第123話 ナタリア・ゼリシャンテとエルフ
「……形見?」
自分の右目を覆い隠した手のひらで……ナタリアちゃんは愛しそうに、右目を撫でているように見える。
それは、元々は自分のものではなく、エルフのものだという。それも、形見だと。
それは、いったいどういう意味だろうか。
「ちょっと長くなるけど、構わないかな」
「全然、大丈夫だよ」
ナタリアちゃんは、にっこりと笑った。それからゆっくりと、口を開いて、話し始める。
自分の、"
――――――
……ナタリア・カルメンタール、それが現在の彼女の名前だ。
しかし、それは彼女の本名ではない。本名は、ナタリア・ゼリシャンテ。ナタリアは元々、カルメンタール家の子ではなく、ゼリシャンテ家の子供だった。
家名が変わったのは、簡単に言ってしまえばナタリアは、養子に出されたからだ。養子と言ってしまえば聞こえはいいが……
カルメンタール家は、ナタリアの魔力の才能に目をつけた。まだ三歳だった彼女だったが、その才能は同年代の子を抜きん出ていた。この子は将来、有望になる。
カルメンタール家はナタリアの才能を欲し、またゼリシャンテ家は金を欲していた。莫大な金を提示され、それに目がくらんだ両親は、ナタリアを売ったのだ。
これが、ナタリアが三歳のときの出来事。だからだろうか、ナタリアはもう、本当の両親の顔を覚えていない。
『キミは、ウチの子になるんだよ』
その日、ナタリアは頭を撫でられた。今日からウチの子だよと、目の前の大人はあたたかく笑っていた。
こんな風に頭を撫でられるのなんて、果たしていつぶりだろうか。
カルメンタール家には子供がいなかった。また、魔力の強い子を欲していた。この条件に合ったのが、ナタリアだった。
小さな女の子の環境は、変わっていく……裕福で、そしてあたたかな家庭に。
……しかし、事件が起こった。
『やっ……はな、して!』
カルメンタール家に引き渡される、前日のこと。二階で自室にこもっていたナタリアは、階下の物音が気になり、下へと降りた……
そこで目にしたのは……両親の、死体。
家に押し入ってきた盗賊が、両親を殺し、金目のものを物色していた。
早く、誰か助けを呼ばないと……恐怖に叫び声もあげられなくなったナタリアは、気づけば盗賊の一人に捕まっていた。
『おい、ガキがいたぞ!』
『いいねぇ、ガキは高値で売れる!』
バタバタと暴れるナタリアは、しかし大の大人から逃げられるはずもない。まだ三歳だ、いかに魔力の才能があるといっても、その存在すら曖昧だ。
暴れるナタリアに、男は鬱陶しそうに舌打ちをする。
『ちっ、暴れんなクソガキ! お前もこいつらみたいに殺すぞ!』
『おいバカ、なにしてやがる!』
『あぁ? ちょっとした脅しだよ脅し。なにも本気で刺すつもりは……』
『やぁああ、はなしてー!』
…………ブスリ……
暴れるナタリアをおとなしくさせようと、男はナイフを顔へと突きつけた。もちろん、刺すつもりなどない。人間など、こうして脅してしまえば、動けなくなるもの。
しかし、見通しは甘かった……暴れるナタリアは、ナイフの恐怖でおとなしくなるどころか、さらに暴れた。
とどめが、両親の死体となったのだろう。その光景に目を見開き……次の瞬間には、右目に刃が突き刺さっていた。
『!? ぅっ、いっ……あぁああぁあああ!?』
想像を絶する痛みが、少女の体を駆け巡る。なんだこれは、なんだこの痛みは。痛い痛い痛い熱い痛い熱い熱い痛い!
もう、痛いのか熱いのか、わからなくなる。ただ、激痛があった。
『おまっ、なにしてんだ!』
『ぃっ! いや、俺は……くそ、暴れんな!』
まさかの事態に、男たちも混乱する。このまま、子供を放って逃げてしまおうか。
さすが貴族の家だからか、すでに金はたんまりと頂いた。これ以上、ここに長居する必要はない。
このうるさい子供は……片目だけなら、傷ついてもまだ売れるだろうか。いや、こんなに泣きながらでは移動もままならない。やはり、惜しいがここで殺してしまおう。
そう、結論をつけたとき……
『なにを、しているの?』
静かな声が……その場に響いた。この状況に似つかわしくないほどに、落ち着いた声。それは、女の声だ。
男たちは、その声に反応し……その先へと、視線を向ける。そこにいたのは……
風になびく金色の髪を押さえ、尖った耳が露出した……白い肌と、緑色の瞳を持つ、美しい女性だった。その姿は、まさしく……
『え、エルフ……!?』
男たちは、彼女の姿を見ていただけで、怯え後ずさる。人を二人も殺しておいて、そこにエルフが現れたというだけで、態度が急変した。
もっとも、片目を失い、もう片方の目も痛みに閉じているナタリアは、その光景を見ることはなかったが。
見えない景色、自分の悲鳴で音もよく聞こえない……
……気づいた時には、ナタリアは解放され、横たわっていた。
無事である左目を、ゆっくりと開く。その視線の先には、綺麗な金色の髪と、自分の顔を覗き込む美しい緑色の瞳があった。
エルフ族とは、とても悪い生き物……そう聞いていた。けれど、今自分を助けてくれたこの人が、悪い人だとは思えない。
『かわいそうに……このままじゃ、死んでしまうわ』
