、みんなが危険になる。

 相手は二人……だが、ここはダークエルフの住む森。邪精霊の加護に満ちている。油断しきっている相手なら、隙を見て魔術を撃ち込んで……


「じゃ、お前から始めるか」


「え……っ!?」


 決して、こちらは油断などしていなかった……だが、気づいたときにはエーテラの見ていた景色は歪み。その場に、倒れていた。

 なにが起こった? バランスを崩したのだ……なぜ?


 その理由を探るため、エーテラは自らの足を見……固まった。

 己の足が……体を支えるための足が、なくなっている。右足の、膝から先が切れ、切断部からドクドクと血が溢れて……


「っ、あぁあああぁああ!?」


 遅れて、痛みがやってくる。痛い痛い痛い……流れる涙が、止められない。声も、勝手に出てくる。

 だめだ、抑えないと……みんなを、不安がらせてしまう。だから笑え。大丈夫だと、笑え。


 叫びに開く口を、手で無理やり閉じようとする……が、閉じられない。別の力によって、無理やり開かされているからだ。

 エーテラの足を切り落とした男は、エーテラの口を大きく開かせ……なにかを、口の中へと押し込んだ。


「あんんぅっ……うがっ、あぁがぁああ!」


「ほら、飲め飲め」


 なにかを口の中に押し込まれ、今度は手のひらで口をと鼻を塞がれた。もがき、苦しみ……なにがなんだかわからなくなってしまったエーテラは、ついにそれを飲み込んでしまう。

 いったい、なにを入れられた……なにを飲まされた? そう、視線は訴えていた。


 ……直後、体に異変があった。体の奥が熱い……まるで焼けるように。

 感じるのは、自分の魔力がとんでもないスピードで流れていること……それは本来、あり得ないもので。魔力は熱く、流れ、大きく、膨れ上がり……


 数秒と経たず……


「んぶっ……」


「……エー、テラ……?」


 もがいていたエーテラの体が、動かなくなった。手足はだらんと下がり、足から流れる血は止まることなく……

 いや……足だけではない。目から、鼻から、口から、耳の穴から……穴という穴から、血が流れていた。


 誰もが認めたくない状況。それを……


「あーあ、死んじまったか」


 男は、簡単に事実を述べた。

 エーテラの上から退き、すでに興味をなくした彼女に、一瞥もくれることはなく。


「ったく、この程度の数じゃ、"魔人"が生まれるかわかったもんじゃねぇな」


「数より質よ。

 ていうか、だから無駄に殺すなってあれほど……」


「へいへーい。ま、いいじゃねぇか……

 現地調達した分も含めたら、魔石はまだ、たんまりあるんだしさ」


 ……男と女が、なにを話しているのか、ルリーにはわからなかった。ただ、わかることはいくつかある。

 こいつらが、エーテラを殺したこと。私たちを殺すことに、なんのためらいも持っていないこと。


 そして……ここにいたら、確実に殺されるということ。


「さあ、楽しい実験の始まりだぜ……ダークエルフの諸君」

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