第9話 茶会の誘い


 会うなりアリスのしっぽ髪を触り続けていたあの方は、やはりダレンの妹のルシアだった。

 飛びつくルシアを軽々と抱きかかえると、ダレンは幼い妹にするように頭を撫でながらほほ笑んでいる。そんな様子を見ながら、ふと実家の兄達を思いだし少しだけ感傷にふけるアリスだった。


 ダレンとルシアは屋敷に入り、積る話しでもするのだろう。アリスは手にしていた竹ぼうきを握り直すと、庭掃除の続きをするためにじりじりと後ろに下がり始めた。だが、それを見つけたルシアに「おい!」と呼び止められ、目が合ったからには反らすわけにもいかず、私のことですか?とでも言わんばかりに少し大げさに首をかしげて見せた。


「兄さん。あの娘は新しいメイドか? 聞けばあの姿で成人しているとか?

 私はてっきり兄さんがどこかで拾って来たのかと、要らぬ心配をしてしまった」


 はははと豪快に笑うルシアに、ダレンは微妙な苦笑いをして見せ。アリスも、あながち嘘でもないかもしれないなと、思い出し頬を引きつらせるのだった。


「最近、使用人として入った子爵家の令嬢だ。尊厳は守っている」

「子爵家の? へえ」


 何やらルシアの口角が嫌な感じで上がったのを、アリスは見逃さない。何となく不穏な空気を感じてしまうのは、大家族の中でもまれて育ったおかげかもしれない。


「兄さん、私にあの娘をくれないか」


 ルシアの響き渡る様などこまでも通る大きな声で、それは当たり一面を凍り付かせた。

 なんとなくそんな気はしていたアリスは、竹ぼうきを握り直しただ立ち尽くすだけだった。しかし、周りの使用人や門番、騎士達は皆、一様に口を真一文字に固く閉ざしたままダレンを見つめている。

 当事者のダレンに至っては、視線をアリスに向けたまま微動だにしなくなってしまった。文字通り氷りついてしまったかのように。


「兄さん、いいだろう? ここには女主人がいるわけでも無し。あの娘を私の侍女にしようと思うんだ。貴族の出というのもちょうどいい。

 それに、あの髪が気に入った。動物のしっぽを撫でているような、あの感触はたまらない。ね? 兄さん」


 ルシアがもう一度ダレンに聞き返し、肩をトンと叩いた。

 その衝撃で我に返ったダレンは、

「だ、だめに決まっているだろう? アリスは物や動物じゃないんだ。縁あって我が家に入った子だ。お前なんかにくれてやらん!!」


「へえ、アリスって言うのか。名もかわいいな。おい!アリス。お前、馬には乗れるのか?」


 ルシアはダレンの言葉を聞いていないのか、聞こえないふりをしているのかわからないが、つかつかとアリスのそばまで来るとしっぽ毛を撫で始めた。


「馬でございますか? 足が届かないので、小さい馬なら乗れますが」


 アリスの言葉に「ぶふっ!」とあちこちで噴き出す声が聞こえる。

 失礼な!背が低いんだから足が短いのも仕方ないだろう!と、不満げな顔でアリスは辺りを睨み返してみた。が、その顔は子供が不貞腐れただけにしか見えず、ちっとも怖くない。


「まあ、そう怒るな。お前の言うのももっともだ。私が悪かった。

 ここにはお前が乗れるほどの小さな仔馬はいなかったと思う。遠乗りは難しいか」


 ルシアの言葉に思わず目を輝かせ、「遠乗り?」と聞き返すアリスに、「遠乗りに行くか?」と問われ、「はい!!」と元気に答えてみせた。


 この地に来てからというもの、屋敷の外に出たことはほとんどない。

 仕事なのだから当たり前だが、実家に居た頃は領地内を馬に乗り自由に行き来していた。野原を駆け回り、畑を耕し、領主の娘でありながら領民とも隔たりなく接してきたアリスにとって、今の生活は正直息苦しさを感じつつあったのも事実だ。


