第13話 指笛の威力
「ピーーー! ピーーー!!」
倒れ込んでしまったルシアを置いて、森の入り口に待つ騎士の元へは行けない。いくら安全とはいえ、ここは森の中。どんな獣がいるともわからないのだ。
アリスの指笛に驚き、木々に中から鳥たちがバタバタと羽ばたき飛んで行く。
お腹を押さえ苦しむルシアを抱えるようにしながら、アリスはちからの限り指笛を鳴らし続けた。
しばらくすると、木々の間からガシャガシャと言う剣の音が聞こえてくる。
遠目に騎士達の姿を確認すると、「騎士の方たちが見えました。もう、大丈夫ですよ」そう言ってルシアを勇気づける。「すまない」微かな声で答えるルシアに、余裕はない。
「どうされました? 奥方様?」
駆け寄る騎士達に事情を話すと、すぐにルシアを抱きかかえ森の入り口に待つ馬の元へと急いだ。
来るときはそんなに遠くないと感じたのに、今はとても長く感じる。早く、早くルシアを邸に連れて行かなければと、その思いがアリスを駆り立てる。
森の入り口付近まで近づくと、明るい太陽の光を感じる。息を切らせ走るアリスの目に、見覚えのある姿が映り出した。
ダレンだった。
彼はアリスたちを見ると、走りながらも冷静に問いかける。
「山のふもとにいたら指笛が聞こえて、来てみた。ルシアに何かあったのか?」
「急にお腹が痛いと倒れられました」
アリスの必死な様子にダレンはポンと頭に手をおき、すぐにルシアの元へと近づき頬に手をあてた。
「兄さん」
「無理をするやつがあるか。馬鹿が」
「ごめん」
言葉は悪くとも口調は暖かい。兄妹だけにわかる、優しい空気が流れる。
「アリス、馬車が無かったが馬で来たのか?」
「はい。ルシア様に乗せて来てもらいました」
ダレンは少し考えると、
「馬車を待つのも惜しい。ルシアは俺が支えて走る。お前たちは周りを警護しろ」
「はっ!」
ダレンは器用にルシアを片手で抱きながら馬を走らせた。
アリスは騎士の一人の後ろに乗り、しっかりと掴まりながら後を走る。
最初こそ気をつかいゆっくりと走らせた馬も、アリスが普通の令嬢ではなく馬に慣れていると悟ると、すぐにダレンに追いつき並走を始めた。
来るときはあんなに楽しいひと時だったのに、こんなことになるなんてと、何も出来ない自分に腹が立つアリスだった。
スタック邸に戻るとすぐに医者が呼ばれ診察が始める。
ルシアが連れて来た騎士が早馬の代わりに自らアイダール侯爵邸へと馬を走らせ、ルシアの状況を知らせに向かった。
アリスはルシアの部屋には入れてもらえずに、ドアの前でひたすら待ち続ける。そんなアリスの横にダレンが近づき、頭をポンと撫でた。
驚き見上げた彼の顔は、優しくアリスを見下ろしている。
「私が一緒にいながら、申し訳ありません」
深く頭を下げるアリスに、
「お前が一緒にいたからすぐに対処ができたんだ。ありがとう」
お前がついていながら何をやっていると、頭ごなしに叱られた方がまだマシだ。使用人のくせにいい気になっているからこんなことになるのだと、罵倒された方がどんなに楽になれるか。
ルシアの心の辛さを聞き、何も手伝うことのできない使用人など必要ないのにと、俯きじっと涙を堪えた。
「お前の指笛は山のふもとまで届いた。上手いもんだな。練習したのか?」
そっち?と、涙を拭きながら「はい。町の子どもたちに教えてもらって、ずっと練習していました」
「ははは。そうか、普通の令嬢はそんな練習はしないだろうな。もっと、ダンスとか、刺繍とか、そういうのを習うもんじゃないか?」
「ああ、ダンスですか。兄に習った事はありますが、センスがないのか、あれは全然だめでした」
苦笑いをするアリスに「お前らしいな」と、ダレンもクスクス笑い始めるのだった。
少しだけ気が紛れ始めた頃、ルシアの部屋のドアが開き侍女が顔を覗かせた。
「ダレン様、どうぞ中へ」
案内されるまま部屋に入るダレンが、ドアの前で振り返ると
「アリス、お前も来い。覚悟を決めろ」と、固い表情でアリスを見据えた。
ああ、やっぱりルシア様は……と、目に涙を溜めながらダレンの後を追った。
「兄さん! アリス!!」
俯き入ったルシアの部屋からは、思いのほか元気で明るい本人の声が耳に飛び込んで来た。
「え?」と顔を上げるとそこには、たくさんのクッションに背を預け寝台に起き上がっているルシアがいた。
思ったよりも元気そうではあるし、周りの顔も心なしか明るく見える。
「アリス、私の腹に子がいるそうだ。ここに……、元気な子が!」
段々と震える声になるルシアの瞳もまた、揺れ動いている。
一瞬意味が分からなくなったものの「おめでとう、ルシア」と、隣に立つダレンの声にアリスの瞳から滝のように涙が溢れ、気がつけば走り出しルシアにしがみついていた。
「うわ~ん! 良かった。良かったですぅ。ルシアさまーーー!」
号泣に近い状態でルシアの首にしがみつくアリスに、「ルシア様のお子に差し支えます。下がりなさい!」と、侍女長マリアに引きはがされてしまった。
「いやいや、この歳でルシア様のお子を確認できるとは、長生きはするもんですなあ」と、ヨボヨボと思っていた医者が笑顔でアリスを優しく見ていた。
その晩、ルシアの夫であるアイダール侯爵がスタック邸を訪れた。
急ぎ駆けつけたのであろう、大分疲れた風ではあったが、侯爵としての風格は崩れてはいなかった。
ルシアの部屋で侍女見習いとして側についていたアリスは、突然の訪問に驚きつつも、侯爵の姿を見るなり寝台の上から両手を伸ばし泣き崩れるルシアを見て、やはりお互い愛し合っているのだと感じ、嬉しくて涙を堪えることができなかった。
泣きじゃくるルシアをしっかりと抱きしめた侯爵は、「ルシア、ありがとう」と何度も、何度も彼女の名を口にしていた。
その様子を見ながら泣き始めたアリスを引きずりながら、侍女たちは部屋を後にする。
「後はおふたりだけの時間よ」
そう言って片目を閉じた侍女に、キョトンとするアリス。
あなたにはまだ早かったかしらね?と、笑いながら使用人の控室へと下がって行くのだった。
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