第10話 美味しい紅茶と犬のジョン
ダレンとルシアが座り、アリスが紅茶を入れ始める。
高級茶を飲んだことが無いだけで、紅茶は実家でも口にすることはあった。
姉が嫁ぐ前、急遽あてがわれた家庭教師に淑女教育を受けている姿を横で見ていたし、侍女を目指し奉公に出る姉の横で練習する姿を見てもいた。
いくら貧乏とはいえ、曲がりなりにも子爵家令嬢。まったく見聞きしたことが無いわけでは無い。
アリスは自分の中の知識を総動員しつつ、侍女長マリアの視線を痛いほどに浴びながら、今紅茶を入れている。
手は少し震え、なんなら額から冷や汗がしたたり落ちそうになっている。
それでもなんとか自分を奮い立たせ、二人の前にお茶を差し出す。
途中、カチャリと食器の音がしたのはご愛敬。
ダレンとルシアは目の前に出された紅茶とお互いを見合い、少しだけ口角を上げ静かに口に含んだ。
お転婆を通り越し、じゃじゃ馬と呼ばれるルシアも、そこは辺境伯爵令嬢。しかも今は侯爵夫人だ。うっとりするほどの美しい所作で、アリスの入れたお茶を口にし、口から出た第一声が、「まっず!!」だった。
いやいや、それはそうでしょうとも。これで美味しかったら、逆にビックリだ。と、アリスは開き直りの胸中にいた。
「まあ、初めてにしては良い出来なんじゃないか? 味も香りもないだけで、毒が入っているわけじゃなし。これはこれでゴクゴク飲めるぞ」
ダレンが言葉の通りゴクゴク飲み始め、あっという間に飲み干してしまった。
熱くないのかな?と、要らぬ心配をよそに、
「次はマリアのお茶が飲みたい。入れてくれるか?」と、ルシアの言葉に、待ってましたとばかりにマリアがお茶を入れ始める。
さすがマリアの入れたお茶は全てが完璧で、ルシアは「美味しい」を連発している。すっかりしょげ返っている。と思われたアリスだが、そんなことは無い。
むしろ、マリアの入れた紅茶の香りに鼻をくんくん言わせながら、よだれを我慢すらしていた。
美味しい紅茶に、甘いお菓子。目の前に並ぶはなんて目の毒なんだろうと、ぼんやりと二人を眺めていたら、何やら庭の奥の方から怪しげな足音が聞こえてくる。
すっかり忘れていたが、ここは中庭。そしてその奥にはダレンが連れ帰った動物たちがい、、、る。と、思う間もなく、『バフバフ』と鳴き声を上げながら大型犬のジョンが近づき一心不乱にアリスめがけて飛びついた。と思ったら、その勢いでアリスは軽々と飛ばされ、数メートル先の芝生の上にダイブしていた。
領地での遊びが功を奏したのか、受け身で咄嗟に身を守るもアリスのお仕着せは摩擦でこすれボロボロになってしまった。
倒れ込むアリスにのしかかる様に『ばふ~ん』と甘えた声で泣きながらべろべろと顔を舐める。
そう言えば、今日は朝に餌をあげたきりで、いつもの日課である追いかけっこをしていないことを思い出した。
「ごめんね。今日はまだ追いかけっこしてなかったね。待ってたの?」
アリスの言葉を理解したかのように、『わお~~ん』と一声鳴くのだった。
アリスはボロボロのお仕着せをパンパンと叩き、埃を落とすと、
「申し訳ありませんが、この子たちと遊んでやらないといけないのでこれで失礼させてください」と、深々頭を下げた。
ジョンは待ちきれない様子で、アリスの足を体で押し始めている。
「ジョン。私だ、忘れたか? ルシアだ」
椅子から立ち上がりジョンを見つめて問いかけるルシアをチラリと見やるも、そっけなく視線を反らすジョン。しかし、チラチラとルシアを見ていると、
「ジョン! 行くぞ。ついて来い!!」
言うが早いかルシアが走り出していた。ドレスの裾を両手で持ち上げ、ヒールを物ともせずに軽々と走り出す姿は、さすがじゃじゃ馬だ。
それを見て思い出したのか、ジョンも『ワフワフ』と鳴きながらルシアを追いかけ始めた。
結果、置いてきぼりをくらったアリスだったが、「待ってくださ~い!」と、二人(?)の後を追いかけたのだった。
しばらく庭を走りまわり、力尽きたルシアが芝生に寝転がる。
それをめがけてジョンがルシアにまたがる様にその顔を舐め始めていた。
「ジョン、思い出してくれたか?」
ルシアの言葉にジョンも嬉しそうにワフワフ言いながら、ルシアの周りをグルグルと走り回っていた。
少し遅れてアリスが追いつくと、芝生に寝そべるルシアに驚き「だ、大丈夫ですか?」と駆け寄ろうとするその足の周りにジョンがまとわりつき、アリスもズデンと芝生に転んでしまった。それでも、邪魔をするジョンを避けながら這うようにルシアの元に近づく。
「ル、ルシア様。大丈夫ですか?」
芝生に仰向けになって寝ころぶルシアの顔を覗き込み、心配そうに問いかける。
アリスの声にパチリと目を開き、キラキラした瞳でアリスを見つめると、
「楽しい! やっぱり、走り回るは楽しいものだな。久しぶりにはしゃいで面白かった!」
具合が悪いわけではないとわかり安心するアリスは、「ああ、良かった。ジョンも楽しかったみたいですし。良かったです」そう言って微笑んだ。
芝生に寝転んだまま上半身を起こすと、ルシアは庭を見渡し、
「ここは変わってないな。動物の数が増えただけで、匂いも変わらない。ずっと、ここに居られたらいいのだが」 そう言いながら、少し寂しそうに微笑んだ。
アリスはルシアの事をほとんど知らない。
ダレンの妹で、2年前に侯爵家に嫁いだくらいしか聞かされておらず、普通に考えれば玉の輿のなるのだろう。幸せな日々を送っていると思うだろうに。
今の彼女を見ていると、そう言う風には見えてこないのはどうしてだろう?と考えたが、結局アリスにはわからなかった。
「ずっと、いられたら良いではないですか。ダレン様だってお許しになると思います」
アリスは何の忖度もなく、そう答えてみせた。ルシアにとってみれば実家だ。ならば、堂々と里帰りしたら良い。アリスの姉達も近くに嫁いだ者は、好きな時に戻りゆっくりしていっているのだから。ルシアがそれをしてはいけないことなんてないはずだから。
成人したとはいえ、貴族としての何たるかの教育をほとんど受けていないアリスにとって、ルシアが抱える問題に想いが届くことは無い。だが、嫁ぎ先が面白くないのだろうことはアリスにも感じるものがあった。
「そうだな。そうできたら良いのだが」
寂しそうに少しほほ笑み、遠くを見つめるルシアをそばで黙って見つめる事しか今のアリスにはできなかった。
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