第33話 過去の記憶と今の夢



 ――――――



『ん、ぅ……』


『あ、気がついたかい?』


『……ここ、は……』


『私の家だ。とはいっても、一時的に住むにあたって、簡易に建てただけなのだが……

 すまないね、勝手に連れてきてしまって。

 けれど、あのまま放置するわけにもいかないから』


『……?』


『覚えてないかい?

 キミは、外で倒れていたんだ。雨の降りしきる中、人も通らないような路地裏で、一人きりで。しかも、言ってはなんだがこんなボロ切れ一枚を身に纏った状態で。

 いったい、どうしてあんな状態で?』


『……覚えて、ない』


『そうか……なら、名前は?

 私はグレイシア。グレイシア・フィールドだ』


『…………わから、ない』


『わからない……自分の名前が?』


『ご、めんなさい……』


『謝らなくていい。

 けど、そうか……もしかして、記憶喪失、ってやつかな。

 なにか、覚えていることはない? 両親のこと、住んでいた場所のこと、目覚める前になにをしていたか』


『……ん……わから、ない。なにも……』


『思い出すのがつらいなら、無理に思い出そうとしなくてもいい。

 しかし……自分の名前も覚えてないんじゃ、手がかりもないか』


『……』


『そんな顔をしなくても、心配はいらない。確かに現状、手がかりはないけれど……

 キミの髪の色、瞳の色は、とても珍しい色をしている。それが、キミの両親等を探す手がかりになるかもしれない。両親も心配していることだろう。

 それに、キミのような幼い子が、倒れていたんだ。……そんなに遠くから来たとは、思えない』


『私の……』


『安心しなさい。キミは必ず、両親のもとへ送り届けてあげるよ。

 それまでの間、私のところにいるといい。

 もちろん。まあ、キミが嫌じゃなければね』


『……いや、じゃ、ないです』


『よかった。

 短い間だろうけど、よろしくね。

 ……ん、やっぱりキミとかじゃ不便かな』


『……』


『よし、じゃあキミは、今日から……』



 ――――――



「ん……」


 夢を、見ていた。それは、遠い日の記憶……

 師匠と出会い、そして私の記憶が始まった日の出来事。


 目覚めた私の目に映ったのは、知らない天井。

 私を心配するように覗き込んで、師匠は安心させるように優しい口調だったっけ。


 私は、師匠と出会うより前の記憶がない。どこに住んでいたかも、家族のことも……自分の、名前さえも。

 そんな私に、師匠はエランと名前をつけてくれて……


「……知らない天井だ」


 なんで、今そんな夢を見たのだろう。

 師匠と離れて寂しくなったから? それとも、あの日と同じで知らない場所で寝ていたから?

 それとも……ただ、たまたまなのか。


 いずれにしても、私にとっては大切な記憶。

 結局私のことは、なにもわからなかった。この特徴的な髪、瞳の色……手がかりはあるのに、足取りは掴めなかった。


 まあ、別にいいんだけどね。私は師匠と暮らせて、嬉しかったし。


「ふぁ、あ……」


 ここは……そう、学園寮だ。

 魔導学園に入学した私たちは、寮に案内され、割り振られた部屋でこれからを共に過ごす……

 私はこの部屋で、ノマ・エーテンちゃんと過ごすことになった。


 あの後軽くお話をしてから、食堂に行って、大浴場に入って……部屋に戻って、寝たんだったな。

 二段ベッドの、私が上を使わせてもらった。

 曰く、わたくし高いところはダメですの、だそうだ。


 お嬢様にも苦手なものがあるんだなと、なんだかおかしかった。


「うんん……今、何時だろ。

 ノマちゃん、もう起きて……」


「あ」


「……」


 まだ周囲は薄暗い……時間を確認するために、そしてノマちゃんがもう起きているかを確認するために、私は二段ベッドの下を覗いた。


 ……その時、目があってしまった。

 ノマちゃん……ではなく、別の"男"と。


 そいつは、ノマちゃんのベッドへと手を伸ばし、今にも襲いかからんとしているように見えた。

 というか、なんで男が、ここに……?

