第12話 秘密の女子トーク


「なあ、アリス。兄をどう思っている?」


 突然の問いかけに、実は少しだけウトウトしかけていたアリスはパッチリと目が覚めてしまった。

 実は使用人仲間や騎士の人達から、同じようなことを何度か聞かれている。

 その度「どうも思っていませんが?」と答えていた。

 事実、アリスにとってダレンは雇い主であり、それ以上でもそれ以下でもないのだから。……今のところは。


「どう、と言われましても。どうも思っていないとしかお答えできません」


 空を見上げたまま正直に答えるアリスに、「ぶふっ」と噴き出しクククと笑い始めるルシアだった。


「そうか。まだ、どうも思わぬか。そうか、そうか」


 ルシアのツボにはまったのだろう。引き笑いを始めるほどに面白かったらしい。


「私のことはどこまで聞いている?」

「どこまで? はい、二年前に侯爵家に嫁がれたお転婆……、いえ、元気なお嬢様だったと聞いていますが」

「なるほど、そうか」


 ルシアは愉快そうに笑い、両手を組むと頭の下に置き枕のようにしてみせた。


「私は嫁いで二年になるが、未だ子が出来ぬ。侯爵家に嫁いでおきながら跡取りを産めぬ、役立たずな女なのだ。それでも夫は何も言わずにいてくれる。

 だが、そろそろ第二夫人を持つように進言されておるようでな。

 夫は優しい男だ、私に気兼ねをしているのだろう。だから、私は侯爵夫人の座を辞そうと思っているのだ」


 ルシアの憂いた表情はこの為だったのかと、アリスは合点がいった。

 まだまだ子供のようなアリスにだって、子は天からの授かりものであると知っている。どんなに望んでも恵まれないこともある。でも、それは誰のせいでもないことも理解している。


「ルシア様は、もうお戻りにならないおつもりですか?」


 空気をまるで読まない言葉にルシアは苦笑いを浮かべ、「兄は許してくれるだろうか?」と、ポツリとつぶやいた。


 アリスはむくりと起き上がると、天を仰ぐルシアに向かい、

「当たり前です。ダレン様なら、絶対に戻って来いとおっしゃるはずです」と、力強く答えてみせた。


「お前が言うと、本当のことのように思えてくるから不思議だな」


 アリスにだってわかっている。それが難しいことくらい。侍女長のマリアが言っていた「今がルシアの正念場」とはこの事だ。

 貴族の結婚の奥深さをよく知らないアリスでも、ここで出戻ればルシアの立場が危ういこともわかっているつもりだ。でも、同じ女性としてルシアを守りたくなる気持ちも大きい。言葉を選ぼうにも、アリスには選ぶ言葉すら思いつかなかった。



「私たちの結婚は、亡き父によるところが大きいのだ。

夫は若い頃、剣の指南を父から受けており、この地に滞在していたことがあった。まだ幼い私たち兄妹の、よき兄のように可愛がってくれていた。

 その父が怪我が元で弱り始めた頃、夫に私たちの後見人になるよう頼んでいたらしい。若くに辺境伯爵位を継ぐ兄と、言う事を聞かない娘の私をさぞ心配したのだろう。夫はその言葉を真に受け、父亡きあと、私を娶ると言い出した。

 歳の離れた私を娶ることに、周りからはさぞ反対もあっただろう。

 ましてや、こんな話し方しかできぬ男勝りな娘など、貴族社会では毛嫌いされて当然だからな。さぞ苦労したことだろうな」


 クスリと笑うルシアの顔には寂しそうな笑みが浮かんでいた。



「侯爵様を、お好きなのですよね?」


 アリスの無邪気な質問は、時に残酷さを増す。

 忘れようと、諦めようと身を引く覚悟の者にとって、他人からの言葉は身を切るほどに骨身に染みるだろう。


「気が付かなければ幸せだっただろなう。人を好きになる想いなど気が付かなければ、もの知らずとして平然としていられたと思う。

 だが、子を成すために他の女をそばに置く話を聞いて、初めて自分の気持ちに気が付いた。本当はもっと、ずっと前から彼を好きなはずなのに。

 我が家に滞在し、兄のように面倒を見てくれていた昔の頃から私の気持ちは変わっていないはずなのに。気が付くのが遅すぎたのだ。

 彼の隣に私以外の女が立つ姿など、見たくはない。たぶん、耐えられない」


 震える声で語り掛けるルシアの顔を、アリスは見ることが出来なかった。

『侯爵家に嫁ぎ幸せになりました。おしまい』など、絵本の中だけのことなのだ。本当はもっと、もっと、深く難しいのだと知った。


「子は授かりものだと。だからこそ、みんなで大事に育てなきゃダメだって、町の産婆のおばちゃんが言っていて。私もお産の手伝いをしたりして……。

 ルシア様の、お子なら、きっと、かわいいの、に……。かわ、いい、の、に。

 だか、ら、あきらめちゃ、だめで、す」


 アリスは涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら、思いのたけを訴えた。

 それが伝わるかどうかはわからない。それでも、あきらめるような年齢ではないことも知っている。

 ミラー子爵家の領地内を飛び回っていたアリスは、子爵令嬢の名を良いことにどこにでも顔を出し、何にでも興味を持ち、手を出していた。

 馬など高価なものを持てるような領民も少ない中で、彼女は自分の知らぬところで、体の良い連絡要員として使われていたのだ。


 遊びの最中、怪我人が出れば馬で医者を呼び。

 産気づく者がいれば、産婆を呼びに行く。

 そんな風にして、アリスは自然に手伝いをさせられることになっていった。


 だから、子ができる方法もなんとなく知っているし、五人、六人と産む者の年齢が、自分の母親くらいである場合もあると知っている。

 だからこそ、ルシアなどまだまだ諦める必要などないとも理解できていた。



「私のために泣いてくれているのか? ありがとう。アリスはやさしいのだな」


 ルシアに優しく肩を抱かれ、頭を撫でられてもなお、アリスの涙は止まらない。ひとしきり泣いて、やっと落ち着く頃にはルシアは少しだけ呆れたように笑っていた。泣きすぎで枯れるかと思った。そんな言葉を浴びせながら。



「少し風が冷たくなってきた。そろそろ戻ろう。皆が心配すると悪い」


「はい」と答え、アリスは荷造りを始めた、その時……。

 立ち上がろうとしたルシアがよろめき膝をついたのだ。元気なはずの彼女に何か起きたと察したアリスが駆け寄り手を貸す。


「どうされました? 具合でも?」

「いや、大したことは無い。立ち眩みと、少しだけ腹が痛んだだけだ、大丈夫」


 そう答えるルシアの顔色は白く、血の気が抜けたように見えた。


「大丈夫ではないですよね。無理をしないでください。私の肩につかまってください」

「すまないな。お前のように小さい者が、私を支えられるとは思えんが、頼む」


 きっと、ルシアは弱音を他人に見せない人だと思う。その彼女がアリスのような者の手を借りるとはよほどのことに違いない。

 荷物など捨ておいても構わない。森の入り口にいる騎士を呼びに走ろうかと思った矢先。ルシアが雪崩れるように地面に手を付き、お腹を押さえている。

 その額には汗が滲んでいる。


 アリスは領地の子供に習った指笛を、思いきり吹いた。

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