そっと、頬に触れる手のひらが気持ちいい。なんだか、少し痛みが安らいだような気がした。
それから、エルフはその手のひらを、ナタリアの閉じられた右目にかざした。
『ねぇ、あなたは生きたい?』
その問いかけは……ナタリアに、このまま死ぬか、それとも生きるかを、問うものだった。
これまでナタリアは、積極的に生きたいだなんて思わなかった。死んだ両親だって、自分のことを売ったのだ……自分が、必要とされていないとすら、思った。
けれど、死に瀕して、湧き上がってくるこの感情は……
『生き……たい……』
まぎれもなく、本心だった。
『……そっか。なら、私の命をあげる』
ナタリアの返事に、エルフは小さく笑って……反対側の手を、己の右目に被せた。
その言葉に、一切の迷いは感じられなくて。
『どうせ私も、もう長くない。
だったら、目の前で生きたいと思ってる子に、命を繋ぎたい』
瞬間、右目を覆う手のひらから、あたたかな光が溢れた。凄まじいまでの痛みが、嘘のように引いていく。
そして、光はエルフ自身の、右目にも……
ぼんやりと、意識が揺らいでいき……ナタリアは、そのまま意識を失ってしまった。
――――――
「で、起きたら憲兵さんに囲まれててね……両親は盗賊に殺され、その盗賊も誰かに殺された。
私はその光景を見て、ショックを受けて気絶してしまった……こういう結論になってる」
「……」
じっとナタリアちゃんの過去を聞いて、私は言葉を失っていた。きっと、初めて話を聞いたルリーちゃんも、同じ気持ちだったのだろう。
いろいろと、驚くことが多い。
でも、ナタリアちゃんは平然としているように、見える。
「そのエルフも、当然そこにはいなかった……ただ、失ったはずのボクの右目は、ほらこの通り。色が変わるのは、元々はボクの目じゃないからじゃないかな」
自分の右目を指すナタリアちゃん。その右目は、再び緑色へと変色した。
その瞳は、まるでエルフのように、ではなくて……エルフ本人の、瞳だったのか。
「その後、事件があったとはいえ予定通り、ボクはカルメンタール家に引き取られて、この国で暮らすようになったんだ」
「そう、だったんだ……その右目って、魔力の気配が見えるだけなの?」
「うん? どうだろ……もしかしたらボク自身の魔力の底上げもしてくれてるのかもしれないね」
ナタリアちゃん自身も、"魔眼"について多くわかっているわけではない……か。
もしかしたらナタリアちゃんの言うように、本人の魔力も上昇させてくれているのかもしれない。
……ただ、ナタリアちゃんは当時の時点で、才能ある魔力に目を付けられてカルメンタール家に引き取られたんだ。
仮にナタリアちゃんの魔力が上昇していたとしても、今【成績上位者】であるナタリアちゃんのその全てが、"魔眼"のおかげであるはずがない。
「……でも、ナタリアさんは元々、すごい魔力の持ち主だっていうことは、間違いないと思います」
ここまで、黙って話を聞いていたルリーちゃんが、手を上げる。
続けて、口を開く。
「聞いたことがあります、エルフ族の眼を移植するという話。
エルフ族にとって眼は魔力の源……命にも等しいと言われています。そして、それを取ることは死にも繋がり……
「! エルフ狩り……!?」
「もうずいぶん前のことですよ」
エルフ族のルリ―ちゃんがずいぶん前って言うんだから、それがあったのは私が生まれるよりも……ってことだ。何十年か、もしかしたら何百年か。
ただ、エルフ狩りなんて……穏やかじゃない。
もしかしてエルフ族が少なくなったのって、それも関係しているんじゃあ。
エルフ族のことは怖がるくせに、莫大な魔力を手に入れるためにエルフ族を殺すなんて。ひどいことしかないじゃないか。
「それ、どうなったの?」
「エルフの眼を移植する……これは、試みた人間が次々と死んでいったことで、人間も行いをやめたそうです。
どうやら、エルフの眼を移植される者には、よほどの魔力がないと絶命してしまうと」
……魔力が弱い者がエルフの眼を移植すると、死んじゃう……か。魔力が弱ければ死ぬし、魔力が強ければそもそもそんなことをする必要もない。
だったら、もうエルフ狩りをするなんて必要もなくなる、か。
そういう原理は分からないけど、実際にそうなっているのだから、事実なんだろうな。エルフの
……それってまるで、"魔死者"の……
「て、じゃあ、魔力が弱かったらナタリアちゃんは……」
「死んじゃってたってことだねー。
ま、どっちみちあのままじゃ死んでたんだから、文句はないけど」
あはは、と軽く笑うナタリアちゃん……当時のことを引きずってるよりは、こうして明るい方がいいよね。
それからナタリアちゃんは、ふぅ、と軽く息をついて。
「だから、さ……ボクには、エルフがどうだとか、悪く言うことなんて絶対にない。
それどころか、ルリーくんと同じ部屋になれたとき、運命さえ感じたよ」
これが、ナタリアちゃんがダークエルフのルリーちゃんと仲良くなれた、理由か。
そうだっていうなら……私も、もうこの世にはいないエルフさんに、感謝しないといけないな。
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