 ここ、だって、女子寮っ……


「や、待ってください。これは……」


「ひぃやぁああああああ!!」


 私はベッドから飛び降り、男に殴りかかった。



 ――――――



「まったく、フィールドさんったら思いの外アグレッシブですのね。

 顔があんなに腫れてますわ」


「いや、だって……」


「いえ、私の不注意が招いたことです」


 私が騒いだことで、ノマちゃんは起きた。

 そして、事態を把握したらしく……私と謎の男は、床に座らされている。


 どうして、この男はともかく私まで。


「フィールドさん、彼は怪しい者ではありませんわ」


「えぇ、怪しくはないのです」


「……私が殴っといてなんだけど、そんな腫れ上がった顔で言われても説得力ないよ?」


 不審者の登場に、私は思い切り殴りかかってしまった。

 結果、彼の頬は腫れ上がっている。

 せっかくの白髪美形が台無しだ。


 それよりも、ノマちゃんはこの男のことを知っているのか。


「申し遅れました、私、カゲ・シノビノと申します」


「はぁ」


「こちらにいらっしゃる、ノマお嬢様のお世話係をしている者です」


「……お世話?」


「代々、シノビノ家はエーテン家に仕えてきた家系。

 ゆえに、わたくしにカゲは、仕えているのですわ」


 な、なるほど……家系がどうとか代々なんとかとか、お家の事情は放っておいて。

 とにかく、このシノビノって人はノマちゃんのお世話係。

 これを覚えておこう。


 うん、お世話係ならここにいても問題ない……


「わけないだろぉ!?」


「きゃっ!

 もう、いきなりびっくりするじゃないですか」


「びっくりはこっちだよ!

 いくらお世話係でも、ここ女子寮だよ!?

 男の子は入ってきちゃだめなの!」


「しかし……でしたら、いったい誰がわたくしのお着替えなどの面倒を見てくれますの?」


「おき……え!?」


 私は、絶句した。だってそうだろう。

 年頃の女の子が、男の子に、着替えのお手伝いを……!?


 え、これ、貴族なら普通なの?

 私がおかしいの?


「で、でも……一応、私だっているんだよ?」


「まあ、フィールドさんがお手伝いを?」


「じゃなくて!

 ……その、乙女の部屋に男の子がいるってのは、私は落ち着かないし……」


「心配無用です。

 私は、ノマお嬢様以外の女性に興味はありませんから」


「それはそれでむかつくなぁ!?」


 ノマちゃんだけならまだしも、私もいる部屋に音もなく、忍び入ってくるのは勘弁してほしい。

 そういえばどうやって入ってきたのか……鍵はかけていたはず……

 ……怖いから聞くのはやめておこう。


 そ、それよりも!

 今、この人なんて言った?


 ノマお嬢様以外の女性に興味はない!?


「それってつまり……!」


 もしかして……お嬢様とお世話係、禁断の……

 恋!?


 きゃー!


「カゲ、物事は正確に伝えなさいと、いつも言っているでしょう」


 おや?

 ノマちゃんは、こうもストレートに好意を寄せられて、照れもしないのか?


「って、正確?」


「えぇ。

 カゲはわたくし以外の女性に興味がない……それは本当ですわ。

 けれど、それはわたくしを恋愛対象として見ているわけではありません」


「……えっと?」


 え、それって……どういう……


「はい、ノマお嬢様は大変お美しく、慕うに値するお方」


「だからそんなにおだてなくてもいいですわ。

 カゲは、わたくしのことは単に主として見ているだけ。でも、そこにそれ以上の気持ちはないですわ。

 そして、わたくし以外の女性も、そういう対象としては見ていない。

 なにせ……カゲの恋愛対象は、異性ではないのですから」


「……んん?」


 ……おかしいな、ノマちゃんの言っていることが理解できないのは、私がバカだからか?


「……ノマちゃん以外の女性に興味がない……って……まさか……男……が?」


「はい。ですので、ノマお嬢様はもちろん、フィールド様にも手を出すなんてことはありえませんので、ご安心を」


「……お、おう」


 あー、そっか……これは夢だ、きっとそうに違いない。

 私は、そう思うことにした。

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