 それに加えて、この間のダレンとの買い物だ。

 あれから二人は何事も無かったように振る舞っている。でも、根底にはどこかで距離を置いているし、前のようになれ合いのような接し方もしていない。

 執事のセバスチャンや、侍女長のマリアはきっと気が付いている。

 気が付いていても、何も言わずにいてくれている。それがアリスにとっては有難かった。



「ルシア様。長旅でおつかれでしょう。久しぶりに私の入れたお茶はいかがでございますか?」


 遠乗りの話しに食い気味になったアリスを遮る様に現れた、侍女長マリア。

 彼女を見るなりルシアは弾けるような笑顔で「マリア!! 元気だったか?」そう言って彼女の手を握り、嬉しそうに話し始めた。


「久しぶりにお前の入れたお茶が飲みたい。入れてくれるか?」

「はい。もう準備は出来ております。ミルクたっぷりに砂糖は多めですね」


「ああ、マリア。よくわかっていてくれる。さあ、行こう」


 ルシアはマリアの腕に自分の腕を回し、二人並んで歩き始めた。

 何やら楽しそうに話す二人は、嫁ぐ前から仲がよかったのだろう。まるで親子のようだと、アリスは自分まで嬉しくなり頬が緩むのを感じた。

 しばらく歩き始めたルシアは、いきなり立ち止まりくるりと振り返ると、

「アリス! お前も来い。一緒にお茶にしよう。休憩だ!」

 笑みをこぼし、手招くその姿は美しくも可愛らしい、人妻にはとても見えない愛らしさがある。

 しかし、アリスは所詮使用人。来いと言われて「はい、わかりました」とついていける立場にない。どうしたものかと苦笑いを浮かべていたら、

「あいつも、ああ言っている。少し付き合ってやってくれ」

 いつのまにかアリスの隣に立つダレンがアリスに笑って見せた。

 少しだけ苦いような顔をしたダレン。それに気が付いても、アリスは見ない振りをした。

 主人、自ら良いと言うのだから断るわけにはいかない。でも、きっと後でマリアさんに叱られるんだろうなぁと、顔は笑いつつ腹の中でため息を吐いた。




 好天に恵まれたこの日、庭にはいつのまにかテーブルが運ばれ、まるで話に聞いたことのある茶会のようだった。

 この館のどこに仕舞い込んでいたのだろうかと言うほどの、綺麗なレースのクロスがかけられたテーブルには、これまたどこに隠してあったんだというほどの綺麗な茶器が並んである。

 そして、この屋敷のコックはこんなお洒落な菓子が作られたのかと驚くほどに、カラフルで美味しそうな菓子が並び飾られている。

 身に纏うドレスや貴金属に興味は無くても、甘いお菓子は女子の大好物だ。

 アリスも甘い物には目が無い。見ているだけでも目の保養になると、キラキラと目を輝かせていた。

茶会などというものに参加したことのないアリスは、少しだけワクワクと心を躍らせ、「すご~い!」思わず漏れた本音が口をつく。


「茶会に出たことは?」ルシアの問いに、

「ありません。夜会に出たことも無いですし、大体貴族の友人は隣の領地の子だけでしたから」


 立ち話しを始めた二人の間にダレンが割って入り、「男か?」と聞いてくる。

 「はい。男爵家の同い年の男の子です」と、何のためらいもなく普通に答えるアリスに、なぜかダレンが面白くないと言った顔をする。

 

「兄さん。子供の頃の話しだろう? なあ、アリス」

「はい。一緒に外で遊ぶ、遊び仲間です」


 アリスの言葉に納得したように頷くルシア。


「まあ、立ち話もなんだ。座って話そう」


 ルシアに手を引かれテーブルまで歩くアリス。チラリと横を見ると、そこには顔面から一切の笑みを殺したマリアが立っていた。

 どんなものよりも、今のアリスにとって侍女長のマリアの存在は恐ろしい。

 初日に話した貴族令嬢に似つかわしくない行動がいけなかったらしく、事あるごとに令嬢らしい振る舞いをと、お小言を賜りつつ、行儀作法や言葉使いを叩きこまれているのだ。

 アリスにしたら、メイドにこんなこと必要ないのにと思いつつも、貴族の娘はこれくらいできるものだと言われれば、そんなものかと素直に受け入れるしかなかった。


「あの、私は使用人です。せっかくなので、私にお茶を入れさせていただけないですか? 今、お茶の入れ方を練習しているところなんです」


 苦肉の策で思わず出た言葉がこれだった。

実際にはお茶の入れ方なんて全然練習なんてしていない。

実家は貧しいので紅茶などの嗜好品は贅沢品だ。

 口にするのは自分で育て乾燥させたハーブティーや薬草茶ばかりで、紅茶なんて安物しか口にしたことは無い。美味しく入れられる自信など、これっぽっちも無い。それでも、一緒に並んで座ることを考えればまだマシだろう?そんなくらいにしか思ってもみなかったのに。


 まさか、トンだ邪魔が入るとは……。


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