第11話 初めての遠乗り
スタック辺境伯爵家の領地で行われる祭りまで、あと数日。
祭りに合わせて帰省したダレンの妹のルシアの願いで、この地に滞在する間はアリスがルシアのそばに付くことになった。
嫁ぎ先のアイダール侯爵家から侍女は連れて来ているので、アリスは彼女たちのそばにいて侍女のまねごとをするだけだが。
毎日ルシアの美しい髪を梳かし、王都で流行りだと言う髪型を結い上げる侍女のそばで「すごーい」「きれーい」と連発し続けるアリス。
お茶の時間には侍女長のマリアに内緒でお菓子のおこぼれをいただき、庭にいる動物たちと一緒にじゃれ合う。そんな日々を過ごす日々はルシアにとっても楽しいひと時らしく、毎日声を上げて笑っていた。
「ここに来てからルシア様はよく笑われ、食欲も増したようです。やはり、この地が奥様には合うのでしょうか?」
アリスがルシアの洗濯物を運ぶために通用口のそばを通った時に聞こえてしまったそれは、ルシアの侍女とマリアの会話だった。
侍女長のマリアは「ルシア様も正念場です。これに耐えられなければ侯爵夫人となり、夫を支えることなど出来はしないのですから。私たちはおそばに居る事しかできませんが、いつでも味方でいると、せめてそれだけはわかっていただくしかありません」と、声を殺し気味に話すのだった。
何もわからぬアリスでも、ルシアの気持ちが塞ぎ気味になっていることには気が付いていた。でも、アリスに何かできる力など一欠けらもなく、ただ見守ることしかできない自分が情けなかった。
祭りも近づき、徐々に屋敷の中も浮足立ってきた頃。
「遠乗りに行かないか? 森の中に泉があるんだ。とても美しく落ち着く場所だ。秘密の場所だが、お前には特別に教えてやろう」
ルシアの悪戯っ子のような笑みにつられてアリスも笑みがこぼれた。
遠乗りなんてここに来てから一度もないし、そもそもここの領地内のこともよくは知らない。わくわくしながら二つ返事で了承した。
そんな話をしていたのが朝食前の身支度の時間。そして今、気が付けばアリスはルシアの馬に乗っている。ルシアに抱えられるようにして二人乗りをしているのだ。
同じような事があったなと思い出しながら、アリスはルシアに背を預け、風を受けている。
森の入り口まで来ると馬から下りたルシアは、護衛の騎士達にこの場で待つように告げ、二人は森の中に入って行った。
アリスの手には布の包みが、ルシアの手にはシートが握られている。
「ルシア様。騎士様を連れずによろしいのですか?」
ルシアを単独で行かせることに難色を示し、最後はぶうぶうと文句を言っている声を尻目にアリスが問いかける。
「この森に危険な物などいない。大丈夫だ」
そう言いながら足取り軽く前を歩くルシアに、足の短いアリスはぴょこぴょこと着いて行くのだった。
少し歩くと湿気を含んだ空気に変わり、匂いも土の匂いが強くなり泉の存在を肌で感じられるようになってきた。
そしてその奥には、コンコンと湧き出る泉が確かに存在した。
「ここだ。ここは元々、山の動物たちが水を求めて来る場所なのだ。領地の者もここに足を運ぶことはない。自然を知る者は山と町の境界線をちゃんと理解している。人間が手を出してはいけない領域。その境界線がこの泉だ」
「私達人間が入っても良いのですか?」
「ふふ。境界線だからな。この奥に進めば勝てぬ生き物もいるだろう。だが、人間の匂いがする間は相手も近づかない。私たちが力で勝てぬ相手を恐れるように、相手も我々人間が恐ろしいんだよ」
さも当たり前のように淡々と語りながら、ルシアは手に持っていたシーツを広げ始めた。そして、腰を下ろすと自分の横をポンポンと手でたたき、アリスを誘導し始めた。アリスはそれを見て自分も靴を脱ぎ、腰を下ろし足を投げ出した。
「ルシア様。今日は料理長に頼んでおやつを持参しました。クッキー、それに苺のタルトもあります。飲み物は泉と聞いていたので、それで良いかなと思い持って来ませんでした」
当たり前のように告げるアリスにルシアは「あはは!」と大声で笑い出す。
「さすがアリスだ。泉の水を私に飲ませようなんて、普通の侍女は思いもつかないだろうな」
ルシアの言葉を聞き、アリスは初めて気が付いた。辺境伯爵の妹、それも現在は侯爵夫人に泉の水を飲ませるなどあり得ないことだと。こんなことが知れたら、侍女長のマリアにまた怒られてしまう。それを考えたらつい顔が青ざめてしまう。
「す、すみません。ルシア様。私ったらなんてことを」
恐縮するアリスに、
「いや、構わんよ。ここにいた頃はいつもそうしてこの泉の水を飲んでいたんだ。私も、もちろんそのつもりだったのだから、何も問題はない」
ルシアは立ち上がると泉のそばに寄り、両手で水をすくうとそれを口元に運びゴクゴクと喉を鳴らし美味しそうに飲み始めた。
それを見ていたアリスも、喉の渇きを覚え同じように手ですくい泉の水を飲む。それは少し冷たく、まろやかで美味しい水だった。
「美味しい」思わず漏れた言葉に、ルシアも顔をほころばせ「そうだろう」と、にこやかに答えるのだった。
アリスが持参した菓子は小腹が空いた二人には丁度よく、他愛もない話をしながら瞬く間に胃袋の中へと消えていった。
少しだけ腹も膨れ、ルシアはゴロンとシーツに横になった。「お前も横になれ。遠慮はいらないぞ。木々の中から覗く空は美しい」
ルシアの言葉にアリスも隣で横になり空を眺める。
風にそよぐ木々の葉がサワサワと音を立て、その隙間から青い空が見える。
白い雲はゆっくりと流れ、手を伸ばせば届きそうなそれに、アリスは思わず手を伸ばしてみた。届くはずがないことなどわかっている。でも、試してみたい衝動に駆られてしまったのだ。
並び寝ころぶ二人の静寂を壊したのは、ルシアだった。
「なあ、アリス。兄をどう思っている?」
ルシアの問いに、アリスは思わず起き上がってしまった。
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